Daily Report in Ryukyu
2002 June


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6月12日-4 そして、生活が始まった partM
おおおお〜!!

野太い男性の声がそう広くはないリビングルームに響く。
こんなふうな歓迎を受けたのは何年ぶりだろうか。周囲が私を若い娘のように扱わなくなって久しい。くそぅ。

リビングは日焼けした浅黒い男達ばかりでひしめき合っていた。ソファに座りきれない人々は床に座り、その肩越しには 町で唯一と噂されるBSテレビがニュース番組を放映していた。

バイク屋おじさん「なんや、自分のビールを持ってきたんか。明日から持ってこんでええで。冷蔵庫に仰山あるから。ほんなら、そこ座って」

勧められたソファに腰をかける。テーブルには、雫をいっぱい付けたオリオンビールの缶が所狭しと場所を占領していた。

バイク屋のおじさん「この子、隣のおもろに泊まっとってな」

男A「ああ、パソコンを教えてもらうって子ですかー」

なぬ。もう既に私の存在が話題に出ていたのか?

バイク屋のおじさん「そうそう。この子。そんで、この子は蟻屋なんよ」

おおおお〜!!

再びどよめきが走る。「いやぁ、蟻屋さんですかぁ」と感心するような小さな声が漏れる。

ちなみに、蝶収集家の皆さんのことを、皆は蝶屋、と呼ぶ。クワガタを趣味とする人のことは、クワガタ屋というし、セミ好きの人のことをセミ屋という。そして、そういった人たちを総称して、 虫屋、という。その法則にのっとると、どうやら私は、蟻屋ということになるらしい。蟻屋と言われるほど、立派な活動をしているわけじゃないけど...。

簡単な自己紹介が終わると、再びテーブルの話題は蝶の話へ。

目の前に座る、体が丸くて大きな、まるで黒い恵比寿様のような男性が、話を始めた。あ!この声、隣の部屋の人だ!!おじさんかと思ってたけど、まだ若いんじゃん!!そして、私の隣に座る男性が、口を開く。あ!この人も隣の部屋にいる人だ!!そうか。この丸い人と隣に座っている人は、同じ部屋に泊まってるんだ...。恵比寿様のほうがTRMさん、隣に座ってる男性がKNKさんと名乗った。二人とも、 独身である。そうか。独身の男が隣の部屋に泊まっていたのか...。感慨深いのぉ。

彼等に、なぜ蝶を採るのかと質問してみると、こういう答えが返ってきた。

「蝶採りが楽しい。珍しい蝶が欲しい」

まるで、虫取り少年がそのまま大人になったかのようだ。大人の技量と財力で、童心を満たしていく蝶屋の皆さん。家に帰れば、標本が山のようにあるのだろう。欲求が純粋なだけに、彼等が愛すべき存在に思えてくる。

TKMRさんという年配の男性(既婚)が口を開いた。

「僕はね、60cmの虫網と50cmの虫網のどちらがいいか、未だにわかんないんだよね」

この一言が蝶屋を熱い議論に導く。60cmは汚いだの50cmじゃ取りにくいだの。初めての価値観に触れるこの新鮮さ。面白い...。そもそも、虫網の口の直径が、50cmのものなんか見たことがない。60cmの直径の虫網ってどんなのよ。想像もつかないよ。

皆さんが口々にする蝶の名前についていけず、ついに図鑑を借りた。図鑑に載っている写真を見ていると、KNKさんがいろいろと教えてくれる。KNKさんは関西弁を操る、日焼けした肌に白い歯がまぶしい独身男性だ。

「この蝶は去年、いーっぱいこの島に飛んできたんですわ。でもそれっきり。去年一回こっきりですわ」

TRM「僕は110匹くらい採ったからね」

ひゃ、ひゃく...?10匹を超えた蝶の数でも私にはびっくりする数だというのに、百の大台まで採集するとは、すすす、すごい。

TRM「年末になると冷蔵庫の整理とか大変なんだよね」

採集した蝶は、冷凍庫に入れて保存するのだそうだ。おもろに蝶屋の宿泊客が多いのは、採集した蝶を冷凍庫に入れさせてくれるからだとか。

しばらく彼等の話を聞いているうちにわかったことがある。

迷蝶(海外から風などに乗って日本に渡ってきた蝶)ほど価値が高く、蝶研という本に名前が載ることがある種仲間うちでのステータスになる。

しかし、迷蝶は迷い込んでくるから迷蝶なのであって、迷蝶といわれる種目の蝶がわんさか飛んでいるインドネシアや台湾などでそれらを採っても、彼等にとってはなんら価値のあるものではないらしい。

彼等の目的は迷蝶だが、同じ蝶の数を増やすことよりも、蝶の種類を増やしていくのが最終的な目的であるらしい。100種とか170種とか、三桁の数の種類を保有しているのだ。この数に一種増やすということが、とても大切なことだという。

TKMR「一種増やすために、僕はバナナセセリが欲しい」

この一言に、皆の怒号が走る。

あれって蛾じゃん!!

