私が目覚めて、キッチンへ降りる頃には、ショーンはとっくのとうさんに会社へ出勤してしまっていた。なんだよー、挨拶なしなんて、冷てーじゃねーかよー。
ショーンのパパとママは、既にリタイアをしている。二人でのんびり、悠々自適な暮らしを送っているわけだ。寝ぼけ眼の私に、ショーンのパパ、ピーターがおはようとコーヒーを注いでくれた。続いて、おはようと言って、ショーンのママ、メリーアンがトーストを出してくれた。昨日はあんなに寒かったけど、今日はこんなに暖かい部屋にいて、暖かい人達に囲まれている。なんか、今までの人生に、感謝だなぁ。
さて、今日はまず、車を修理に出さないとなぁ。
「そうよ。出さなきゃダメよ。ヒーターなしなんて、死んでしまうわよ。本当よ。レンタカー会社を訴えてもいいくらいよ!」
メリーアンは本気で怒っていた。確かに、私は昨日、死んでいてもおかしくない状況だったのかもなぁ。ちょっとオーバーな気もするけど。
電話帳で車の修理工を探してみる。その姿を見たメリーアンが、町にある修理工に連れて行ってくれると申し出てくれた。
「私の記憶では、デパートの近くに絶対あったはずなの。あそこだったら絶対にnonの車を扱っているはずよ。でもね、いい?nonは修理代なんか払わなくていいのよ。これはレンタカー会社の責任なんだから!」
メリーアンはまだ怒っていた。うーむ。これは、よっぽど怒ってもいいことなのかもしれない。
私は、メリーアンの運転する車に先導されて、町の修理工まで赴いた。この町には数回訪れているので、道の順番もなんとなく覚えている。おー、懐かしいなぁ。以前も、こんな秋頃に来たことがあったっけ。そのときは、紅葉が本当にきれいだったんだよなぁ。今年の紅葉は、なんとなくぼやけた色だった。鮮明な黄色、強烈な赤、という具合ではない。今年は気温の差がそれほどなかったのかもしれないなぁ。
ほどなく到着した修理工で車を預ける。この町の人はみんなフレンドリーだ。修理工のお兄さんは、にっこり笑って修理を引き受けてくれた。故障している部品を交換するために、ちょっと時間はかかるが、今日中には出来あがる、ということだった。
私達はいったん、お家に戻り、ピーターを連れてランチを食べに出かけた。
北の方のアメリカでは、昼間からのお酒にあまり抵抗がない。健康マニアの多いカリフォルニアだったりすると、昼間にビールを注文するだけで、白い目を向けられたりするもんだ。暖かい気候だと、お酒なんかで体を温める必要がないからかもしれない。私達は、バーのスツールに腰掛けた。平日の昼間なんかのバーに入り浸っているのは、夜勤明けの人か、リタイアしている老人か、仕事をしないで酒ばかり呷っているルーザーと相場が決まっている。
カウンター越しには、バーの店主である老人とその息子と思われる人物が、言葉少なげに店を切り持っていた。バーは暗いが、窓から刺し込む外の光りに、店内の埃が舞っているのが見える。昼間のバーとは、静かなものだ。
私達は同じハンバーガーを注文した。メリーアンは氷入りのバドライト、ピーターはただのビール。
「nonは何を飲むの?」
水をお願いします。
バーの息子は、は?水?という顔をしたが、氷の入った冷たい水を出してくれた。アメリカは、日本のようにウーロン茶とかジャスミン茶とかそういった甘くないお茶がない。酒以外の飲み物は、みんな甘ったるい炭酸ジュースかフレッシュジュースだ。だいたい、あんなにコーラばっかり飲んでるから、ぶくぶくぶくぶく太るんだよ。脂肪を抜いた牛乳飲んでたって、コーラ飲んでたら同じなんだよ。
まぁいい。私は昼間から酒を飲むのは好きなほうだ。明るいうちから飲む酒というのは、ひじょうに贅沢に感じる。ただ、ショーンのお家にいると、常に酒が振舞われるので、外にいるときくらいはちょっと自重したのだ。
「non、今夜は何が食べたい?」
ウキウキした顔で、メリーアンが尋ねてきた。
肉!肉がいい!ひゃっほう!
「オーゥケーィ。」(ニヤリ)
なんとなく意味深な微笑みを送るメリーアン。知ってる、知ってるよ、その顔。メリーアンは、また私を死ぬほど満腹にするつもりなんだ。私はよく食べる。メリーアンはそれが嬉しくて嬉しくて仕方がないのだ。よく食べる私の顔を見て、彼女はこう言ったことがあった。
「まるで、息子が一人増えたみたいよ。」
メリーアンの料理はとっても美味しいのだ。だから、つい私もバクバク食べてしまう。今時のアメリカ人は、レンジでチンする料理や簡単レトルトばかりを食べている。そんな中、メリーアンは未だに"手作りの味"にこだわっていた。私は、メリーアンの手作りの味が大大大好きだった。
いったん家に戻ってしばらくしてから、私達は別のバーに出向いた。このバーには、私も何度か訪れたことがある。この店には、牛乳瓶の底のようなメガネをかけたおじいさんが、いつもカウンターで飲んだくれている。以前、このバーに来たときには、おじいさんがニューフェイスの私に挨拶に来てくれたことがあった。
「日本人かね?ほぅ、えくぼが出来るのか!珍しいな!俺も日本には行ったことがあるよ。沖縄にね。」
はぁー、沖縄ですかー。バケーションでですか?
