出発の前日は、ホストファミリーと旅先での幸運を祈って乾杯をした。たかが2週間の旅だというのに、おおげさなんだから、もう。
今回は、NZの北島を2週間でまわる計画の旅だ。学校のクラスメイトだったハリキリ香港ガール、カルメンと2人で回る女の旅だ。我々の計画では、宿泊先はすべてバックパッカースと呼ばれる安宿、食事は自炊、
出来るだけコストをかけずに楽しく回ろう、ということになっていた。
ホストファミリー宅にストックしておいた、自炊用の調味料を荷物に詰める。私は素朴なニュージーランドの食事が好きだ。もちろん、中華も好きだ。調味料を物色する私を眺めながら、マイクがカルメンはニュージーランドの食事が好きなのかどうかをたずねてきた。実は、カルメンはニュージーランド料理が好きではない。彼女は自国の料理が好きだ。
「ほう、じゃあ、毎日ワンタンだな...。」
神妙な顔でマイクが言う。何か間違っていると思ったが、だまっておいた。
パッキングも終了し、車に向かう。マイクが玄関まで見送りに来る。心配そうに忘れ物はないか、バッグは大丈夫か、車は大丈夫か、と質問攻めに合う。大丈夫だって、心配しないでよ。国柄が違えば、間違いなくマイクは万歳三唱をしていたことだろう。
ぶるん。車が走り出す。さー、これから2週間もお家に帰ってこないんだぞ。丘の上に建つホストファミリーをバックミラーに見ながら、さわやかな気分でハンドルを握る。小春日和のよいお天気。さー、カルメン、待っててよ。今行くよーーー。
カルメンはつい先日、こちらでの勉強を終えて、現在は休暇中だ。休暇後はオーストラリアへ留学の予定。彼女は日本食も好きだ。彼女は散歩が好きだ。彼女は料理が好きだ。関係ないが私は彼女が好きだ。
呼び鈴を押すと、大きなザックを背負った彼女が出てきた。彼女はスリムだ。きっと中国茶の威力に違いない。今回の旅でも私達は中国茶を愛飲することになっている。脂を溜めがちな食生活には欠かせないアイティムだ。彼女の荷物を車に乗せて、彼女も忘れず助手席に座らせて、さぁ、出発だ!!
今日のプロジェクトは、北島の北部へ行って、乳絞りとNZのThe best of
Fish & Chips を食べること。乳絞りの出来る場所は既にマイクから情報を入手している。"The
Cows World" − 訳して"牛の世界"、それが乳絞りの出来る場所だった。乳絞り、素手で、生で、あの生暖かい乳を絞って、ストレートで飲むんだ!牛よ、今行くぞ!待っててくれ!!カルメンは「Oh
Yeah...」とあまり気乗りでない。あははは。
しかし、さっそくだが、私は"The Cows World"を見過ごして、ずいぶん先まで来てしまった。うーん。仕方がないから、インフォメーションセンターにでも寄って、牛の世界の詳しい場所を聞くことにしよう。車を停めた町は、Kerikeriという小さな町だ。小さいけれど、夏は観光客でにぎわう美しい町だ。小さなCafeが道路沿いに立ち並ぶ。暖かい冬の昼下がり、町の角でタヒチから移民してきた人が、彼らの音楽に合わせてダンスをしている。のどかな雰囲気のこの町は、果樹園が多いことで有名だ。
この国では、各町に一つ、世界からの旅人のためにインフォメーションセンターが設置されている。旅人に優しい国だ。
Kerikeriのインフォメーションセンターはひじょうに小さい。図書館のついでにあるようなもので、観光地のブローシャも実にわずかだ。受付のおばさんに、私の乳絞りに対する情熱を熱く語る。
「乳絞りは、小さい頃からの夢なんです。」