バナナセセリは列記とした蝶なのだけど、夜の外灯の周りなどを飛んでいる。その生息振りが蛾のようなので、蝶屋からは忌み嫌われているようだ。図鑑で見ると、毛深い体に地味な羽をしていて、確かに蛾に見える。目も赤いし、少々薄気味悪い。しかし、たくさんの種を保有してしまっている人にとっては、いかに容易く採れようが、一種は一種なので、やはりその一種が欲しいらしい。

一生懸命、彼等と同じ気持ちになれるようマインドコントロールをしてみたが、やっぱりわからなかった...(笑)与那国で彼等が追いかけている、コモンマダラという種の蝶が美しいのは、本当によくわかるんだけど。

彼等は、6月に与那国を訪れ、その後、蝶を追いかけながら、どんどん北上していく。北は大雪山まで登って蝶を拝んでくるらしい。(採集してはいけない蝶もいるとか)

バイク屋のおじさん「こんなんだから、独身が多いのよ」

ああ、なんかそれ、わかります...(笑)

今夜は、蝶屋さんの実態を見知った貴重な夜だった。

しかし、蝶屋さんとの触れ合いは、これだけでは終わらなかったのであった。

(つづく)


6月12日-3
そして、生活が始まった partL
「僕なんかさ、〜に行ったときは〜がたくさんいてさ」

男の声で目が覚めた。よどみない関東の言葉。そして、それに相槌する関西の言葉...。
どうやら、隣の部屋には二人の男性が宿泊するようだ。他のところからも宿のおばさんと話す男性の声が聞こえてくるので、今夜は昨日と 打って変わってにぎやかに違いない。

夕飯までには時間があるので、自転車でひとっ走りしてくることにした。うー、Gパンのボタンがきつい。昼食をあんなにがんばって食べたんだもんなぁ。 まだお腹いっぱいだよ...。

ママチャリにまたがると、今度は西の方向へ走ることにした。
島の西端には、久部良という島で2番目に大きな集落がある。久部良へ向かって少し走ると、県道の右側に与那国空港が広がる。そして、その先に牧場、その先にダンヌ浜というビーチがある。

夕飯前でそれほど時間はないけど、久部良までがんばってみるかー。

おいっちに、おいっちに、おいっちに、おいっ...ち...に...

ふー。
おでこの汗を拭く。なだらかな上り坂に、私の股の筋肉はキリキリと痛む。もう夕方で涼しい風が吹いているというのに、私は顎と首から汗を滴らせ、自転車のかごに転がっているさんぴん茶をごくごくと飲むのだった。

今日は久部良の港に船が着く日なので、物資を荷台に載せた軽トラックが何台も私の横をかすめていった。みんな、私を見る。もしかしたら、島の半分くらいの人が、孤独にママチャリをこぐ不思議な女を目撃したかもしれない。明日には村中の人が、ママチャリに乗る 奇怪な生き物の存在を知ることになるのか...。(おい、そんなことはないだろう)

ようやく道が平坦になった。
私は勢いつけてびゅんびゅん自転車をこいだ。あー、気持ちいいー!迎え風が私の首筋にひんやりと触れていく。あー!生きてて良かったーーーぁ!!

更に自転車をこぎ続ける。いいか、よく聞きたまえ。これが競輪のようなギア付きの自転車だったら、さぞかしこの道も楽だろう。しかし、私の乗る自転車はママチャリなのだ。天下のママチャリ。坂道を勢いよくこぎたくても、車輪の回転に足がついていかない。スカッ!スカッ!と 何度自分のくるぶしをペダルにぶつけることか。

がんばって自転車をこいでいると、久部良5.5kmという表示が見えた。おい。まだ5kmもあるのかよ。私の探究心は 突然萎えた。5km先の久部良から目の前のダンヌ浜に一気に目的地を変更し、私はハンドルを右に切った。牛糞のほのかな香りに鼻の穴を縮めながら、私は老人ホーム横の細い舗装路をよたよたと走る。すぐに、青葉の茂る小さな広場にたどり着いた。ここはダンヌ浜。シャワー付きの小さな建物を通過すると、そこには大きな海原が広がっていた。

高台から海を見下ろす。眼下の小さな白いビーチには誰もおらず、岩と岩の浅瀬が目の覚めるようなマリンブルーに染まっていた。顔を上げる。私の視線の先には水平線のみが見えるだけだ。しかし、水平線の彼方向こうには、おそらくユーラシア大陸が広がるはずなのだ。

顔中にかいた汗を拭きつつ、海風に身を冷やし、ゴゴゴ...という波の音に心をゆだねた。私の魂は宙高く舞い上がり、三千里を超えた向こうにある大地を感じていた。こういうと オカルトそのものだけど。

しばらく海を眺めながら休んだ後、再び自転車に戻った。広場には、オレンジ色によく熟れたパイナップルの実がなっていた。茂みが深くなければ、私はそのパイナップルを手にし、バレないのであれば採って食べてしまいたかった。しかし、刺の生えた固い葉が私を阻んだ。ちぇっ。せっかく自然のパイナップルが食べられると思ったのにー。

(それがパイナップルではないと知るのは、この数日後である)

帰りも思い切り自転車を飛ばした。
祖内の港町に到着する頃、私の鼻を夕餉の香りがくすぐった。ああ、今はここらいったいがご飯の時間だよ。あっちもこっちも、家族のためにご飯を作ってるんだ。

