Jun (前編)

6月(前編)

 1日  14日  15日 16日  18日 22日
 
 

22日 Hot Water of the beachの屈辱
 
コロマンデル半島の入り口、テムズで一泊し、今、私達は当てもなく半島の先へ向かって走っている。

曇り空の下に、どんよりとした海がうねり、もうずいぶん長いことこの海岸沿いを走っているのに、未だに私達以外の車は見られない。ゆっくりのんびり、景色を楽しみながらドライブだ。カルメンがカセットテープに合わせてハミングをしている。どこまでも続く海岸線は、緑のトンネルになっている。木々の間に白い波を見ながら、ずっとこの道が続けばいいのにと思った

途中で、いくつか小さな町を通過した。今、道は海から離れ始め、急な峠を登ろうとしている。先ほどから降り始めた雨がだんだん激しくなってきた。1m先も見えないほどだ。外は薄暗い。カルメンは無口になった。

大きな町でいったん停車し、地図を広げる。それにしても激しい雨だ。雨漏りしないといいな。
地図に、"Hot Water of the beach"と書かれている地点が目に入る。そう、今日はここまで行きたいのだ。距離としてはそんなに遠くないはずなのに、この雨ではなかなか先に進めない。そろそろと走り始め、ルート25号線を走る。景色はどんどん寂れていく。もはや海も見えないし、私達は湿った山の中をただただひたすら走る。道路がアスファルトから砂利道に変わり、車がすれ違うのも不可能なくらい細い道になっていく。昼間だというのに、車の通る気配もない、薄暗い山道。本当にこの道でいいのかな。一瞬、頭の中でトランクの荷物を確認する。このままここで野宿することになったとしても、私達にはパンがある、水がある、チーズもある。ガソリンも満タンだし、万が一の場合でもなんとかなりそうだ。

1−2時間ほどそんな道が続いたカと思う。しかし、道は突然アスファルトに変わり、進んでいる道が正しいことを示すハイウェイボードが現れる。ほーぅ、よかった。とりあえず、道に迷った訳ではなかったみたい。

激しかった雨も、小ぶりになってきた。私達はHot Water of the beachから一番近い、Haheiという町に滞在することにした。ルート25号線から少し外れ、Haheiに向かって走り出す。細い道が牧場の間に続く。私達の車が牛を通り過ぎて行く。

ほどなくHaheiに到着。なんと...教会が一つ、古い商店が一軒だけの小さな町だ。人口、50人と言われも不思議ではない。町が小さいので、見かける人も少ないが、私が見た町の人達はすべて老人だった。この町に若い人っているのかなー?目的のバックパッカースを目指す。かなり広い敷地のバックパッカースだ。でも、人っ子一人いない。やってるのかなー?

庭師と思われる、鼻の長い腰の曲がった老人が「何か用事かね?」と話しかけてくる。私は車を降りて、ここに泊まりたいんだけど、と話をする。オーナーは今出かけてる。10分くらいで戻ってくるから、ちょっと待っているといいよ。赤いピックアップがオーナーの車だから。と言われた。私とカルメンは車の中で暖を取りながら、オーナーを待つことにした。この雨模様で気分も盛り下がり気味だ。

しばらくすると、赤いピックアップが駐車場にやってきた。私は車を降りた。この町には赤いピックアップがよく似合う。砂利道ばかりだから、きれいな車だと、たちまちタイヤが真っ白になってしまうだろう。オーナーが車から出てきた。

ぎょっ。ま、まじ?
オーナーは一回り小さくなった高木ブー。頭はもしゃもしゃ、シャツはくしゃくしゃ、そして長靴を履いている。

「一泊かい?」

オーナーは体を掻きながら、私をオフィスへ連れて行く。カルメンが車の中で心配そうに見ている。しかし、このおじさん、見なりは悪いが、別に悪人というわけではなさそうだ。

「日本人かい?」

そうです。と、とりあえずにっこり笑って答える。にっこり笑うと、おじさんまでにっこりしてくれる。うん、やっぱりいい人だ。おじさんはバックパッカースは今、手直しをしている最中だから、よければ二人部屋があるよ、金額はバックパッカースと同じでいいから、と言ってくれる。二人部屋、しかもバックパッカースと同じ金額と聞いて、こちらとしては願ったり適ったりだ。取引成立ということで、さっそく荷物を部屋へ運んだ。部屋の中には、ダブルベッドが一つと2段ベッドが置いてあり、そしてキッチンが設備されている。ここのバックパッカースは、トイレもシャワーも離れになっている。トイレに行くたびに、雨の中を走らなくてはならない。ああ、寒いのになぁ...。

突然、コンコン、とノックする音。ドアを開けると、おじさんが大きなふかふかの布団を抱えて立っていた

「今夜は冷えるから。ヒーターはちゃんと動いているかい?」

うわー。おじさん、身なりは悪いけど、いい人だって知ってたよ。思ったとおりだよ。ヒーターはちゃんと動いているよ。どうもありがとう!私達は機嫌のいい声で、おじさんにありがとうと伝える。おじさんは照れたような笑いを浮かべて去って行った。

さー、布団もあるし、どのベッドで寝ようか。

「あらやだ。もちろんダブルベッドに決まってるじゃない。」

そうか。じゃあ私は2段ベッドのほうで眠るよ。

「なんで?一緒にダブルベッドで寝ましょうよ。そのほうがふかふかでいいでしょ?」

え、カルメン?眠りの浅いあなたがそれでいいなら、私はかまわなくってよ。私はどこでも眠れるし。

「じゃ、決まりね!」

と、カルメンは無邪気だ。そうか。女の子と二人でダブルベッドになんか眠ったことないけど、まぁ、こだわらなくてもいいのかな。

しばらく休憩した後、私達は夕飯の支度に取りかかった。
明日はHot Water of the beachに行くのだ。この寒さが、私を熱い風呂への羨望をかきたてた。ああ、熱いお湯に浸かりたい。言うのが遅くなったが、実は今回のプロジェクトは、『Hot Water of the beachで自作の風呂に浸かる』だった。Hot Water of the beachとは、温泉の涌き出る海岸のことで、噴火によって地割れした部分から、熱いお湯が涌き出ている、とのこと。私達は夕食の準備をしながら、Hot Water of the beachについて、ああでもない、こうでもないと語り合った。

翌日、相変わらず身なりの悪いおじさんに手をふり、私達はバックパッカースを後にした。昨日とは打って変わって今日は晴天だ!ああ、よかった。露天風呂に入るのに、雨じゃ哀しいもの。私達は機嫌よく、走り始めた。バックパッカースからHot Water of the beachまではほんの15分ほど。雨に濡れた牧草がキラキラ輝くのを横目に、私達は一路、海岸へ。

海岸に着くと、寂れた商店がポツンと建っていた。人気はない。まぁ、シーズンオフだからね。そういうこともあるよね。

車を降りて、海を眺める。なんと美しい景色!太陽に照らされた海はコバルトブルー。波の音と鳥の声。ああ、本当にいい気持ち。海を見ていると、自分が地球の一部であるってことを痛感してしまう。

目の前を砂浜が広がる。私達はさっそく海に向かって走り出した。
しかし、何かが違う。何かがおかしい。お湯はどこ?湯気はどこ?