おばさんは、「え?乳絞りが?」とちょっとあきれた顔をして吹き出した。よし、つかみはオッケー。おばさんは自分が小さい頃にどうやって牛乳を加工したかとか、どうやって保存したかなどを話してくれた。そして、地図に牛の世界の場所を○で囲み、その地図をくれた。ありがとう、おばさん。おばさんのためにも、乳絞りは必ず実現するよ。
乳絞りの場所までは、Fish & Chipsの場所から反対の方向にあったので、我々は乳絞りは翌日に決行することにして、先にFish
& Chipsプロジェクトを決行することにした。この国で一番のFish & Chipsを出す店は、ManganuiというKerikeriよりも更に小さな町にある。Manganui(マンガヌイ)は釣りで有名な場所で、小さな入り江にある。今夜はここに宿泊することにしようということになった。しかし、ここは本当に小さな町だ。宿泊施設は2,3軒しかないし、Cafeは一軒。小さな商店が一軒。スタンドが一軒。本屋(宝くじ販売店も兼ねている)が一軒。それらが150mほどの間に軒を連ねている。それで全部。ここがManganui。
Manganuiのバックパッカースは、あまりもさりげない建物だったので、一度は見過ごしてしまった。カルメンのアドバイスに従い、もう一度戻ってみると、さりげなく「バックパッカース」と書いてある看板が下げられていた。やってるのかなー?と思わせる門構え。でも、ドアは開けっぱなしだし、やってるに違いない。「たのもー」という感じで建物の中に入る。ちょっと太目の中年のおじさんが出てきた。「バックパッカーかい?」と聞いてくる。短パンにTシャツの井出達。とても気さくなおやじだ。一泊17ドル。安いなぁ。でも、これがバックパッカースの金額なのだ。各部屋について、おやじが案内してくれる。ベッドルームは2段ベッドがたくさん並べられており、隣は自炊用のキッチンがある。離れにはシャワールーム。自炊用のキッチンには、山小屋でみかけるような、薪ストーブが置いてある。
「他にも一人だけお客さんがいるんだ。イギリス人だよ。マークっていうんだ。ヘイ!マーク!今夜はかわい子ちゃん達がお前を暖めてくれるってよ!」
あたためねーよ。
バーでテレビを見ている太目の男性が「どーも」という感じで手をあげて挨拶している。ふーん、こうやって男女ごろごろって一緒になって眠るもんなのねー。バックパッカースに寝泊りするのはこれが始めてだ。山小屋やテントだったら、いくらでもあるけどね。今夜はここに泊まることに決めた。夕食までにはまだちょっと時間があるので、その間にインターネットにアクセスすることにする。
おやじにアクセスの許可をもらいに行く。成り行きでおやじと世間話になり、おやじとその回りのことがなんとなくわかってくる。
おやじの名前はブライアン。オーストラリアからの移民で、離婚後ニュージーランドに移り住み、タイ人の女性をあらためて妻に迎えた。今は二人で静かな余生を過ごしている。一年半ほどベトナム戦争に参加した経験アリ。
残念ながら、ここの宿ではインターネットにアクセスは出来なかった。
ブライアンが、この町のインフォメーションセンター(とても小さい)に行けばなんとかしてくれるよ、とアドバイスしてくれる。私はパソコンを持ってインフォメーションセンターに出かけた。カルメンは夕飯まで一人で散歩してくると言って出かけてしまった。
インフォメーションセンターには、確かにパソコンがあった。でも、彼女のところで私がアクセスすることはできないという。
「2軒先の本屋さんに行けば、きっとなんとかしてくれるわよ。」