宿に戻ると、6時45分。それでも外はまだまだ明るい。日本で一番西にある島が、夜の世界にぐるっと回り込むのには、あと一時間以上はかかりそうだ。

部屋に戻り、冷房の風でとりあえず汗を引っ込ます。今日はたくさんの人が宿泊しているようなので、風呂は混雑しているだろう。いいや、ご飯を食べたらシャワーを浴びて、それから隣のバイク屋のおじさんちへ行こう 。

食事をする土間へ行くと、男性ばかりが3人と中年のご夫婦が座っていた。大きな食卓が3つ並ぶだけの土間だ。これだけの人数でかなりいっぱいに見える。宿の子に聞くと、今夜から数日は満室とのことだった。

男性3人は、蝶の採集に訪れたようで既にグループ化しているが、他の者を寄せ付けない何かがあった。中年のご夫婦も周囲の人々を探るような目つきで見つめて押し黙っている。昨日とは違うこのムードの中には、誰も私に 視線を投げないが意識だけはしているという妙な圧迫感があった...。いやぁぁぁぁ!いっそのこと私を舐めるように見つめてぇー!

とにかく、夕飯を急いで食べて、急いでシャワーを浴びてしまおう。どうせ後ろの3人の男性には、バイク屋のおじさんのところで会えるのだろうから。

私は押し黙ったまま、テーブルに運ばれてきたご飯を食べた。

本日の夕飯には、島豆腐の入った汁が出てきた。島豆腐は、重くて濃厚でぶりっと固くてしっかりとした味がある。何しろ、木綿で包んだ豆腐に重石を乗せて水分を抜きながら固めていくのだ。ずっしりするというもの。刺身には、宿の女将さんの勧めで『 ねりとうがらし』という地元の薬味をちょっとつけてみる。これは、どこかのおばあちゃんのお手製のようで、濃縮された唐辛子が練り状になっているものだ。危険なまでに鮮やかに赤いこの薬味は、箸の先にほんの少しつけたほどの量でも、 殺人的な辛さであった。

ご飯を食べ終わり、シャワーを急いで浴びると、私は近所に一軒だけあるスーパーへ赴き、ビール数本を購入した。急いでレンタバイク屋のおじさんのところへ向かう。もう8時もとうに回っているので辺りはすっかり真っ暗なものの、にわか雨で濡れたアスファルトからは、もんわりとした湿気が上がっていた。道路沿いの草むらから、リーリー…とたくさんの虫の声が聞こえる。その合間に、ケケケケッというイモリの鳴き声がする。私はTシャツにパジャマという格好で歩いていたが、この土地ではそれが無防備だとは思えなかった。

おじさんの家の玄関には、おびただしい数のサンダルや靴が散乱していた。えー、こんなに人が来てるのー?私なんかが来てよかったのかなー。

一拍置き、思い切って戸を滑らせる。
中を覗くと、たくさんの顔が一斉にこちらを向いた

私は、大変なところに来てしまったかもしれない...と内心思うのであった。

(つづく)


6月12日-2
そして、生活が始まった partK
昨日も訪ねたマルキ食堂。
地元の人が通うごく普通の食堂だ。

さて、今日はどのお料理を食べようかな。

迷っていると、座敷席に座った客がおもむろに、

イカスミ汁

と注文しているのを聞いた。イカスミ汁!なんておいしそうな響き!でも、食べたら唇も歯も舌も全部黒くなってしまうんでないだろうか。

「私もイカスミ汁!」

ああ、注文してしまった。だって、この好奇心にはなんだって負けてしまう。私がイカスミ汁を食べ終わる頃には、私はきっと口の周りまで黒くして、 妙に顔色の悪い女になっていることだろう。

運ばれてきたイカスミ汁は、やはりイカスミ色をした汁で、苦い野草とイカの身が入っていた。ほどよい塩の味が食欲をそそる。しかし、箸はすぐに黒くなるし、その箸でご飯に触れるとご飯が黒くなるし、当然唇も触れているので黒くなるし、いや、気を使う。唇が黒くなってはいけないと思いつめるあまり、ティッシュで唇を拭きすぎて出血した...。 私はもしかしてバカか?

ぺロリとイカスミ汁を平らげる頃、店の女性が信玄餅のようなお菓子とアイスコーヒーを運んできた。

「サービスです。どうぞ...」

相変わらず愛想がないように見えたが、心なしか口の端に笑みのようなものが見て取れた。嬉しいことだ。この店へ来たのは今日が2回目というのに、こんなふうに温かいサービスをしてくれるとは。イカスミ汁でお腹は かなりいっぱいになっていたのだが、お店の人のこのありがたい好意を踏みにじりたくはない。ぐぅー、きついが、私は全部食べる。全部食べるぞよーーー。

甘い物が嫌いな私は、信玄餅のようなお菓子を口にバンバンと詰め込むと、アイスコーヒーで飲み込んだ。ああ、甘いものが食べられないって、人生の半分は損をしているだろうし、甘いもの好きの人に石を投げられても仕方がない。ごめんなさいごめんなさい。

念仏を唱えながら、私は出されたものを平らげた。
このサービスは、私のお腹をまたしても丸太状にしてしまった。うぅ...ぐるじぃーーー。誰か助けてー...。

這うような気持ちでレジまで向い、お金を払った。女性の愛想は相変わらずだが、昨日よりもずっと 心が近づいた ような気がした。あまり言葉は交わさず、笑顔で店を出た。明日もまた来よう。