カルメンが砂浜を触る。

冷たい...。

えええーーー???そんなバカなーーー。Hot Water of the beachだぜー?そんなことあるわけないじゃん!
しかし、無常にも砂浜は冷たい。ザパーン!と波が押し寄せる。一体...どういうこと?

私達は商店のおやじに、一体何が起こっているのかを聞いてみることにした。

「引き潮が終わっちゃったからね。熱いお湯は今は波の下だよ。」

ガーーーーン!!
どうやら、お風呂を作るためには、引き潮のタイミングを見計らわないといけないらしい。おじさんが「夜の9時半に、もう一度引き潮が起こるよ。」と教えてくれた。でも...。夜の9時半に、若い娘が水着姿で風呂を制作する姿はあまりにも悩ましすぎることであろう。私達はこのプロジェクトを断念することにした。

私達はおやじから聞いた、正確なお風呂地点を遠まきに見て、せめてもの記念に、と写真を撮った。

Hot Water of the beachめ。今回は断念せざるを得なかったが、必ずや再来して、オリジナルお風呂を作ってやる

さてさて、私達が次に目指すのはTauronga。どんな町かも知らないけれど、高木ブーおやじが強く勧めるバックパッカースがあるというので、そちらに行くことにした。

Taurongaでのプロジェクトは『NZでも名高いバックパッカースを視察する』である。

(つづく)


18日 虹を追いかけて
 

Whangareiを後にして、今日からカルメンのホストフマザーの息子さんのお家にお世話になることになっていた。
彼はオークランドに住んでいる、36歳の独身男性だ。バツ経歴はない。

「彼はとっても優しいのよ」

とカルメンが彼について教えてくれる。こちらに来てから、年上の独身男性と過ごすことなど滅多になかったので、私の心はウキウキしていた。独身男性だなんて、旅に色がつくってもんじゃないの。

WhangareiからAucklandまでの道のりは、約2時間から3時間。
牧場の向こうには海が見えるという、絶景を楽しみながらのドライブだ。昨日のうちに、私はドライブ用ミュージックを制作しておいた。セリーヌ・ディオンやエア・サプライなどを聞きながら、カルメンと私は大声で歌う。わからないところは、でたらめの英語で歌う。

急な丘を登りきると、急な下りが待っている。アップダウンを繰り返しながら、私達の車はオークランドへ向かう。

「あーーーーっ!!!」

突然、目の前に大きな虹が出現した。しかも
私達は虹に向かって走っていた。遠くの虹がどんどん近づいてくる。虹が手を伸ばせば届くくらいの距離に近づいた。さぁ、虹をくぐろうと思っても、虹は私達からどんどん逃げて追いつかない。虹の根元を掘ると宝物が出てくるって聞いたことがあるけど、これじゃあどこまで行っても、虹には追いつかないよ。峠の頂上から見下ろす道は、緑の敷地にブルーのリボンを敷いたようにうねっている。虹は、追いついてごらんよと私達をからかっているかのようだ。

峠を降りてしまうと、視界が晴れ渡り、いつのまにか虹はどこかへいなくなってしまっていた。私達は走りつづける。途中、カルメンがふと、「今日のフルーエンシースピーキングは"栄養"についてです。」と言った。フルーエンシースピーキングとは、私達が、学校にいたときによくやっていた授業の一つだ。テーマを一つ決めて、それについてディスカッションするのである。栄養に並々ならぬ感心を抱いているこの私に、栄養を語らせるとは、なかなか見込みがある。恐らく私は、1時間ほど栄養について語っていたかと思う。語り終える頃には、カルメンもすっかり栄養フリークに生まれ変わっていた。

さて。そうこうしている間に、私達はオークランドに到着してしまった。例の独身男性とは彼の会社で落ち合うことになっている。私達は彼と会うからといって、前日の食事にラムステーキを食べていた。ソフィアのディナーに招かれた夜、彼女は「ラム肉は女性ホルモンを活性化する」と教えてくれたのだった。翌日、さっそく私達はラムステーキを調理したというわけだ。それも、庭から摘んだフレッシュなローズマリーまで添えて。女性ホルモンもばっちり、数少ない旅支度の中でも一番のお気に入りのTシャツを着て、彼に会うための私達の準備は万端だった。カルメン、いつもより美人だよ。いやいや、のりここそ。そんな会話をしながら、馬鹿笑いをしていた。そして、私達は彼の会社のビルの前まで辿りついた。

「あ、もう外に出てきてるわ。彼よ、彼!キース!!」

カルメンが手を振る。運転席からは電信柱が陰になって彼が見えない。カルメンは車を飛び降りた。私は急な坂道での縦列駐車にしばし集中。ようやく駐車できたところで、車を降りた。36歳、独身、バツなし男性のキースは待ちかねていたかのように、右手を私に差し出した。

「Nice to meet you, Noriko?」

いやー、初めまして...。え?.......え゛?

−しばし沈黙−

く、くぉらーーー!カルメン!!話が違うじゃんかーーーっ!!なんだよーっこれーーーっ!金返せー!え?金なんか取ってない?じゃ、チェンジだよっ、チェンジッ!!!

