Shanghai Reports



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第3日目
第4日目
最終日



第3日目

困った。

今日、船上パーティがあるのだが、そこで出演する歌手に混ざって私も唄うことになってしまった。

ことの成り行きはこうだった。

昨日、上海の街を回った私達5人は、香港レストランで舌鼓を打ち、B先生や同行した紳士O氏やミュージシャンのG氏と親しくなった。中でも、紳士O氏は前日からの私の食べっぷりに感激していたようで、

O氏「私、たくさん食べる女性って大好きなの。私とあなたは食べ物の相性が合うようだ。明日の船上パーティは私にエスコートさせてね」

と言われたほどだった。

皆で遊びまわり、夜は夜で中国4千年の歴史のサーカス(?)を楽しみ、某ホテルで活躍する日本人ピアニストを個人的に訪ねたりで、とにかく充実した時間を過ごした後のことだ。

ホテルに戻ってから、皆が集まっている屋外ラウンジへマリア先生と二人で顔を出すと、すぐさま某ボスから声をかけられた。

「あ、あんた!明日の船上パーティね、あなたも歌ってね。何を唄うか、今すぐ明日の司会者に言ってきて!」

え?私も?出演者に混ざって?私、ツアーのお客さんなのに?

マリア先生もちょっと意外そうな顔をした。
そう、今回はそういうお披露目はしないつもりだったのだ。だって、まだまだ勉強中の身だし、単なるジャムセッションならいざしらず、ショーの出演者の一人として(前座としても)出演するなんてお話にならない。

しかし、場のムードは「この子は当然唄うもの」というふうになってしまっていて、これを抗うことは出来そうになかった。ベテランミュージシャンからも「よろしくねー」などと声をかけられ、お膳立てはばっちり。もう後には引けなかった。

こうして、私はなぜか船上パーティで上海デビューをすることになってしまったのである。


さて、当日。
皆がきらびやかなドレスに身を包む。私はといえば、タンクトップにカウガール風のスカートという場違いな格好。まぁ、ドレスを用意しろと言われても、そんなもん持ってないから仕方がないんだけど。

ところでこの豪華船は、なんと毛沢東の個人的な持ち物だったのだそうな。(もちろん、現在は違う)詳しいいきさつは知らないけれど、とにかく、特別な船だったんだって。そういえば、船には豪華なソファがあったり、マホガニーの手すりがあったりして、とにかく豪華だったよ。

今夜のパーティのドレスコードはHigh。
男性は燕尾服、女性はイヴニングドレスの着用。それ以外の服装をする者は、必ず仮装をしてくること、という約束になっていた。パーティの出席者は、豪華な服装に身を包み、または人民服などで仮装を楽しんだりと様々だった。

いつの間には船は出港していて、大きな運河を運航中だった。窓から見える上海の夜景は格別で、私はお酒を飲みながら、ポカンとしていた。どうしてこんなことになっちゃったのかなぁ。でも、もう仕方がないや。やるしかないや。

いよいよ演奏が始まった。
ミュージシャン達のインストが終わり、私の出番となる。
今夜の司会者がこれまた大袈裟なくらいに私の名を読み上げ、なんだかひどく期待されるような登場となってしまった。恥ずかしい…!

私は今すぐ日本に運河に身を投げない気持ちになりながら、必至に緊張をごまかした。しかし、周囲から注がれる視線に私は耐えられそうにもなかった。パーティの始まる前、出演者だけでリハーサルをやったのだが、その時某ボスに怒鳴られたりもしていて、かなり私の心は縮こまっていた。

でも、精一杯やるしかない。

私はマイクをしっかり握って、凍りついたような笑顔をふりまき、一生懸命唄った。視界にマリア先生の姿が見えたが、彼女はすぐに人ごみに消えてしまった。紳士のO氏が応援するような視線で私を見つめていた。他にも、いろんな人が私を暖かく見つめていた。

緊張で喉が絞まっていたものの、とにかく大きな失敗をせずに歌い上げることが出来た。

拍手の中、私はそそくさと会場を後にした。
終わった。とにかく終わった。大きな失敗もなく。
これでパーティの食事が食べられる。ホッとしていると、

Maria「よー、終わったじゃない。よかったよー」

先生が私に話しかけてきた。
しかし、私の出来が彼女の満足いくものでないのは私自身が一番よくわかっていた。それがわかっているから彼女はあまり多くを言わない。ただ、これだけは言えた。私は先生の顔に泥を塗ることはなかった。後で聞いたのだが、私が歌っている最中、先生は心配で心配で見ていられなくてついに中座してしまったのだとか。

さて、私はエスコートしてくれることを約束していた紳士O氏の下へまっすぐ行った。あの応援してくれるようなまなざしが、どんなに心強かったか!すぐにでもお礼が言いたくて、私は彼を探した。

O氏は二階のラウンジに座っていた。

O氏「ここのマイクは最悪なのに、よく唄ったね。えらかったよ」

素直に嬉しかった。
それから私はO氏に連れられ、パーティ会場へ戻った。
会場では出演者のライブで大いに盛り上がっていた。皆が踊り、飲み、その時間を楽しんでいた。前半の出番を終えたミュージシャンが私にそっと近づいてきて「よかったよ、ほんとよかったよー」と声をかけてきてくれた。私はとんでもない、と飛び上がったが、この言葉は今後の私にとって大きな励みとなった。

O氏との会話は弾んだ。そして、ひょんなことから私が文章を書くことが話題になり、帰国した後、O氏の会社のお仕事を手伝ってくれないかと言われた。音楽関係についての文筆の仕事だった。願ってもない申し入れに、私は二つ返事で引き受けた。

私は胸がいっぱいになって甲板へ出た。
初夏の少し湿った空気に涼しい風が肌をかすめていく。船の規則的なエンジン音と共に、ギラギラした夜景の灯りが流れていく。ああ、私はなんでここにいるんだろうなぁ。

パズルピースが、一つカチリとある部分を埋めたとたん、見る見る間にその続きがハマっていくかのように、私の中で何かがカチリとハマり、そのとたん、物差しでは測りようもない大きな流れが動き始めたのだ。私は何ひとつ変わってはいないのに、これから私の周りがもっと動き始めていく予感がした。

ヒートアップした会場から抜け出してきた観客が、私に声をかける。

私は何度もありがとうという言葉を口にした。
上海の旅は、スケジュールのがっちり決まったツアーだというのに、旅をしているときの感覚は、一人旅のそれとまったく変わらなかった。私は私以上でもないし、私以下でもなかった。私は素直に等身大の自分でいられたし、ベテランの前でも気後れするようなこともなかった。先生がいても私は自由だったし、自分が自分らしく振舞えないようなことはなかった。そういう中で、「ありがとう」という言葉を何度も口に出来るということは、とても幸せなことだと思った。今、私は幸せなんだなぁ。

私は、丸裸の心のまま大きく伸びをした。
なんの鎧も付けない心は生傷が絶えないがとっても軽い。自由に飛びまわり、誰も彼もを優しく包みたくなる。

一人旅をしていた頃の感覚が蘇った。
自分が全開になっているあの感覚。
心が瑞々しく潤うこの感覚。

私は、誰にとか何かにとかそういうのを超越して、ただもうなんだか知らないけれど、感謝の気持ちでいっぱいになるのだった。

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