September in U.S.A.(前編)

9月(前編)

1日  2日  3日  4日  12日  13日 14日  15日  16日  19日  20日  21日  22日 後編へ(23日以降)
 
 

22日 ココロ サイエンス
 
無機質な造りのバーには、テレビがいくつもあって、野球やアメリカンフットボールの中継を放送していた。黒い床にブルーと銀色のライトが照りかえしている。ここは、Phoenixのとあるスポーツバーだ。

アメリカにはスポーツバーなるものがある。日本にもあるのかな。他の国についてもよくわからないな。とにかく、アメリカと言えば、野球かアメフトかバスケットボールを放送するスポーツバーがある。グリーンベイパッカースが有名なウィスコンシン州では、小さな街でもスポーツバーがいくつか点在する。パッカースが出る試合がある夜、バーはパッカースファンで賑わう。誰かがタッチダウンを決める度に、お店からビールやゼリーが無料で振舞われる。店によって振舞うものは違うのだが、パッカースのカラーである、緑と黄色にちなんだものが多い。

しかし、私達が腰を下ろしたところは、都会の中のエセスポーツバーだった。客はとくに中継されているゲームを見ているわけではない。なにしろ、あまり客がいないじゃないか。まぁ、平日だしね。おいおい、隣のテーブルはちびっこまで連れてきてるぞ。大家族の入店もおっけーとなると、さしずめここは、日本の田舎によくある"家族でのお食事可"という居酒屋のようなものなんだろうか。

美紀ちゃんは新しいビールの味に挑戦的だ。私はサミュエルアダムスを注文。私は少し黒く色のついた、ほろ苦い味のビールが好きだ。あまりに炭酸が強すぎる、日本の一部のビールはあまり好きじゃない。和田はこう見えてもまったくの下戸なので、ジュースを注文する。お酒を注文するとき、IDを見せろと言われるかと思ったけど何もなかった。なんだかちょっぴり拍子抜け。私達、こんなに若く見えるのに。

スパイシーフライドチキンをつまみにビールを楽しむ。ぷはーっ、おいしーい!実はこのフライドチキンというのが曲者で、スパイシーなチリパウダーがたっぷりかかっていて、オレンジに色がついている。肉から滲み出る油も全部ラー油色。美味しいんだけど、辛いっ。大の辛党の和田にも、ちょっぴり辛く感じるようだ。

和田の辛党ぶりは一本筋が入っている。社食で食事をしているときも、彼女はすごかった。コショウというのは、そもそもほんの一振りで十分ではないか?しかし、彼女はコショウをふる手を休めない。ニコニコ談笑しながら、いつまでたってもその手を休めない。しばらくすると、隣に座るサラリーマンの箸が止まる。それでも彼女はコショウを振りつづける。彼女が注文したラーメンのどんぶりの中で、黒い塊がまんべんなくスープの上に浮かび上がる頃、ようやく彼女はその手を止める。一度、彼女の食べるラーメンを一口もらったことがある。コショウはピリリとした風味がするものだと思っていたが、彼女と出会って初めて、コショウは辛いという事実を知った。

最近、パワー不足なのよ。」

辛いと言った自分に情けなさを感じたのか、和田は最近はそれほど辛いものが食べられなくなったとため息をついた。

何杯かビールを飲んだ後、私達は店を後にした。うーん、やっぱりなんだか盛り上がらない。何かガツンと、こう、彼女達が「アメリカっていい国だねぇ!」って叫びたくなるような、そんな店や場所に連れていきたいのに...。

「まぁさ、私達はnonに会いに来たんだから。どこにあんたがいても、そこにいくつもだだったわけだし。」

美紀ちゃんに慰められる。あ、ありがとう
それじゃー、気を取り直して部屋で宴会やりますかーーーっ。

私達はそのままスーパーマーケットへ直行した。部屋で飲むビールと、つまみを購入するのだ。ビール、カクテル、日本にはない味のポテトチップス、その他いろいろ...よし、これぐらいでいいだろう。彼女達にとっても、アメリカのでかいスーパーマーケットは、十分刺激的であったに違いない(決め付けっ)。宴会の下準備は整った。あとはレジに並ぶだけだ。