36歳、独身、バツなし、金持ち、一軒家屋持ち、車はBMWの男性、キースの正体は、出っ歯の丸ハゲだった...。

私達は彼に連れられて、彼の家へと向かった。彼の家は、白を基調とした、女の子が喜びそうなかわいらしいお家だ。彼は私達のために部屋を暖めてくれ、冗談を言って笑わせてくれ、外へお食事に誘ってくれた。そんなことをしてくれなくても、彼が優しくて穏やかでチャーミングな男性であることは、すぐにわかった。

私達は近所のイタリアンレストランまで行く。キースはサーロインステーキ、カルメンはチキンサラダ、私はスパゲティを注文した。食事の最中、世界中を旅して回ったというキースの話に耳を傾け、私達はとても楽しい一時を過ごした。こんなかわいい女の子を二人も連れてキースも幸せに違いない。(おいおい、自分で言うなよーーー)食事は終わってしまったが、興にのったキースが、まだお家には帰りたくないという。

「アイリッシュパブに行って、ちょっと飲もうよ。」

大賛成だ。私達はタクシーでダウンタウンまで繰り出すことにした。

アイリッシュパブの名前は『Bollix』。犬ふぐりという意味らしい。そこには、オーナー自らがステージでアイリッシュミュージックを演奏してくれる。客は彼らの演奏に合わせて激しくダンスを踊り、大騒ぎだ。私達も大きな樽の上にビールを置いて、ダンスを踊る。ミュージック自体がひじょうにカントリーなので、ダンスはとてもオールドスタイルだ。ダンスの踊れない私は、体を揺らして、ごまかしていたが、キースに「ダンスだよ!ダンス!」と強く勧められ、切羽詰った私はゴーゴーダンスを踊ってしまった。しかし、これが周囲の白人達を熱くさせるとは思わなかった。彼らも私を真似てゴーゴーダンスだ。私は、彼らをこんなふうにしてしまい、良心に胸が痛んだ。そんなところへ、ひときわ体の大きなおじいさんが私にダンスを申し込みに来た。私達は手をつないで、音楽に合わせて楽しくダンスを踊る。おじいさんが片手を持ち上げて、私をくるりと回す。回ったかと思うと、もう一回転、更にもう一回転、いやいや、そうは言わずにもう一回転、今日はいつもより多く回しています。おいおいおいおい、目が回っちゃうじゃないかーーー。ゲラゲラ笑いながら、バンジョーに合わせておじいさんと踊るダンス。アイリッシュパブは東京にもたくさんあるけれど、こんな家庭的なところってあったっけ。散々ぐるぐる回転させられたが、ようやく音楽が終了し、おじいさんと私は丁寧にお辞儀をして、ダンスを終えた。

私達は再びタクシーに乗り込み、キースのお家へ向かった。
キースもカルメンも酔っ払ってる。「のりこ?私達の明日の予定はどんなだったかしら?」カルメンがトロンとした目で聞いてくる。明日にはコロマンデルに向かおうと思っていたが、キースの「もう一泊していきたまえよ」の一言に甘えることにした。
キースの家の前に植えてあるローズマリーを指差して、「昨日、ラムステーキにこれを使ったんだよ」というと、キースが一瞬、固まった

「のりこ、これはラベンダーだよ...。ラムステーキにラベンダーを添えるなんて、聞いたことがないよ。」

に、似てるからいいじゃん。私もひょっとしたら違うかも、と思って添えるだけで食べなかったんだ。でも、カルメンはすっかり平らげてたな。でも、なんともないみたいだし、まぁ、ほら、万事休す、だよ。

お家に帰ってから、私達は蝋燭を灯し、天井の窓から見える星空を見ながら、明け方まで話し込んだ。オークランドの星は、牧場から見える星空に比べるとずいぶん少ない。街の灯りが明るすぎるのだ。

明後日には出発しないとな、と心の中でつぶやいた。

(つづく)


16日 オリエンタルナイト
 

"Cows World"での失望は背後に置き去りにして、私達は南へ引き返すことにした。今夜はWhangareiに戻り、カルメンのお家に宿泊することになっている。現在、カルメンのお家には、学校の友達のメイメイ(美美)がステイしている。ホストファミリーは旅行中だ。帰りしな、メイメイのためにとスーパーマーケットで今夜の食事の材料を購入することにした。実は、私達には他にも目的があった。"Cows World"で強く勧められたヤギ乳を手に入れなければならなかったのだ。Whangareiでのプロジェクトは、"ヤギ乳を飲む"だった。"Cows World"のスタッフはこう言った。「ヤギ乳は牛乳よりも栄養価が高くとても美味しいんだよ。スーパーで買えるから、試してみたら。」と。栄養と聞いたからには、それを無視するわけにはいかない。

しかし、スーパーマーケットのデイリーコーナーのどこを探しても、ヤギ乳は売っていなかった。諦めかけたところに、カルメンが「のりこ!のりこ!見つけたわっ!」とヤギ乳を持ってきた。ヤギ乳はなぜかミロとかココアとかと同じ棚に並んでいた。ブルーのパックに、白いヤギが棒立ちになってこちらを見つめている挿絵が書いてある。見るからに新鮮そうじゃない。

「おーけー...」

私は一抹の不安を抱きつつ、カルメンから手渡されたヤギ乳をレジへと持って行った。カルメンは「明日の朝に飲みましょう」ととても幸せそうだ。ミルクが冷やされていないということは、長期に渡って保存できるということを意味しており、すなわち保存料が入っているということに、彼女は気がついていないのだろうか。まぁいい。明日の朝にはすべてがわかる。

カルメンのお家では既に学校を終えたメイメイがダイニングでくつろいでいた。旅はどうだったの?今夜の食事はどうしようか、などと話していると、突然電話が鳴った。ソフィアだった。ソフィアは中国メインランドからやってきた、強烈にハイテンションかつパワフルな女性だ。この私でも一目置いている。そのソフィアから、今夜は私のお家で食事を取らないか、と誘われたのだった。ソフィアは自分の料理を人に振舞うのが大好きだ。そして、その料理はいつでも強烈にスパイシーだった。辛いものを食べるとすぐお腹を壊してしまう私だったが、ソフィアの中国パワーには逆らえないものがあった。

私の車でソフィアの家へと向かう。ソフィアはホームステイをしているのだが、彼女のホストファミリーは仕事やプライベートの都合で、滅多に家に帰ったこない。ソフィアはそこの家の留守番を任されているかわりに、好きなようにその家を使っていいことになっていた。

ソフィアは私達を暖かく迎え、中国茶で歓迎してくれた。いいねぇ、中国茶。彼らのお茶の飲み方は、日本人の私にとっては少々風変わりだ。マグカップに直接お茶の葉を入れ、お湯を注ぐのだ。飲むたびにお茶の葉が口に入ってきて、ペッペッとしなくちゃいけない。私は中国風お茶の飲み方の安直さが気に入っていた。

「さー、椅子にかけてくつろいでて!すぐに作っちゃうから!」

と早口でまくし立て、彼女が腕まくりをした。ふと、彼女の肩越しに新鮮そうな赤い唐辛子を見てしまった。

「ソフィア、これは何?」

ペッパー、ペッパー!これから使うの!庭から取ってきたのよ!とっても美味しいんだから!すっごく美味しいんだから!と大声で唐辛子の素晴らしさを教えてくれる。私は勇気を振り絞って提案した。