再び自転車に乗る。
日の一番高い時間かもしれないが、私には腹ごなしが必要だった。とにかく、運動をしなければ。このままでは デブ一直線 だ。

気の向くまま、私は海へ向かった。
コバルトブルーの海は、まるで絵画のように美しい。私はその海を左手に、どんどん緩やかな坂を上っていった。風が気持ちいい...でも、 お腹がいっぱいすぎて苦しい...。

ガシガシと自転車をこいでいくと、ふいに墓地へ入り込んでしまった。町よりも高台にあるこの場所は、緑の草と小花の咲く美しい地だ。この島のご先祖様は、ずいぶん大きな墓に眠っている。 車一台分よりも大きな墓だ。琉球地方では、人はこの世から去り、再び生まれてきた場所へ戻ると信じられている。母腹の滑らかな曲線を描いた大きな墓の中で、人々は安らかに眠るのである。

これは、Native Americanの考え方に共通するように感じられた。彼等は、人が他界するときにはこの世の一切の苦しみから解放される死者を祝い、この世に誕生する命は祝おうとはしない。肉体を得てこの世で生きることは、同時に苦しみを得ることでもあるのだ。この考え方は、仏教の苦に対する考え方とも共通している。

こんなふうに、どこかで何かが繋がっている
同じように、誰かと何かが繋がっていることもあるのかな。きっと、あるんだろうな。誰かと誰かが繋がっているみたいに。

墓では、与那国馬というロバのような小柄な馬が放牧されていた。墓というと、不気味なイメージがついて回ると思っていたけど、与那国では平和そのものというイメージしか浮かばない。そして、それがとても自然に思えた。

ぼんやりしていると、雨が降ってきた。
急いで宿に戻って、午前中に干しっぱなしにしていた洗濯物を大慌てで取り込んだ。

部屋に戻り、ぼこぼこの畳の上で激しく降り始めた雨の音に耳を澄ませた。たたみかけた洗濯物を抱えながら、まぶたは次第に重たくなっていく。意識が遠のく中、部屋の外で他の宿泊客の声が聞こえた気がした。また今夜、新しい出会いがあるのだろうか...。

(つづく)


6月12日-1
そして生活が始まった partJ
シェイ シェイ シェイシェイシェイシェイ .........

う、うるさーーーい!!しかも暑ーーーい!!!

朝、昨日の昼間にはまったく聞かれることのなかったクマゼミの鳴き声で目が覚めた。冷房をつけずに寝たために、どこか深く眠れず、全身汗だらけだ。うぅ、暑い。誰か助けてー。

昨夜は、夕飯を一緒に食べた男性から誘われて、隣のレンタルバイク屋で夜毎行われている宴会に参加させてもらった。

参加者はレンタバイク屋のおじさんと誘ってくれた男性と私の3人だけだったのだが、蝶の標本などを見せてもらい、ひじょうに有意義なひと時を過ごさせてもらった。その時、私の職歴が話題に上り、あれよという間にバイク屋のおじさんに毎日少しずつ パソコンを教えるということになってしまった。

うーん、旅をしていると思ってたんだけど、日本の果てで仕事することになるとはなぁ...。しかし、この仕事の報酬として、滞在中はずっとレンタサイクルを無料で借りられることとなった。これは素晴らしいトレードだ。暑い時間はおじさんちの冷房の効いた部屋でパソコンを教え、 外が涼しい時間帯は自転車で島をめぐる!

私はこういうトレードが好きだ。需要と供給のバランスさえ丁度よければ、お金なんか必要ないのになぁ。世界中がこんなふうになって世の中からお金なんかいらなくなっちゃえば、お金のために悪いことをする人なんかいなくなるのにな。

朝食を食べ終わると、さっそく隣のおじさんのところへ自転車を借りに行った。

おじさん「おー、来たかー。自転車は暑いぞー。日焼けせんようにしいやー」

おじさんは、そう言いながら、ピカピカに磨かれた自転車を貸してくれた。本来ならば、パソコンの講習は今日からなのだが、夕方に石垣からの物資を運ぶ船が着くということで、今日のパソコン講習はなくなってしまった。では、明日、たっぷり教えることにするか...。 腕が鳴るな。ふふ。

私はおじさんに「ありがとう」とお礼を言うと、自転車に飛び乗った。背後から、

「今夜、また飲みに来なさい」

というおじさんの声が聞こえた。手を振ってそれに答えると、おじさんはまぶしそうに額に手をかざして手を振り返した。

さて、どこへ行こう。
とりあえず、私は県道を南下することにした。島を分断するように伸びているこの県道は、比川という小さな集落へ続いている。比川までは4km。うまくいけば、お昼ご飯を向こうで食べられるかもしれない。食堂が営業していれば、だけど。比川の集落は小さすぎて、食堂も一軒だけ、しかも 営業は気まぐれという話なのだ。

比川までの道のりはアップダウンが激しい。島の中央は山なので、それを乗り越えなければならない。まず、私は激しい上り坂にぶちあたった。

ふー、ふー、こいでもこいでも自転車は進まない。
ふー、ふー、もたもたとハンドルがよろつく。
ふー、ふー、くわー!もうだめだ!誰か助けてーーー!!!

