Shanghai Reports



第1日目
第2日目
第3日目
第4日目
最終日



赤坂のジャズライブハウス。

師匠のMaria Evaが人々の拍手喝采を受けながら、客席を通り奥の控え室へ向かっていた。彼女は観客に混ざっていた私を目ざとく見つけ、私に手を振った。私も、拍手と共に手を振り返した。今夜も彼女は素晴らしかった。やっぱり私の先生は素敵な人だ。控え室へ姿を消す直前、ざわつく観客席にいる私に向かって彼女はこう叫んだ。

Maria「nonちゃん!上海一緒に行こう!!」

私は即答で応えた。

non「うん!行くー!!」

斯くして、私は上海行きの目的など何も知らずに上海へ行くこととなった。

第1日目

空港へ到着した今でも、私は十分に上海行きの目的をよく把握していなかった。JTBの旗が、総勢50名程のおじさんおばさんを誘導する。なぜ、私はこの団体と一緒にいるのだろう。え?搭乗手続き?そんなの自分でやるよ。え?なんで飛行機乗る前にロビーで集合なんかしなくちゃいけないの?え?何この朝から晩まで予定みっちりのスケジュール表。え?なんでみんな列になって歩くの?え?なんで?なんで?

普段から一人旅をしている私には、ツアー旅行というのは不思議以外の何物でもなかった。慣れない行動に戸惑う。うあー、もっと自由に一人で行動させてくれーーー。

そんな私の心の叫びをよそに、飛行機は上海国際空港へ降り立った。

少し蒸した空気。日の暮れかけた上海の空は、電光掲示板で溢れかえっていた。不思議。ほんのさっきまで日本にいたのに。見慣れた漢字は異国を感じさせない。ただ、ひらがなとカタカナがないことだけが、辛うじて私に中国を感じさせていた。

大きな新型の観光バスに乗ると、テンションの高い中国人のツアーコーディネーター健健(ケンケン)が、マイクを持って私達へ歓迎の言葉を述べまくる。

先生の隣の座席に座りながら、私は周囲をゆっくり見渡した。これが今回のツアー参加者なのかー。先生がこっそりと耳打ちをする。あれが有名な歌手の誰々であの人も歌手、あの人も歌手で、××さんって言うのよ、と。

ほほー、なるほど。(しかし全然見たことないぞ…)

おぼろげなこのツアーの輪郭が、なんとなくハッキリした気がした。このツアーは、とにかくジャズに関する人たちが集まって、上海を巡るものなのだ。予定表を見ると、3日目と4日目の夜にはステージ鑑賞の予定が入っている。今、このバスに一緒に乗車している歌手の人たちやミュージシャンが、どこかのステージでジャズを聞かせてくれるというわけだ。そして、もちろん私の先生もその出演者となっている。

バスは上海市内の高級ホテルへと向かう。

私達が宿泊するホテルは、花園飯店(Okura Garden Hotel)だ。
きらびやかな夜景の中へ突入すると、まもなくバスはホテルへ到着した。

ホテルのロビーで今夜の集合時間などの説明を受ける。おばさん達が口々に

「今夜のドレスはどうしたらいいの?」
「そんなに急いで集合するだなんて、シャワーを浴びる時間がないわ」
「髪の毛のセットもしなくちゃいけないのに」

と疑問を投げかける。なぬ?今夜のドレスとはこれ如何に。もしかして、ご飯を食べるときはいつでもドレスアップしてなくっちゃいけないっての?がびーん、私、ぜんぜんそんな準備してきてないんですけど。

部屋の鍵を受け取り、先生と私も皆と一緒に部屋へ移動だ。大きなエレベーターは今回のツアー客でいっぱいだった。皆押し黙ってはいるが、ニューフェイスである私に興味津々のようだ。先生と私の会話の一言ももらすまいという勢いで神経を集中しているのがわかる。普段、先生と私は日本語と英語のちゃんぽんで会話をする。しかし、このときは既に先生も私も海外モードに切り替わっていたので終始英語での会話だった。

部屋に入るなり、先生はフフンと鼻を鳴らした。

Maria「私のお弟子さんはみんな国際的なのよ。みんな英語を話すの」

ぷっ。それはそうだけど、いきなりどうしたの?