「あの...あんまし辛くしないで...」

なんでー?すっごく美味しいのに!美味しいんだから!辛いのはすごく体にいいのよ!すごk...「私ものりこの意見に賛成よ」とカルメンが助け舟を出してくれた。私が腸弱ならば、彼女は胃弱だ。彼女も辛い味付けには弱い。

仕方がないわねー、とため息をつくソフィア。ごめんよ〜ソフィア。でも、旅を続けるためにもお腹がピーピーになるわけにはいかないんだよ。まぁ、いいから座ってて。というソフィア。彼女は小麦粉と水を混ぜ始めた。実は、彼女、中国四千年の歴史の麺作りの名人なのである。

彼女が麺生地を作り、麺と和えるためのおかずを作り始めた。ギョッとするぐらい太い菜っ葉包丁を右手に、バキバキと鶏肉を解体し始める。ひー、恐ろしいよーーー。もー、小骨も太骨もなんのその。バキバキ叩いてちぎり、投げて振り回し、それはおおげさだけど、本当に凄まじいおろし方だった。

鶏肉、ジャガイモ、ねぎ、にんにくをしょうゆと唐辛子で味付けしたものの中に、先ほどの麺生地をスライスして手でびよーんとのばして落として行く。うーん、鮮やかな手さばきだ。中国茶を片手に、物珍しげにソフィアの立ち振る舞いを観察する私達。背後からソフィアのお気に入りのバイオリンの音が聞こえる。メロディは中華和音で、一瞬、本当に中国にいるのではないかと思ってしまうくらいオリエンタルさに満ちていた。

「さー!できたわよ!」

ドドーンッ!と大きな皿に大盛りになった料理をテーブルに置く。すごい。辛さが目に染みる...。横でカルメンが辛い湯気に咽ている

料理は美味しかった。辛かったけど、美味しかった。ソフィアは本当に料理が上手だ。いつも辛いものしか作ってくれないけど。

私達はソフィアの料理に舌鼓を打ちながら、一時の団欒を楽しんだ。
ソフィアは喋るのと食べるのにとても忙しそうだ。一気にまくし立てたか思うと、ガツガツガツッと料理をかっ込む。かと思えば、唐辛子は美味しいんだと言いながら、丸ごと口の中に入れて見せて、私達を驚かす。かと思えば、もっと食べてよ!と私達に料理を勧める。そんな彼女が、唐突に、本当に唐突に、「ねぇ、日本人ってエッチが短いって本当?」と聞いてきた。え...?み、みじかい?それはブツが短いとかモノが小さいとか、そういうことを聞いているのではなくて、時間が短いってこと?

「そうそう。本当に日本人は3秒で終わるの?」

お、おわらねーよーーーーーーっ。
そりゃ終わる人もいるかもしれないけどさ。鮭の交尾じゃないんだからさー。3秒ってことはないでしょう。知らないけど

「私もそんなことを聞いたことがあるわ」とカルメンまで!おいおいおいおい、せめて10分とかさー、人間的な時間を言ってくれよーーー。ソフィアが言う。

「私の彼は1時間よ。」

彼女の話では、彼女の彼氏というのは、1時間、休むことなく動きつづけるのだそうだ。ちょっとそれ、遅漏なんじゃないの?と思ったけど、単語がわからなかったので「すごいねぇ」とだけ言っておいた。ちなみにソフィアの彼氏はマオリ人。1時間動きつづける彼氏もすごいけど、そんな話題をいきなりふってくるソフィアもすごい。中国人は日本人ほど早いわけではないけれど、でもダメねと、ソフィアは言う。

その後、ソフィアの下ネタは延々と続き、私達はお腹がねじれるくらい笑い転げたのであった。

夜更けごろ、私達はカルメンの家に帰った。
楽しい一時をありがとう、ソフィア。私はあなたの発言を、ホームページで書くことにするよ。

帰ってから、ダイニングのテーブルを見ると、ヤギ乳が置き忘れててあった。
冷蔵庫には入れないのかなー。ちょっとだけ、試してみようか。ちゃんと飲むのは明日の朝ってことにしておいてさー、ちょっとだけ、一口だけ、試してみよーよー。カルメンに提案すると、それはいい考えね、と同意してくれる。私達は小さなカップにほんのちょっとだけ、ヤギ乳を注ぐ。見た目は牛乳となんら変わらない。カルメンが先に口にした。勇気ある行動だ。

突如として、カルメンはカップにテーブルをバンッと置くと、慌ててダイニングルームから出て行ってしまった。一体何が起こったんだ?テーブルの上で揺れるヤギ乳。私も一口...。

うっ!!!
なんだこれーーー!!!
うぇーうぇーっ!!!

もがき苦しむ私を、ダイニングルームの入り口から見つめるカルメン。

まっ、まずいじゃんかよ!これっ!!!
ヤギ乳ブームは一瞬のうちに私の心から消え去った。
このまったりとした生臭い白い液体を、どのようにして片付けたらいいというのだ。猫だって犬だって、こんなの好きにならないよっ!乳の出ないお母さんが、母乳代わりにヤギ乳で赤ちゃんを育てるって、スタッフの人が言ってたけど、そんなのうそだね。こんなに臭くてアヤシイ飲み物を赤ちゃんが飲むはずがない!!

ヤギ乳プロジェクトは執行されたが、プロジェクト自体は闇に葬り去られることとなった。カルメンは、もう一生ヤギ乳なんか飲みたくない、という。私達はヤギ乳をメイメイに「これすごく美味しくて栄養があるよ」と無理やり押しつけて、ヤギ乳の存在を忘れることにした。ヤギよ、なぜお前はこんなにまずい乳を生産しているのか...。

しかし、私の心の中で、何かが意義を唱えた。
きっとこれは本物じゃないんだ。やっぱり、ヤギから直接乳を絞って飲まないことには、本物のヤギ乳とは言えないんだ。

私は、ヤギの乳絞りを牛乳絞りのプロジェクトと平行して計画することを心を決めた。

(つづく)


15日  旅が始まる
 

出発の前日は、ホストファミリーと旅先での幸運を祈って乾杯をした。たかが2週間の旅だというのに、おおげさなんだから、もう。

今回は、NZの北島を2週間でまわる計画の旅だ。学校のクラスメイトだったハリキリ香港ガール、カルメンと2人で回る女の旅だ。我々の計画では、宿泊先はすべてバックパッカースと呼ばれる安宿、食事は自炊、 出来るだけコストをかけずに楽しく回ろう、ということになっていた。