私は自転車を手で押すことにした。とにかく、この勾配の急な坂道をやりすごすしかない。途中、軽トラックが私を追い越していった。運転手が、バックミラーで私の姿を確認しているのがわかる。ほら見てごらん。 バカがくそ暑い中、自転車をこいでいるよ、と指をさされているような気がしてならない。

うっそうとした茂みの向こうには、ジャングルように木々が密集している。そちらから、ワンワンとセミの鳴き声が聞こえてくる。何百というセミの声の重なり。その音はとてつもなく深い。

やがて、坂を上りきり、辺りの景色は完全に農場ととうきび畑に変わった。自転車をびゅんびゅんこいで、風を切る。 うひょー!気持ちいーーーーい!!

太陽は頭上真上に位置し、汗が滝のように流れていった。頭を触ると、沸騰したやかんくらい熱くなっていた。帽子もかぶらずに外へ出るなんて無謀だっただろうか。顔中から吹き出る汗を、タオルでぬぐった。そして、自転車のかごに転がるウコン茶をがぶ飲みする。ぬるい。というか、 温かい...。午前中だからまだ涼しいと思ってたのに...とんだ誤算だった。

じりじりと肌を焦がす太陽に、アスファルトが白く照り返していた。もうけっこういいところまで来たと思うけど、まだまだこの先も炎天下の道は続くのだろうか。道には木陰一つ見当たらない。

ちょうど目の前の道は、下り坂にさしかかっていた。これを勢いよく下ればすぐに比川だろう。向かい風は、きっと心地いいに違いない。しかし、祖内に戻るときにはこの坂を再び上がらなくてはならないのだ。どうする、私。絶体絶命、私!

くるり。

あっさりと方向転換し、私は祖内に戻ることにした。

やってらんねーよ、こんなに暑いんじゃさー。

ちゃりちゃりと町に戻ると、お昼ごはんの時間だった。

(つづく)


6月11日-2 きっかけ
チチチーッ。

一際大きな鳥の声。目が覚める。
強かった日差しが少し和らいだように見えた。よし、宿の周辺を探検してみよう。

それでもまだまだ汗の出る暑さだ。
タオルで汗をぬぐいながら、私は散歩を始めた。

宿の前の道路は、島をぐるりと一周している県道だ。この県道の長さは、およそ24km。うっそうと茂る木々の色は濃い緑で、その様子は、ニュージーランドの北島の風景を思い出させる。ジャングルというにはオーバーだが、その自然の深さは、いかにこの島が豊かな水と日照に恵まれているかを物語っている。

宿の裏は住宅街だ。
重たそうな石の屋根は、かつてオレンジ色であったことがかろうじてわかるほど、灰色のでこぼことした石がむき出しになっていた。うっそうと茂る庭は、既にこの家に誰も住んでいないことを示している。ここは廃屋が多い。宿の数も多いが、廃屋も多い。かと思えば、ホテルかと思うほどの豪邸が建っていたりする。まぁ、豪邸と言っても、どこか素朴な感じがするのだけど。

沖縄といえば門にはシーサーがいると聞いていた。
でも、ここ与那国では、住民がそれほどシーサーにこだわっているようには見えなかった。ただ、石色をむき出しにした重たい屋根が、わずかに残る石垣が、軒先を彩るブーゲンビレアが、沖縄の匂いを漂わせていた。私のイメージしていた" 沖縄"とはずいぶん違う形だけれど。

ひょっとしたら、私はずいぶん偏った沖縄のイメージを持っていたのかもしれない。沖縄というけれど、ここは八重山地方。こちらの人は 沖縄と八重山を明確に区別しているようだし、八重山は、独自の文化を持っているのかもしれない。だとしたら、まったく私の知らない世界だ。同じ日本でありながら、こんな世界があるとは思わなかった。私は、自国であるという安心を感じると同時に、異国の地を踏んでいるようなわくわくした気持ちになる。

学校帰りの小学生がランドセルを背負って、通りすがる。
思わず手を振ると、なんのためらいもなく手を振り返してきた。

角を曲がると、軒先で仕事を終えたおじいが三味線を弾いている。
背後にあのゆらりとした音程の三味線の音を聞きながら、次第に私は自分の頬が弛んでいくのがわかった。

ああ、私、遠い所に来たんだなぁ。

海に向かった。
私が滞在しているのは、島では一番大きな集落の祖内という町。
ここにはナンタ浜というビーチがあって、近所の子供達が泳ぎに来たりするという。
今日のナンタ浜で泳ぐ姿は見られなかったけど、砂浜を散歩する人が数名見えた。

この島で見る初めての観光客かもしれない。
私はふらふらと浜へ入っていった。
ジャリジャリとした大きな粒の白い砂が素足に絡みつく。
この砂は、湘南の砂とは違う。ぷっくり膨らんでいて、まるで小さなお菓子みたい
思わず足を踏み入れた海は、日中の太陽をたっぷり蓄えていて温かかった。

『Blue Moon』を口ずさみながら、私は波打ち際を歩き始めた。私の背後の向こうから、きゃーきゃー言いながら楽しそうに貝殻を集める女の子達の声が聞こえた。私はなんとも穏やかな気持ちで、温かい波打ち際をゆっくりゆっくり歩いた。女の子達の楽しそうな笑い声が遠くで聞こえる。Blue Moonを口ずさむ私の声は誰にも聞こえない。ゆっくりゆっくり歩く。女の子達の声が小さくなっていく。きっと彼女達は反対方向に進んでいるんだな。私は歌う。Blue Moon〜 You saw me standing aloneー…・・ ・ ・

♪ズンチャカチャッチャー タリラリラ〜 ヨーォ〜♪

は?