「あそこはきれいな島だった。第二次世界大戦中に行ったんだよ。」
おいおいおいおい。
これには堪らずショーンも吹き出した。ホント、私もブラックなギャグかなって思ったよ。
思い出深いバーである。おじいさんは、いつもと同じようにカウンターに腰をかけていた。何もかもが変わってない。ここでは、私が以前ここへ来た時と同じように、毎日が過ぎているのだ。いつものように、いつもの場所で、いつもの酒を。私だけが、時を経ているような奇妙な感覚を覚えた。まるでタイムマシンに乗ってやってきた気分だ。
「何を注文する?non?」
メリーアンに聞かれる。ここへ来たら、間違いなくオールドファッションを注文することにしている。
「ブランデーベースのな。」
とピーターが一言添える。
ウィスキーをベースに、アンゴスチェラビターズとソーダで割ったカクテル、オールドファッション。ショーンのお家では、ウィスキーをブランデーに代えてカクテルを作る。私も、この味に慣れてしまっていて、今更ウィスキーベースのオールドファッションを飲む気になれない。
カウンターの中のおばさんが、「息子さんがさっき来たけど、あなた方がいないってわかったら、すぐに帰っちゃったわ。」と教えてくれた。かわいそうに、ショーン。お家に帰っても、私達はいないよ。あははは。
帰る途中、修理に出した私の車を拾って、お家に戻った。お家の前に、ショーンの車が駐車してあった。
メリーアンがそろそろ夕飯の支度に取り掛かる。私は手伝わない。メリーアンにはメリーアンのやり方があって、私が手を出すより、彼女一人でやったほうが彼女の気分もいいからだ。私とピーターとショーンは、食卓に座って食事が出てくるのを待っていればいいのだ。
「あら!野菜がないわ!non、ちょっと買ってきてくれない?」
よしきたがってんだ。
こんなとき、気軽に頼んでくれるメリーアンに感謝する。だって、私だって本当は何かお手伝いしたいんだもの。王様みたいにでんっとテーブルに座ってるだけなんて、申し訳なさ過ぎる。
「お釣りで好きなものを買ってきていいわよ。」(ウィンク)
うーん、完全にお子ちゃま扱いされているような気分だよなー。ま、いっか。
私は近所のスーパーまで車を走らせた。メリーアンから頼まれた野菜をカゴに入れる。お釣りで好きなものかぁ。何買おうかな。あ、そうだ。ねぎ、ねぎを買おう!
わけぎよりもちょっと太い、ネギがある。これを食前に、お酒のおつまみとして飲むのが、私は大好きだ。水を差したコップに、ネギをそのまま入れる。塩をつけてかじる。酒を飲む。ネギの辛さが堪えられない。これは、初めてショーンのお家に遊びに来たときに覚えたつまみだった。
「ただいまぁ!」
とお家に帰ると、ショーンが吹き出した。
「ただいま、だってよ。すっかりお家に帰ってきたって気分だな。あははは。」
うるさいなぁ。いーじゃん。ここはとっても居心地がいいんだから!
私はからかってばかりいるショーンとピーターのために、オールドファッションを作ってあげた。二人のレシピは微妙に違う。ショーンは濃い目の味が好きだ。ピーターは薄味で、お酒を多めに。自分のためにもオールドファッションを作って、テーブルについた。メリーアンも、自分のお酒を作って席に着く。オーブンの中では美味しそうに何かが焼けている。焼きあがるまで、しばし団欒だ。みんなニコニコ笑ってる。今日あったこと、バーで仕入れた町の噂話などでおしゃべりに花を咲かせる。いいなぁ、こういうの。
ショーンが会社の話をしている最中だった。出し抜けに、彼が言った。
「今日ね、トラックの運送会社を経営している人にあったよ。」
へぇ。そう。
「non!930kmも運転するなんて!トランクの運転手もそんなに走らないってさ!それもヒーターなしで...」(ブツブツ)
まったく、nonはクレイジーだとショーンは首をふっていた。
夕飯は、真っ赤なトマトの乗ったサラダと、チキンのグリル、そしてチーズのかかったベイクドポテトだった。おいしそー!
チキンを食べながら、再び出し抜けに、ショーンがこう言った。
「nonには、パーティに同席してもらうからね。ドレスは持ってる?」
も、持ってるわけないじゃん。なんで旅にドレスが必要なのよ。全部、ニュージーランドに置いてきたよ。
「そうか。じゃあ、明日買いに行こう。一応、フォーマルなパーティなんでね。」
なんのパーティなの?私が同席してもいいの?
「実は...僕は今年、慈善事業のプレジデント(会長)になってしまったんだ...(えへん)。そのお披露目パーティなんだよ。会員はみんな中年で、既婚者ばかりなんだ。だから、パートナーなしでパーティに出席するなんて、恥ずかしいだろ。ちょうど君が来てくれたから、ほんと、助かったよ。」
ショーンが会長...ちょっと吹き出しちゃうな。まぁ、どうせ周囲が体良く若者に、やっかいな幹事を押し付けたというところだろう。気の弱い人だからなぁ。どうも「ノー」と言えない。まるで日本人だ。
「おまけに、いつまでたっても僕に浮いた話がないんで、みんなが面白がってるんだ...。」
わかった。わかったよ、ショーン。私が出るんで、話がまとまるなら一肌脱ぐよ。あ゙ー、ドレスかー。髪型のことも考えなくちゃー。靴も買わなくちゃー。私、一人で髪の毛をセットなんて出来ないよーーー!!
斯くして、私はあさっての夜に行われるパーティに出席することとなってしまった。
(つづく) |