ホストファミリー宅にストックしておいた、自炊用の調味料を荷物に詰める。私は素朴なニュージーランドの食事が好きだ。もちろん、中華も好きだ。調味料を物色する私を眺めながら、マイクがカルメンはニュージーランドの食事が好きなのかどうかをたずねてきた。実は、カルメンはニュージーランド料理が好きではない。彼女は自国の料理が好きだ。

「ほう、じゃあ、毎日ワンタンだな...。」

神妙な顔でマイクが言う。何か間違っていると思ったが、だまっておいた。
パッキングも終了し、車に向かう。マイクが玄関まで見送りに来る。心配そうに忘れ物はないか、バッグは大丈夫か、車は大丈夫か、と質問攻めに合う。大丈夫だって、心配しないでよ。国柄が違えば、間違いなくマイクは万歳三唱をしていたことだろう。

ぶるん。車が走り出す。さー、これから2週間もお家に帰ってこないんだぞ。丘の上に建つホストファミリーをバックミラーに見ながら、さわやかな気分でハンドルを握る。小春日和のよいお天気。さー、カルメン、待っててよ。今行くよーーー。

カルメンはつい先日、こちらでの勉強を終えて、現在は休暇中だ。休暇後はオーストラリアへ留学の予定。彼女は日本食も好きだ。彼女は散歩が好きだ。彼女は料理が好きだ。関係ないが私は彼女が好きだ。

呼び鈴を押すと、大きなザックを背負った彼女が出てきた。彼女はスリムだ。きっと中国茶の威力に違いない。今回の旅でも私達は中国茶を愛飲することになっている。脂を溜めがちな食生活には欠かせないアイティムだ。彼女の荷物を車に乗せて、彼女も忘れず助手席に座らせて、さぁ、出発だ!!

今日のプロジェクトは、北島の北部へ行って、乳絞りとNZのThe best of Fish & Chips を食べること。乳絞りの出来る場所は既にマイクから情報を入手している。"The Cows World" − 訳して"牛の世界"、それが乳絞りの出来る場所だった。乳絞り、素手で、生で、あの生暖かい乳を絞って、ストレートで飲むんだ!牛よ、今行くぞ!待っててくれ!!カルメンは「Oh Yeah...」とあまり気乗りでない。あははは。

しかし、さっそくだが、私は"The Cows World"を見過ごして、ずいぶん先まで来てしまった。うーん。仕方がないから、インフォメーションセンターにでも寄って、牛の世界の詳しい場所を聞くことにしよう。車を停めた町は、Kerikeriという小さな町だ。小さいけれど、夏は観光客でにぎわう美しい町だ。小さなCafeが道路沿いに立ち並ぶ。暖かい冬の昼下がり、町の角でタヒチから移民してきた人が、彼らの音楽に合わせてダンスをしている。のどかな雰囲気のこの町は、果樹園が多いことで有名だ。

この国では、各町に一つ、世界からの旅人のためにインフォメーションセンターが設置されている。旅人に優しい国だ。
Kerikeriのインフォメーションセンターはひじょうに小さい。図書館のついでにあるようなもので、観光地のブローシャも実にわずかだ。受付のおばさんに、私の乳絞りに対する情熱を熱く語る。

「乳絞りは、小さい頃からの夢なんです。」

おばさんは、「え?乳絞りが?」とちょっとあきれた顔をして吹き出した。よし、つかみはオッケー。おばさんは自分が小さい頃にどうやって牛乳を加工したかとか、どうやって保存したかなどを話してくれた。そして、地図に牛の世界の場所を○で囲み、その地図をくれた。ありがとう、おばさん。おばさんのためにも、乳絞りは必ず実現するよ。

乳絞りの場所までは、Fish & Chipsの場所から反対の方向にあったので、我々は乳絞りは翌日に決行することにして、先にFish & Chipsプロジェクトを決行することにした。この国で一番のFish & Chipsを出す店は、ManganuiというKerikeriよりも更に小さな町にある。Manganui(マンガヌイ)は釣りで有名な場所で、小さな入り江にある。今夜はここに宿泊することにしようということになった。しかし、ここは本当に小さな町だ。宿泊施設は2,3軒しかないし、Cafeは一軒。小さな商店が一軒。スタンドが一軒。本屋(宝くじ販売店も兼ねている)が一軒。それらが150mほどの間に軒を連ねている。それで全部。ここがManganui。

Manganuiのバックパッカースは、あまりもさりげない建物だったので、一度は見過ごしてしまった。カルメンのアドバイスに従い、もう一度戻ってみると、さりげなく「バックパッカース」と書いてある看板が下げられていた。やってるのかなー?と思わせる門構え。でも、ドアは開けっぱなしだし、やってるに違いない。「たのもー」という感じで建物の中に入る。ちょっと太目の中年のおじさんが出てきた。「バックパッカーかい?」と聞いてくる。短パンにTシャツの井出達。とても気さくなおやじだ。一泊17ドル。安いなぁ。でも、これがバックパッカースの金額なのだ。各部屋について、おやじが案内してくれる。ベッドルームは2段ベッドがたくさん並べられており、隣は自炊用のキッチンがある。離れにはシャワールーム。自炊用のキッチンには、山小屋でみかけるような、薪ストーブが置いてある。

「他にも一人だけお客さんがいるんだ。イギリス人だよ。マークっていうんだ。ヘイ!マーク!今夜はかわい子ちゃん達がお前を暖めてくれるってよ!」

あたためねーよ。
バーでテレビを見ている太目の男性が「どーも」という感じで手をあげて挨拶している。ふーん、こうやって男女ごろごろって一緒になって眠るもんなのねー。バックパッカースに寝泊りするのはこれが始めてだ。山小屋やテントだったら、いくらでもあるけどね。今夜はここに泊まることに決めた。夕食までにはまだちょっと時間があるので、その間にインターネットにアクセスすることにする。

おやじにアクセスの許可をもらいに行く。成り行きでおやじと世間話になり、おやじとその回りのことがなんとなくわかってくる。
おやじの名前はブライアン。オーストラリアからの移民で、離婚後ニュージーランドに移り住み、タイ人の女性をあらためて妻に迎えた。今は二人で静かな余生を過ごしている。一年半ほどベトナム戦争に参加した経験アリ。

残念ながら、ここの宿ではインターネットにアクセスは出来なかった。
ブライアンが、この町のインフォメーションセンター(とても小さい)に行けばなんとかしてくれるよ、とアドバイスしてくれる。私はパソコンを持ってインフォメーションセンターに出かけた。カルメンは夕飯まで一人で散歩してくると言って出かけてしまった。
インフォメーションセンターには、確かにパソコンがあった。でも、彼女のところで私がアクセスすることはできないという。

「2軒先の本屋さんに行けば、きっとなんとかしてくれるわよ。」

というアドバイスに従い、本屋さんに向かう。しかし、2軒先というのは、数少ない雑誌が並べられてあるだけの、妙に無駄な空間の広い宝くじの売店だ。店内では店員が地元の客と世間話をしている。しばし、店の入り口で立ちすくんでしまった。世間話をしていたおじさんたちの話し声が止み、二人が私を見る。

「...あの、ここは本屋さんですか?