しゃがれた男性の声に思わず振り返ると、私の背後で、サングラスをかけた初老の男性が私と同じように波打ち際に足を濡らして歩いていた。私は一人で散歩をしているつもりだったけど、まさかおじさん、ずっと一緒だったんじゃ...。 傍から見たら二人で散歩してたんじゃん!!

私が足を止めると、おじさんは顔を上げてこう言った。

「なーんもないところですわ。せやからこうして海を散歩するくらいしかないんですわ」

私、今日ここへ来たんですよ。これからいろいろと見て回ろうと思ってるんです。

「いやいや、なーんにもあらしませんって。ほんま、なんにもあらへんですで

おじさんは顔の前で手を振って苦笑してみせた。そして続けた。

「私はここに2日おりましたが、もうけっこうですわ。一日で飽きてしまいましたわ」

何もないのはわかって来たのだが、こう何度も何度も「何もない」を繰り返されると、ここへ来た私はアホなんじゃないだろうかと感じてきた。あはは...。

「国からの仕事だけで食って来た所やで。戦後の建て直したて、もう終わりですがな。そしたらここも食っていけんようになりますわ。大変ですがな。金儲けても使うことあらしませんがな。だから馬鹿みたいに大きな家を作るのですわ。子供はキツイですわ」

おじさんもけっこうキツイけどね。

「農業やってても、米なんか買うたほうが安いですがなーーー」

おじさんはインパクトありすぎのアクセントで言い放った。
聞けば、おじさんも沖縄出身だとか。現在は大阪に住居を構えているという。

「イカ墨汁を名物にしてるけど、全部スペインからの輸入ですがなーーー」

期待に胸を膨らませた私におじさんは、絶望、という二文字の刻印を押して去っていった。ここへ一週間滞在するというのは誤算であったか。いやいや、自分で試してみればわかることじゃないか。おじさんにはちょっと退屈だっただけ。私はどこに行ったって退屈しないって自信があるもの。

宿へ戻り、夕食を食べる土間へ向かうと、一人の宿泊客が座っているのが見えた。

おお!やはり宿泊客がいたのか!!思わず駆け寄り、一緒にご飯を食べましょうといきなり誘う。振り返ったその人は、見た目30代の黒く引き締まった細身の男性。優しいまなざしで、

「いいですよ」

と答えてくれた。
彼と話していくうちに、彼が旅でここへ来ているのではなく、蝶の採集のために与那国へ訪れたことを知る。そして彼は言った。

「僕みたいに目的があるならここはいいところだけど、君みたいに目的もなくここに滞在するとすると、一週間はかなりキツイと思うよ

今手に入れたと思った希望が、乾いた砂となって手のひらをこぼれていくのを感じた...。

しかし、この出会いはやがて私の与那国滞在を充実させてくれる面々との出会いに繋がるきっかけだったのだった。

(つづく)



6月11日-1
最西端の島、与那国

那覇を出発し、石垣を経由して与那国島へ。

上空から八重山を見下ろすと、日本ではあり得ないようなマリンブルーの海に囲まれた島々が見える。平らな島には、集落が数箇所しかない。自然に間借りさせてもらうように暮らす人々。さぁ、これから行く与那国はどんな人々が暮らしているんだろう。

11:50分、定刻通りに飛行機は着いた。
与那国での宿は、 民宿おもろ 。空港まで、宿の人が迎えに来てくれているはずだ。

ベルトコンベアに運ばれてくる荷物を見つめながら、私は自分のザックが出てくる順番を待った。それにしても、私と同様のバックパッカーはどこにいるのだろう。このベルトコンベアに集まってくるのは、どうみても地元のおじさんばっかりだ。それも、物資を運んでいるんだろうか、商品と思われる段ボール箱が山積みになって出てくる出てくる。

小さな空港での見慣れた光景。
観光客よりも、ここの空気になじみきった人達の面々が目立つ。どうやってこの島になじもうかと模索しながら、私はこの人たちの顔を見た。皆、日焼けした顔に深々とした皺を刻んでいた。

ようやく出てきたザックを背負って出口へ向かう。
こんな小さな島だというのに、迎えに来る人がたくさんいるんだ。私は自分を迎えに来てくれる人をすぐに見つけられるだろうか。宿の名前さえ、うろ覚えだというのに。

私が探すよりもまず、ショートカットの女の子が声をかけてきた。

「nonさんですか?」

そうですそうです。あ、宿の方ですか?
女の子は、すっぴんが清々しい表情で、「すぐにわかりましたよ」と笑った。

この女の子は、宿のスタッフのまぁちゃん。北海道出身の21歳の女の子だ。

まぁちゃん「数ヶ月前の私と同じ格好。懐かしい!」

まぁちゃんの運転する小さなワンボックスカーで宿へ向かう。道すがら、まぁちゃんが住み込みのバイトをしながら、次に続く旅への費用を貯金していることを知る。あははは。どこへ行っても 旅人は旅人の匂いってすぐにわかるんだよね。私、まぁちゃんが旅人だってこと、すぐにわかったよ。