Maria「だって、今『マリアちゃんのお弟子さん、英語が上手だね』って言われたの」

まるで自分が誉められたかのように、得意満面にニカッと笑ってみせた。私はと言えば、英語が話せるというだけで、本当はそんなに上手なわけじゃないんだけどなぁ…と苦笑いをするのであった。

さて、部屋でくつろぐのも束の間、時計は集合時刻をさしていた。慌ててロビーへ降り、ドタバタとバスに乗り込む。ケンケンの騒々しいアナウンスに頭を痛ませながら、バスの窓に見える上海の夜景を楽しんだ。

赤、青、白。様々なネオンが夜を彩る。
派手な電光に包まれた高層ビル群。入り組む高速道路。運河の向こうには、上海の経済を支える企業の電光板がずらりと並ぶ。連休中とあって、上海の街はいつもに増して人が多く、運河沿いの散歩道には人がひしめき合っていた。

以前、アメリカからやってきた友達が、渋谷の雑踏に驚いて写真を撮っていたが、今、まさに私の横で先生があまりの人の多さに驚いてシャッターを切っていた。すごい。渋谷の雑踏どころの騒ぎじゃない。これはなに?お祭りですか?っていうか、事件?

中世のヨーロッパのような建物群は、上海の近世を物語る国際銀行だ。上海の金融企業がここに集中しているのだ。その建物の合間をバスが入り込む。通りに面した食堂は、どこも家族連れていっぱいだ。

私達がバスを降りた場所は、とある高級ホテル。宿泊客達は大半が白人のようで、日本人の姿はない。…少なくとも、ここは英語が通じるホテルなんだなー。

我々が向かったのは、上海でも一番と言われている、上海蟹専門の高級レストランだった。上海蟹。食べたことないけど、なにやらヨダレが出る響き。

奥の大広間に通されると、バターのいい香りがした。10人がけほどの丸テーブルに先生と並んで座る。このときの配置がこの後の私の運命を決めたといってもよかろう。このテーブルには、大御所歌手数名とジャズ界での権力者数名が偶然一緒になったのだ。

このツアーの中で、私はほぼ唯一の若手と言ってよかった。
ましてや、このテーブルでは私は若手も若手、大若手だ。

こまごまとした気遣いをせねばならず、運ばれてくるビールや紹興酒をグラスに注ぎ、上海蟹をふんだんに使った様々の料理を取り分け…なんてことが私に出来るわけもなく、ボケーッとしている間に、それらのことはすべて私の先生がやっていた…。

料理はまさに蟹尽くしであった。
上海蟹の肉は黒っぽく、野菜と一緒に調理されていたり、あるいはあんかけ風に調理されていたり、あるいはまるごと茹でられていたり。しかし、やはり一番美味しかったのは、ほぐした身をバター風味に調理されているものであった。この店オリジナルの紹興酒は、この上海蟹とぴったり相性が合うように特別にあつらえたものだとか。うむ、おいちい!

料理は全部で10品以上は出てきたかと思う。
ところが、ベテラン年齢層の小食化が祟って、料理はわんさか余ってしまった。も、もったいない。こんなにたくさん残っているのに、誰も食べないの?

「食べちゃえば?」

先生が言う。
はーい!じゃあ、全部私がお片づけすることにしまーす!!

私は残った料理を誰に遠慮することなく平らげた。
なんかさー、取り分ける料理って自分がどれだけ食べていいのかわからなくて、食べ過ぎちゃいけないって思うあまり、ついつい遠慮しすぎちゃうんだよねー。でも、誰も食べたないとわかったらこっちのもの!心置きなく食べられちゃうもんねー。

この私の食べっぷりが、上海から帰国後の私の運命を変えることになるとは、その時の私には知る由もなかった。


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