二人がブーッと吹き出す。ああ、そうだよ。ここは本屋さんなんだよ、と言われる。地元の客が、またな!と言って去って行く。そう、私は本屋さんに来たんだけど、なんでか知らないけど、インターネットのことを話さなくちゃいけなんだよ。なんかへんだなー。なんて言おうかなー。

「インフォメーションセンターの人に、インターネットだったらここに行けって言われてきました。」

おじさんが戸惑う。私も戸惑う。私は最初から説明することにした。するとおじさんは合点がいったようで、自分のパソコンのところまで連れていってくれた。そして、「電話回線はここにあるから、使っていいよ。」といわれた。偶然にも、同じプロバイダーに登録していたので、電話料金はかからないことが判明。よかった。すばやく用事をすませ、おじさんの元へ戻る。どうしよう、やっぱりお金を払ったほうがいいのかな。どうやってお礼をしたらいいんだろう。

「あの...どうやってお礼をしたらいいですか?」

おじさんは、「お礼なんて、別にいいよいいよ。」と笑って言う。なんか、とっても暖かいものに触れたような気がして、嬉しくなった。田舎っていいなぁ。ありがとう、おじさん。本当にありがとうね

ついでにおじさんのところで宝くじを買って、立ち去る。
宿に戻ると、ちょうどカルメンも戻ってきた。さー、じゃー、Fish & Chipsを食べに行こうか。

海岸沿いを歩きながら、レストラン(?)まで散歩する。海からそれほど遠くない位置に対岸が見える。対岸は、隆起した大地に刈りこまれた明るい緑の牧場が連なっていた。なんだかイギリスの田舎の田園風景を思い出させる。海の水面が太陽に反射してキラキラしてまぶしい。もうすぐ日没だ。

その店では、魚の切り身がガラスケースの中に山積みになっており、それらの魚は量り売りだった。

カルメンは小食だ。彼女は小さな魚の切り身を選んだ。私は大食いなので、適当な大きさのものを2切れと、イカリングを注文した。

楽しみにしていたFish & Chips!わら半紙に包まれたそれを見た時は、早く食べたくて紙を広げるのももどかしかった。中を開けると、プーンと脂で揚げた衣とポテトフライの匂いがする。うーん、いい匂い!さっそく魚にパクついた。今夜の魚は、ブルーノーツ。白身の鯛のような味のする魚だった。魚はすごく新鮮で、肉はとても歯ごたえがあった。おいしいなー。NZ料理がキライなカルメン
も、ここのfish & Chipsは気に入ったようだ。雀が私達のおこぼれをもらおうと近づいてくる。な、なんだよ、お前ら!私はここの雀を見て愕然とした。だって、すっげー、でぶなんだもん!こんなの雀じゃないっ!!!まさしく転がりそうなくらい丸々と太った雀。ホントに、飛べるのかな。

お腹いっぱいになった私達は、腹ごなしにそこらへんをぶらぶらして歩いた。うーん、静かな町だなぁ。たまに通りすぎる車の運転手は、だいたいお年寄。景色がきれいで暖かい気候のこの辺りは、リタイアした人達の間で人気のようだ。

宿に戻ると、カルメンはストーブにへばりついて離れない。私はベッドルームで用事を済ませて、ふとキッチンで暖を取っているカルメンを見ると、彼女は半ば半立ちというおかしな格好で固まっていた。なにやっているの?

「中国流エクササイズよ」

ふーん。動いていないけど、それでエクササイズになるんだ。

「あと30分はこうしていなくちゃいけないの」

じゃあ、私はバーに行って、みんなとお話してくるよ。
と、カルメンを残し、バーへ向かった。バーには、宿のおやじ、ブライアンと、イギリス人のマークがビールを飲みながら、テレビを見ていた。私もビールを注文し、世間話に参加する。イギリス人というのは、礼儀正しい無礼者、というイメージが強く、どうもあまりいい印象がない。ところが、マークは礼儀正しいというよりは、単に大人しいだけという気がするなー。実際、彼は非常に大人しかった。イギリスでは何をしていたの?と聞くと、

「郵便局で働いていたんだ」

という。地味なお仕事、なさっていたんですね。
オーイェー...小さく答える。本当におとなしいなぁー。彼は32歳。ちょっと太めで目尻にしわがある。口数は少ないけれど、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしてくれている。彼がビールのおかわをしに立ちあがった。あ、私も次のを飲もうかな、と思って立ちあがると、既に私のビールが用意されている。お金を払おうとすると、「いいんだよ」と小さな声で言う。...これがイギリス人なのかなーーー?(おいおい、こんなんでイギリス人まるごと決め付けるなよ)場所は違うけどさー、「この飲み物をあちらの女性に...」みたいなの、やっぱりやってる人っているのかなー?(そういうつもりじゃないと思うよ)イギリス人だと地味な人でもそういうことするのかなー?でも、貧乏な旅人には嬉しいごちそうだ。ありがたく頂くことにする。テレビを見ながら、ボソボソと小さな声で喋るマークと言葉を交わす。その後、気がつくと2,3本のビールを自然な成り行きでごちそうになってしまっていた。彼は現在、休職中。釣りが大好きで、ニュージーランドまで来たという。明日もブライアンと釣りに出かけるとか。

「日本の刺身とかわさびとか、おいしいよね。僕はすきだよ。」

小さな声で言う。日本食を褒められて、気分がいい。いつか私も大きな魚を釣って、その場で刺身にして食べたいな。そういうと、マークは明日連れて行ってあげようか、と提案する。しかし、私達は明日は牛の世界に行く予定なんだ。残念だけど、行けないや。ガッカリする私に、いつか行けるよ、とマークが言った。