私達はすぐに意気投合した。
これからもたくさんたくさんお話することあるね。よろしくね!
後日まったりとした時間を共有しようと約束し、私達は宿の前で別れた。

宿には他に誰も宿泊客の姿は見られなかった
まさか、まったくいないわけではないだろうが、空港からずっとバックパッカーの姿は見かけなかった。おそらくシーズンでないので、旅人はあまり来ていないのだ。他の旅人から八重山地方の情報を得ようと期待していたが、これでは自分で調べねばならなさそうだな。

部屋にザックを置くと、私はいきなり畳の上にゴロンと横になった。

茶色く焼けた畳はボコボコしていて、柱は古くてボロボロ。天井も赤茶に染まり、小さな蛍光灯の電器がやけに近代的に見えた。でも、床にはチリひとつ落ちてなく、布団のシーツは真っ白でパリッとして気持ちいい。古くても清潔なこの部屋は、とても居心地が良さそうだ。さて、 私はこれから何をしよう

しっかりとした靴からビーサンに履き替え、シーンとした宿の廊下を通って外に出る。

与那国は、燦々と照る真夏のような太陽の下、薄いブルーの水を湛えた海に浮かぶ、亜熱帯の島だ。緑の濃さ、海の色の鮮やかさ、空気の濃さ、湿気の多さ、すべてを取っても東京の灰色の空の下とは違う。

思い切り伸びをして、空を見上げると、アゲハチョウがひらひらと飛んでいくのが見えた。

こめかみから汗が垂れていくのがわかった。
ハンカチで汗をぬぐう。
暑い。これが沖縄か

道路に出ると、人っ子一人歩いていなかった。
隣には、レンタルバイク屋とガソリンスタンドがある。
でも、客の姿はおろか、店員の姿さえ見えない。

暑すぎて、誰も外なんか出てきやしないんだ。

誰も歩いていないというのに、私は強い日差しの下、お昼ご飯を食べに出かけることにした。近所に、マルキ食堂という地元の定食屋があるというのだ。観光客目当ての食堂よりも、近所の人が集まるような食堂に行ってみたい。

200mほど歩いた左手に、食堂はあった。
開け放しの入り口から店内に入ると、重低音のブーンとした音が箇所で聞こえた。次に、かつらが吹き飛ぶような風が八方から私を襲った。見れば、この食堂では8箇所以上の大型扇風機からの豪風が店内に吹き荒れているのだ。冷えた空気よりも強い風で体の熱を飛ばす!いいねぇ。健康的だねぇ。

私は首筋の汗をぬぐった。
メニューを見る、いろんなメニューがある。迷う。迷うなー。何を食べようかなー。これから一週間もここにいる予定だし、端から順番に食べていけばいいか。よし!それなら今日は、右端の『与那国そば』を注文しようかな!

若いのか若くないのかよくわからないコケシ顔の女性がメニューを取りに来た。愛想はない。地元ではない客には冷たいのだろうか。まぁいい。とにかく与那国そばを食べてみるよ。

運ばれてきたそばは、透き通った黄色いスープにラーメンとうどんの相の子のような麺が入り、さつま揚げと豚肉と野草が添えられた逸品だった。スープはしょうがの味がほどよく利いており、ボリューム満点の麺は私の丸い腹を更に丸くさせた。おいちー!くるちー!

愛想のない女性に金を払い、私は再び人気のない外へと出た。
本当に人がいないよ...。誰も歩いてない。旅の醍醐味は人との出会いだというのに、人がいないんじゃ出会うことも出来やしないよ。耳を澄ましても、聞こえてくるのは鳥の声だけ。あー、この調子じゃ私、誰ともしゃべらず 言葉を忘れるな。東京に戻ったら、

あーあー、うーうー

しか言えない変人になってるかもしれないよ。そうして、久しぶりの飲み会では、石とかぶつけられて「あっちへ行け!」とかって言われたりするんだろうな。(ねぇよ)

午後の時間はゆっくりと過ぎていく。
汗で湿ったGパンを洗濯しなくちゃ...と思いながら、私は宿の畳の上で昼寝をするのであった。

いずれ私を温かく迎えてくれる与那国に、漠然とした不安を抱えながら。

(つづく)



6月10日 沖縄という日本

久しぶりの旅だ。
去年一年、私は部屋の中でくすぶり続け、今年になって急に自分の中の自分が暴れだした。

そうだ。旅に出よう。

そう思い立った時、私は自分の中にわくわくするような光が灯るのを感じた。
頭の中で行き先を考える。どこへ行こう。行きたいところは無限にある。世界地図、日本地図、そして、心の中の地図を広げて、私は無限に感じる。今度はどこへ行こう。どこへ行こう―――。

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飛行機のタラップを降り荷物を受け取ると、バックパックを肩に私は空港の外へ出た。

と同時に、視界がぼやける

辺りは白い霧に包まれ、上も下もわからなくなる。
ただ、耳から聞こえる音が妙に現実的だ。車のエンジン音。人の声。クラクション...。
ああ、何も見えない。いったいここはどこ...?