というアドバイスに従い、本屋さんに向かう。しかし、2軒先というのは、数少ない雑誌が並べられてあるだけの、妙に無駄な空間の広い宝くじの売店だ。店内では店員が地元の客と世間話をしている。しばし、店の入り口で立ちすくんでしまった。世間話をしていたおじさんたちの話し声が止み、二人が私を見る。
「...あの、ここは本屋さんですか?」
二人がブーッと吹き出す。ああ、そうだよ。ここは本屋さんなんだよ、と言われる。地元の客が、またな!と言って去って行く。そう、私は本屋さんに来たんだけど、なんでか知らないけど、インターネットのことを話さなくちゃいけなんだよ。なんかへんだなー。なんて言おうかなー。
「インフォメーションセンターの人に、インターネットだったらここに行けって言われてきました。」
おじさんが戸惑う。私も戸惑う。私は最初から説明することにした。するとおじさんは合点がいったようで、自分のパソコンのところまで連れていってくれた。そして、「電話回線はここにあるから、使っていいよ。」といわれた。偶然にも、同じプロバイダーに登録していたので、電話料金はかからないことが判明。よかった。すばやく用事をすませ、おじさんの元へ戻る。どうしよう、やっぱりお金を払ったほうがいいのかな。どうやってお礼をしたらいいんだろう。
「あの...どうやってお礼をしたらいいですか?」
おじさんは、「お礼なんて、別にいいよいいよ。」と笑って言う。なんか、とっても暖かいものに触れたような気がして、嬉しくなった。田舎っていいなぁ。ありがとう、おじさん。本当にありがとうね。
ついでにおじさんのところで宝くじを買って、立ち去る。
宿に戻ると、ちょうどカルメンも戻ってきた。さー、じゃー、Fish &
Chipsを食べに行こうか。
海岸沿いを歩きながら、レストラン(?)まで散歩する。海からそれほど遠くない位置に対岸が見える。対岸は、隆起した大地に刈りこまれた明るい緑の牧場が連なっていた。なんだかイギリスの田舎の田園風景を思い出させる。海の水面が太陽に反射してキラキラしてまぶしい。もうすぐ日没だ。
その店では、魚の切り身がガラスケースの中に山積みになっており、それらの魚は量り売りだった。
カルメンは小食だ。彼女は小さな魚の切り身を選んだ。私は大食いなので、適当な大きさのものを2切れと、イカリングを注文した。
楽しみにしていたFish & Chips!わら半紙に包まれたそれを見た時は、早く食べたくて紙を広げるのももどかしかった。中を開けると、プーンと脂で揚げた衣とポテトフライの匂いがする。うーん、いい匂い!さっそく魚にパクついた。今夜の魚は、ブルーノーツ。白身の鯛のような味のする魚だった。魚はすごく新鮮で、肉はとても歯ごたえがあった。おいしいなー。NZ料理がキライなカルメン
も、ここのfish & Chipsは気に入ったようだ。雀が私達のおこぼれをもらおうと近づいてくる。な、なんだよ、お前ら!私はここの雀を見て愕然とした。だって、すっげー、でぶなんだもん!こんなの雀じゃないっ!!!まさしく転がりそうなくらい丸々と太った雀。ホントに、飛べるのかな。
お腹いっぱいになった私達は、腹ごなしにそこらへんをぶらぶらして歩いた。うーん、静かな町だなぁ。たまに通りすぎる車の運転手は、だいたいお年寄。景色がきれいで暖かい気候のこの辺りは、リタイアした人達の間で人気のようだ。
宿に戻ると、カルメンはストーブにへばりついて離れない。私はベッドルームで用事を済ませて、ふとキッチンで暖を取っているカルメンを見ると、彼女は半ば半立ちというおかしな格好で固まっていた。なにやっているの?