寝る前。パジャマに着替えようとすると、マークが控えめに「灯りを消すよ」と言って灯りを消した。うーん、紳士的だねぇー。相部屋では男も女もごちゃごちゃで、特にヨーロッパの女性なんかは男性の前でも平気で着替えちゃうって聞いてたから、私もその習慣を見習おうと思ってたのに。やっぱり、人それぞれなんだろうなぁー。まぁ、マークが私の着替えるところを見たって、目がつぶれるだけでいいことなんて何にもないだろうから、電気を消して賢明だったと思うよ。

翌日、ブライアンの大きな声で間が覚めた。

こらーーーっ!!いつまで寝ているんだーーー!二人ともーーー!!!」

はっ、気がつくと9時45分。チェックアウトは10時。ひーっ!シャワーを浴びる時間もないよーーー。えーん。山では何日も風呂に入らなくったってへっちゃらな私だけど、町ではやっぱりシャワーを浴びていたい。うーん、今日は不潔な私なの。許してね、カルメン。いつまでも後悔している私にカルメンが言う。

「のりこ、あなたは昨日、シャワーを浴びていたでしょー?忘れちゃったのー?ほーら、汚くない、汚くない。」

...暗示にかけようとしているな。
でもまぁいいや。今夜には必ずシャワーを浴びてやる。

バタバタと支度をしていると、ブライアンが名刺を片手にやってきた。

「いつアメリカに旅に出るんだい?その前にここへ寄れるんだったら、ぜひ寄ってくれ。絶対に釣りに連れて行ってあげるから。」

昨日、私がマークに釣りに行って見たいって話をしたのを、マークがブライアンに伝えてくれたらしい。うれしいなぁ。うん、絶対に戻ってくるよ。必ず必ず、また泊まりに来るから、絶対に連れって行ってね!

大人の言う今度とお化けは出た試しがないけど、ブライアンは必ず連れて行くと約束してくれた。だから、私も必ず戻らなくちゃ。その時、マークはいないだろうけれど。

宿の外は、曇り空の切れ間から青空が見え始めた。
ブライアンが外まで見送りに出てくれる。「気をつけてね!」と片手を上げる。

私達はManganuiを後にした。バックパッカースの旅は面白い。このスタイルの旅はやめられそうもない。

その後、私達は"The Cows World"を確かに見つけた。確かにそこにはどでかい牧場があった。しかし、ようやく辿りついた私達に、牧場のスタッフが言い放った。

「今、牛はいないよ。このシーズンは乳が出ないんだ。」

ガッカリ!深くうなだれる私に、スタッフが言った。

「間違った時期に来ちゃったね。」

んもーーー!絶対にまた来てやるーーー!!!

私達の旅はまだ続く...。

(つづく)



14日  キッチンの窓から
 
えー。『世界の車窓から』(車窓の窓から、じゃありません)という番組が、電車の窓から見える美しい景色をお届けしていることは、それとなく有名です。わりと地味な番組なのに、みんなが知っている番組でもあります。ちょうど、『食いしん坊万歳』のようなもんです。

実は、私がステイしているお家は、丘の高台にあり、見晴らしがとてもいいのです。といっても、牧場と山くらいしか見えないのですが。しかし、単なる牧場と山と言うなかれ。毎日同じ景色ではあっても、天候によっていろいろな表情に変わるのです。今回は、その景色の様子を、インターネット(しかも文字だけ)でお送りしたいと思います。

朝、私が超早起きをすることは滅多にありません。だから、朝の景色は見ることが出来ないだろうと懸念していらっしゃる方も多いかと思いますが、ちゃんと私だって朝の景色を見たことがあるのです。ええ、朝帰りをした時に。ホストファミーは早起きです。そして、家が広いのです。家の広さに紛れながら、こっそりと自室に上がるのはなかなかのスリルです。ずいぶん前に、こっそりと朝帰りをした際に(お父さん、単に飲みすぎただけです)見た景色は本当に美しいものでした。

この辺りは気温が低いと一面に霧がたなびきます。そして、ところどころに木々のてっぺんが頭を出すのです。そして、その向こうには低い山が連なり、太陽が「今来たよー」とでも言わんばかりに顔を出します。すると、一面の霧が黄金に輝きだし、その様はまるで黄金の湖に朽ちた木の枝が顔をだしているように見えるのです。空は淡いオレンジ色に輝き、うろこ雲が空高く光りに反射していきます。それはもう見事な景色なものです。

こっそり朝帰り作戦に成功したと思っていた私は、数時間後にキッチンに戻ると、背後からリンダに「今朝の朝焼けきれいだったわね...」と声をかけられるのでした。

昼間になると、この季節はシャワーと呼ばれるスコールのような激しい雨が降ります。そして、雨が上がりきらないうちに、太陽が西の空から顔を出すと、キッチンの窓からパーフェクトレインボーを見ることが出来ます。時に、その虹は二重の虹になったりします。空を突きぬけんばかりの大きな完璧な虹は、キッチンの窓からはみ出てしまいます。虹のてっぺんを一目見ようと、私は窓に身を乗り出します。すると、雨に濡れた草の匂いが鼻をくすぐります。雨上がりは牧場の草がいつもより鮮やかな緑色になります。牧場中の草がさらさらと風になびく様は、さながら緑の海のようです。そして、そこから唐突に細くて濃い色の虹が空に向かって伸びているのです。濃い色の虹の周りは、淡い色の、もう一回り太い虹がぼんやりと浮かんで見えます。そして、まだ上がりきっていないあめが太陽に反射してキラキラしています。山の向こうの空はまだ重い雲が立ち込めていて、再びシャワーがやってくることを予感させます。

一度、マイクと一緒にドライブをしている最中にも、見事な二重の虹を見たことがあります。私達は、アーチのように道路にかかった虹の下をくぐって行ったのです。虹をくぐり、すぐ後ろを振り返ると、もう虹はありませんでした。...よく考えて見たら、当たり前なんだけど。

夜、遅くまでバイト(バイト、バイトだよ!お父さん!)をしていると、一気に気温が下がります。車を走らせ、時折バックミラーを見ると、背後に輝く夜空が映ったりします。空のスケールの大きさを実感する瞬間です。晴れた夜には、月明かりが牧場を青白く照らすこともあります。