私は曇ったメガネを外した

それにしてもすごい湿気だ。冷房の効いた屋内から出たとたん、メガネが白く曇ってしまう。さすが沖縄 。雨季末期、しかも今夜は台風が上陸するというので、空は重たく、既に強い雨が降りつつあった。体感的には湿度2000%といったところだろうか。(息できないよ、それじゃ)

そう。
今回の旅の目的地は琉球地方
近くて遠い、日本の果てを体験したかった。沖縄は那覇を経由し、日本の最西端である、与那国という小さな島を訪れる予定だ。今夜は那覇空港近くのビジネスホテルへ宿を取り、明日の早くに石垣経由で与那国へ入る。与那国へのアプローチは、飛行機か船のどちらかだが、船は効率が悪い上に接岸できないこともあるというので、空路を選んだ。

出発は明日なので、今日はゆっくりと沖縄の空気に体をなじませよう。それでなくても、ぜんぜん沖縄の勉強をしてきてないんだもの。いったい那覇には何があってどこへ行けば楽しいのか、ぜんぜんわからないよ。

ザックから沖縄のガイドブックを取り出す。
ぱらぱらとページをめくると、『公設市場』という文字が飛び込んできた。

市場というだけに、食べ物がたくさんある場所であることは間違いない。私は市場が大好きだ。魚市場だろうが、野菜市場だろうが、お花市場だろうが、市場へ行くと血が滾る。しかし、市場市場と言っても、東京市場だけはどうにもなじめない。円高って何?ユーロって誰?ダウって食べられるの?

さっそく公設市場へ向かうと、ショッピングアーケードが続いていた。

アーケードでは、観光客向けの雑貨や名物、特産品が並んでいた。噂に聞いたことのあるフレッシュゴーヤジュースなども売っている。これって、地元の人も飲むのかなー。なんか無理やり特産品を観光名物に変身させちゃったってやつじゃないのー?私はねー、もっと地元から愛され続けているものを食べたいわけよー。おじいもおばあも、みんな朝から ゴーヤジュースで一日が始まるっていうんだったら、飲んであげてもよくってよ。

と、心の中でぶつぶつ呟きながら、私はアーケードを通過した。
それにしても人がいない。季節外れの平日ということもあるのだろうが、それに加えて台風も近づいているので、地元の人すら歩いていない。いやー、閑散としているなー。

やっと見つけた公設市場を一巡りする。
市場は客はいないが活気があった。おばあが私を捕まえ、「島らっきょう、食べていきな」と試食品を突き出す。白く小さならっきょうをぽいと口放り込むと、エシャロットのさわやかな匂いと程よい塩味が口の中に広がった。おいしい!という感情を顔に出すか出さないかのうちに、おばあはすかさず「観光?いつまで沖縄にいるの?いつ帰るの?これは長持ちするよ」と売り込んでくる。う...、売り込みを断るセンスと値切りの才能が欠如してるこの私に、勝負を仕掛けてくるというのか?おばあ、それはひどいよ。 丸腰の私にピストルを突きつけているようなもんだよ

私は素直に、今日来たばっかりでこれからいろいろ回るから、と答えて断った。おばあはピストルを下げてくれた。よかった。私の悲痛な視線がおばあの心を動かしたのだろうか。

市場には豚の顔の皮(ミミガー)やゴーヤがひたすら並んでいた。豚の足やその他不明の部位などもゴロンと並んでいたが、私はそれにビビるほど乙女チックな感性は持ち合わせていない。そもそも、こういうものは チャイナタウンにごろごろしているものだ。それほど珍しい光景でもないし、グロテスクだとも思わない。だって、食べ物じゃん!

沖縄の食文化に触れつつ、市場の二階へ上がる。
そこは公設市場の食堂となっていて、半ば観光名所となっている。

階段を上がると、すごい!いくつもの食堂がぐるーっと一周している!みんな同じ食堂かと思いきや、それぞれ個性を競い合うべく、店内の雰囲気やお料理が違っているのだ。うわー、まるでフードコートみたいだー。

ぼんやりしていると、食堂の呼び込みにあう。

あうー、いきなり来て、あなたのところへ行くわけにも行かないので、一周させてください。

私は呼び込みにそういうと、ぶらぶらと各食堂をのぞき始めた。
すごいすごい。ほんとにいろいろあるんだ。こんなにいろいろあるのに、すごく混んでいるところと空いているところの差が激しい。うーむ。悩むなー。

悩んでいるうちに一周してしまった。
同じ呼び込みの兄ちゃんに再び声をかけられる。

...まだわからないからもう一周させてください

と呼び込みに言うと、私はもう一周、食堂を見物した。うわー、すごいなー。ほんとに迷っちゃうなー。

結局、私はそこそこに混んでいる店を選んだ。
カタコトの日本語を話すアジア系の男がメニューを取りに来る。私を観光客と見るや、沖縄名物の食品をこれでもかこれでもかと勧めてくる。私はここの土地の人が普通、と思う食べ物を食べたいんだよー。何もそうやって"沖縄"を押し付けてこなくてもいいじゃないかーーー!!!

と思いつつ、私は島ラッキョウにグルクン(名物の魚)の揚げ物、ゴーヤチャンプルを注文するのであった...。

(つづく)


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