「中国流エクササイズよ」
ふーん。動いていないけど、それでエクササイズになるんだ。
「あと30分はこうしていなくちゃいけないの」
じゃあ、私はバーに行って、みんなとお話してくるよ。
と、カルメンを残し、バーへ向かった。バーには、宿のおやじ、ブライアンと、イギリス人のマークがビールを飲みながら、テレビを見ていた。私もビールを注文し、世間話に参加する。イギリス人というのは、礼儀正しい無礼者、というイメージが強く、どうもあまりいい印象がない。ところが、マークは礼儀正しいというよりは、単に大人しいだけという気がするなー。実際、彼は非常に大人しかった。イギリスでは何をしていたの?と聞くと、
「郵便局で働いていたんだ」
という。地味なお仕事、なさっていたんですね。
オーイェー...小さく答える。本当におとなしいなぁー。彼は32歳。ちょっと太めで目尻にしわがある。口数は少ないけれど、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしてくれている。彼がビールのおかわをしに立ちあがった。あ、私も次のを飲もうかな、と思って立ちあがると、既に私のビールが用意されている。お金を払おうとすると、「いいんだよ」と小さな声で言う。...これがイギリス人なのかなーーー?(おいおい、こんなんでイギリス人まるごと決め付けるなよ)場所は違うけどさー、「この飲み物をあちらの女性に...」みたいなの、やっぱりやってる人っているのかなー?(そういうつもりじゃないと思うよ)イギリス人だと地味な人でもそういうことするのかなー?でも、貧乏な旅人には嬉しいごちそうだ。ありがたく頂くことにする。テレビを見ながら、ボソボソと小さな声で喋るマークと言葉を交わす。その後、気がつくと2,3本のビールを自然な成り行きでごちそうになってしまっていた。彼は現在、休職中。釣りが大好きで、ニュージーランドまで来たという。明日もブライアンと釣りに出かけるとか。
「日本の刺身とかわさびとか、おいしいよね。僕はすきだよ。」
小さな声で言う。日本食を褒められて、気分がいい。いつか私も大きな魚を釣って、その場で刺身にして食べたいな。そういうと、マークは明日連れて行ってあげようか、と提案する。しかし、私達は明日は牛の世界に行く予定なんだ。残念だけど、行けないや。ガッカリする私に、いつか行けるよ、とマークが言った。
寝る前。パジャマに着替えようとすると、マークが控えめに「灯りを消すよ」と言って灯りを消した。うーん、紳士的だねぇー。相部屋では男も女もごちゃごちゃで、特にヨーロッパの女性なんかは男性の前でも平気で着替えちゃうって聞いてたから、私もその習慣を見習おうと思ってたのに。やっぱり、人それぞれなんだろうなぁー。まぁ、マークが私の着替えるところを見たって、目がつぶれるだけでいいことなんて何にもないだろうから、電気を消して賢明だったと思うよ。
翌日、ブライアンの大きな声で間が覚めた。
「こらーーーっ!!いつまで寝ているんだーーー!二人ともーーー!!!」
はっ、気がつくと9時45分。チェックアウトは10時。ひーっ!シャワーを浴びる時間もないよーーー。えーん。山では何日も風呂に入らなくったってへっちゃらな私だけど、町ではやっぱりシャワーを浴びていたい。うーん、今日は不潔な私なの。許してね、カルメン。いつまでも後悔している私にカルメンが言う。
「のりこ、あなたは昨日、シャワーを浴びていたでしょー?忘れちゃったのー?ほーら、汚くない、汚くない。」
...暗示にかけようとしているな。
でもまぁいいや。今夜には必ずシャワーを浴びてやる。
バタバタと支度をしていると、ブライアンが名刺を片手にやってきた。
「いつアメリカに旅に出るんだい?その前にここへ寄れるんだったら、ぜひ寄ってくれ。絶対に釣りに連れて行ってあげるから。」
昨日、私がマークに釣りに行って見たいって話をしたのを、マークがブライアンに伝えてくれたらしい。うれしいなぁ。うん、絶対に戻ってくるよ。必ず必ず、また泊まりに来るから、絶対に連れって行ってね!
大人の言う今度とお化けは出た試しがないけど、ブライアンは必ず連れて行くと約束してくれた。だから、私も必ず戻らなくちゃ。その時、マークはいないだろうけれど。
宿の外は、曇り空の切れ間から青空が見え始めた。
ブライアンが外まで見送りに出てくれる。「気をつけてね!」と片手を上げる。
私達はManganuiを後にした。バックパッカースの旅は面白い。このスタイルの旅はやめられそうもない。
その後、私達は"The Cows World"を確かに見つけた。確かにそこにはどでかい牧場があった。しかし、ようやく辿りついた私達に、牧場のスタッフが言い放った。
「今、牛はいないよ。このシーズンは乳が出ないんだ。」
ガッカリ!深くうなだれる私に、スタッフが言った。
「間違った時期に来ちゃったね。」
んもーーー!絶対にまた来てやるーーー!!!
私達の旅はまだ続く...。
(つづく) |