月明かりが煌々とする冷えた晩に、キッチンの窓から牧場を見渡すと、息を潜めたくなるような景色を見ることが出来ます。一帯に広がった霧の合間に、木々の頭がちょっぴりだけ顔を出し、そして、そこを月明かりが照らしています。その光景は、本当に神秘的で妖精が飛んでいても、なんら不思議には思えないくらい美しいのです。虫の声の聞こえない静寂の中に、青白く光る霧の湖。空にはくっきりと浮かぶ天の川。おとぎ話の中にでも入りこんでしまったかのような錯覚を覚えます。このまま、この景色を切り取って大事な人にそっくりそのままプレゼント出来たら、どんなにか素晴らしいことかな。でもさ、まずは大事な人を探さないといけないじゃないの。まったくもう。

『キッチンの窓から』でした。
またどこかで素晴らしい景色を見たら、その模様をお届けしたいと思います。

ちゃんちゃん。

(つづく)



1日 星に願いを
 

今日はWhangareiに来たばかりのときのことを話そうかな。

Whangareiに来て数週間。学校にもなれて、お友達も出来たころのことだった。当時、私はまだ自分の車を持っていなかった。夜遅くなる場合は、車を所有する友達に送ってもらわねばならない。そろそろ友達の間では、のり子の家はとんでもなく町から遠いところにあるという噂が流れ始めていた。

その夜、もうすぐ日本に帰ってしまうという女の子のフェアウェルパーティがあった。物静かな若者が(つまりノーと言えない)私を家まで送ってくれた。どうもありがとう。今度なんかお礼するよ、と気のいいことを言って手を振った。彼は静かに去って行った。車が見えなくなるまで(暗闇だからいつまでもテールランプが見える)見送ったあと、さー、家に入ろうと思いドアに向かった。

いつものガレージの内側にあるドアから家の中に入る。今日は予め遅くなると言っておいたので、ガレージは閉まっている。つまり、正面玄関から入らなくてはならない。リンダは私のために玄関の電気をつけておいてくれた。やれやれ、今日はいろいろあったなぁ、などと思いながら、ドアを開けた。ぐっ。あれ、開かない。グッ、あれ、開かない。玄関のドアは押しても引いても開かない。鍵はかかっていない。どうやら、このドアを開けるには万力が必要なようであった。か弱い私の細腕では、とうてい開けることは出来ない。仮りに万力を込めて引っ張ったとしても、その騒音で家族が起きてしまうかもしれない。私は手当たり次第に窓を開けようと試みた。すべての鍵がかかっていた。マーク(真中の息子)の車で仮眠しようかと思ったが、それも鍵がかかっている。裏ドアも鍵がかかっている。どうしょう...。誰にも迷惑かけたくないしなぁ。

ここの家族は皆働き者で、マイクも息子のマークもリンダも末息子のグラハムも、みんな早起きだ。朝寝坊をしているのは私くらいだ。特に、マイクは3時半とか4時などに起きる。外から家の中の柱時計を見る(私は時計を持っていない)。ご前1時30分にさしかかろうとしているところだった。運が良ければ、2時間後にマイクが起きてくるかもしれない。そうと決まったら話は簡単。あと2時間、庭で時間をつぶせばいいのだ

最初、私は庭の草の上に寝転がろうと思った。しかし、夜露で庭はぐっしょり濡れていた。晩夏とはいえ、夜は冷え込む。うっかり土の上で寝たりしたら、体温を奪われてしまう。散歩...といっても、辺りは牧場ばかり。灯りがなくては、何も見えはしない。いいや、見える満天の星空が。このあたりは灯りがないので、ホントにたくさんの星が見えるのだ。空を見上げると、文字通り満天の星が輝いていた。天の川がくっきりと線を描いたように見える。本当に美しい夜空だった。最近、目も悪くなってきたし、星を見て目を良くしよう、などと考えながら、星空を堪能する。どれくらい星を眺めていただろうか、大きな流れ星を2回見ることが出来た。

流れ星に願いを3回唱えると願いが叶う、とよく言うけれど、とっさの出来事に絶対に願い事を3回唱えるなんてことは出来ないと思う。よく「金、金、金。」っていう人がいるけれど、私はそれほどお金に興味もないし、あんまし欲しいとも思わないから、それは正直いって私の願い事ではない。他に何かといえば...とても流れ星が流れている間に3回も唱えられるような短いセンテンスが思い浮かばない。冷静に考えてみれば、私には星に願うほど切実な願い事なんてないんじゃないのか?まぁ、それは幸せなことだ。神様に感謝、周囲の人々に感謝、だな。など考えているうちに、眠くなってしまった。大きな庭石の上に腰掛けて、仮眠する。冷たい石がお尻を冷やす
うーん、さむいよー。

どれくらい待っただろうか。
キッチンの灯りがポッとついた。マイクだーーー!!!マイクー!私だよ!
私!こっちに気がついてよー!!他の家族起こしてもいけないのであまり大きな声を出せない。マイクはいったん、こちらを見た。しかし、また別のほうへ視線を移してしまった。あああああ!マイク!せっかく来てくれたのに、それはないよ〜。何を思ったのか、マイクは玄関の灯りを消してしまった。私は焦った。このままマイクがまたベッドに戻っちゃったらどうしよう。!!その焦りが私に勇気を与えた。

マイク!マイク!こっち向いて!!」

マイクがこちらを見る。目を凝らす。瞬く間にマイクの顔色が変わった。玄関の電気がつく。駆け下りてきたマイクがドアを開けてくれた。

「のりこ!?どれくらいここにいたの?」

うーん、2時間くらいかなぁ?今夜は星がきれいだったよ。

「寒かっただろう?ごめんよ、このドアは固くて開けるのにコツがいるんだ。ごめんよ。」

何度も謝るマイク。いいんだよ。確かに寒かったけど、誰かが必ず起きてくると思ってたから。2回流れ星を見たよ。きれいだったよ。

そういう私にマイクは呆れ顔だ。どうか、そんなに謝らないでよ、マイク。私はもう寝るよ。仕事頑張ってね。

私はなんとなく、日本でよく飲んで終電に乗り遅れて、始発電車まで飲んで、皆が出勤するころ帰って、親に見つからないようにこっそり家にもぐりこんで、1時間30分ほど仮眠した後、シャワーを浴びて出勤する、という生活を思い出していた。

倒れこむようにベッドに沈む。ふー、ふかふかベッドだーーー。世界の果てまで眠ってやるーーー。とはいうものの、朝から学校だ。はー、東京にいたときと、なんら生活ぶりが変わってないじゃん。などと思いながら、泥のように眠りに沈んで行った。

恐らくこの出来事は、このホストファミリーの伝説として残るであろう、と後にマイクに言われた。
いやー、とんだ笑い話を作ってしまったものだよ。お恥ずかしい。

(つづく)

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