昨日の夕方(14日)、Whangareiというとても小さな町に到着した。NZに到着して、その景色を見ても、ホストファミリーと対面しても、なぜか興奮することがなかった。ホストファミリーも手馴れたもので、日本人を見ても興奮もしなければ、私という人物像を知ろうともしない。だからといって、別に不愉快な家族というわけではない。まだ二日目だ。じっくりと交友関係を築いていけばいいじゃないか。
今朝、学校へ着くとなぜか興奮がむくりと湧き上がってきた。なぜかというと、こんな歳になって再び学校生活に戻ってしまうからだ。いったいどんな学校生活になるのか楽しみだ。学校のスタッフに連れられて、教室まで歩いていく。教室に入ると、既に生徒数人が予習をしたり談話したりしていた。私は生まれた初めて、転校生気分を味わった。なるほど、転校生とはこのようにちょっとフレッシュで孤独な気分を味わうものなのか。
孤独を味わったのはほんの数分。私はガツガツといろんな人に話かけにいった。教室の3分の一が韓国人、中国人を占めていた。日本人を除くアジア系の人々は、移民の人たちであった。中国人の人はみな明るい。韓国人の人はとてもおとなしい。でも、総じてみな優しい。中国人のビーンさんは、英語を勉強したら、いずれ祖国へ帰るとのことだった。中国ではお医者様を生業としていたらしい。どうりでむちゃくちゃ記憶力がいいと思った。
初日に比べて多少余裕が出てきたのか、周囲の状況がだんだん読めるようになってきた。私がすみ始めたWhangareiは、羊よりも牛が多い。現に、NZに到着してからまだ一頭も羊を目にしていない。平らな高原が広がるのかと思いきや、周囲は山と丘ばかり。丘の急斜面に牛がへばりつくように草を食べている。なんとも不思議な光景だ。さらに、NZの牛は顔が白い。どの牛もみんな顔が白いのだ。体が茶色でも、黒色でも。
なだらかな丘がいくつも見える野原。小さな森ともいってもよいその木々の集合が、眼下に広がる淡い緑の草原に、盛り上がっている。彼方まで目をやると、牛が群れになっているのが見える。その景色は、さながらイギリスの田舎を思い出させるが、よく木々を見てみると、南国に生息しているような大きなシダの葉を茂らせていたりする。近くに寄って見てみると、まるでボルネオのジャングルから一部分だけ切り取ったようなかんじに見える。そんな景色を見てもまだ、私の心は興奮しない。海外で暮らし始めたのだ!という実感がわかないのだ。またすぐでにも日本へ戻るような気分がしてしまうのだ。来週には渋谷のバーでまた飲もう、とか久しぶりに新橋まで飲みに行こうかな、なんてうっかり考えてしまうのだ。どうも、私には覚悟が足りないらしい。それとも、期待するほど物珍しいものがないからなのか?
景色や生活の習慣は、私の知っているアメリカとかなり違う。彼らの話す英語も、私の知っている英語と発音が違う。もちろん、学校の先生だってNZの発音だ。それがいやなわけじゃない。その発音にもずいぶん慣れてきたと思う。しかし、何かが足りないのだ。この生活に、何かが足りない。何かが違う。
何が足りなくて、何が違うのが、知ろうとするのだったら、まだまだ時間がたっぷりある。焦らずにじっくりゆっくり、ここの生活に馴染んでいこうじゃないか。
とりあえず、学校1日目は終了した。
宿題もちゃんとやった。復習もちゃんとやった。
学校の授業は、思ったよりレベルが低かったので、自分で自習でもしないと、今のレベルよりももっと上達するのは難しそうだ。せっかく学校に通っているのだもの、目に見えるような上達がしたい。
明朝は、ホストファミリーのママと一緒に犬の散歩に行く。
犬と猫だけには、モテモテなんだけどねぇ。
(つづく) |