話好きな黒人のオヤジがレジに立っていた。私は、お酒を購入するときに求められるIDの提示のときのために、国際運転免許証を手にしていた。さー、おじさんがビールを手にしたぞ。あ、私の顔を見たぞ。ええ、持ってます、持ってますとも。身分証明書なら、ほれこのとおり!

「ん?これは何かな。ほう、運転免許証ですか。ふむふむ。そうですね。お嬢さんはお若く見えますからね。」

はっ...!ももも、もしかして、私、身分証明書なんて見せなくてもよかったんじゃない!?聞かれもしないうちから、自分から提示するなんて、も、もしかして私、バ...バカ?確かに、オヤジはろくに見もしないで、にこやかに私の運転免許証を返してくれた。しかし、その笑顔の裏には、

"誰もお前が未成年だなんて思ってねぇよ。そんなに若く見えるはずないだろ?ババァー ババァー ババァーーー..."

という気持ちが隠されているとしか思えなかった。いや、私にはわかる。オヤジのオーラがそれを告げている。免許証を受け取りながら、私は顔から火が出るくらい赤面してしまった。生まれてこの方、赤面などとは無縁の日々を送ってきたというのに、こ、こんな屈辱をアメリカさんに受けるとは。くっ...。

す、すみません、私。見せなきゃいけないと思って...

小さな声で言い訳をする私に、オヤジの声はでかかった。

いやいやいや、あなたは思いのほかお若く見えますからーーー。」

やーめーてーーー。私はムンクの『叫び』のように、そのまま泣きながら頭を抱えて店から走り出てしまいたかった。

部屋に戻ると、ポテトチップスの袋を開けて、ビールで乾杯をした。エキストラベッドの上で寝そべりながらの宴会だ。ここは日本の旅館みたいにテレビもないから、テレビに気を取られて会話が途切れるということがない。お菓子を食べながら、ただひたすらにおしゃべりし続ける。

仕事のこと、人間関係のこと、恋愛のこと、結婚のこと、人生のこと。いろんなことを話ながら、時間が過ぎていく。今までの分を取り返すかのように、私達は話し続けた。夜が更けたって、おしゃべりのネタは尽きない。こうやって話すのっていいよねぇ。明日はどこへ行こうか。明日はSEDONAあたりまで足を伸ばしてもいいね。それ賛成!それには早起きしなくちゃいけないけど、だいじょうぶかな。

任せておいて、と和田と美紀ちゃんが目覚し時計をセットした。これで明日の朝は彼女達が起こしてくれる。彼女達は寝起きがいい。私はひどく寝起きが悪い。とにかく起こしたって、時間が許す限り、ベッドの中でむにゃむにゃしている

よし、明日のことは心配なし!おしゃべりしつづけよう。

夜も更けきった頃、美紀ちゃんは寝てしまった。
パワー有り余る私と和田は、朝の6時くらいまでだろうか、お話をし続けた。

いろんな悩みをお互いに相談し合う。これは女の特権なのか。別に頼ってるわけじゃない。ただ話を聞いてもらいたいだけ。話すことって、すごい浄化作用があるんじゃないかな。日々の不満や不安を吐露することで、心の中の膿を全部外に出してしまうんだ。だから、なんでも話を聞くよ。私になんでも話してよ。そして、余裕が出来たら私の話も聞いてくれるかな。

哀しいときとか辛いとき、本当に胸が苦しくなるときがある。胸が重くなったり、キューッと締め付けられたり。心は脳にあるっていうけれど、私もそう思うけれど、この胸に感じる根本的な感覚は一体なんなんだろう?とっても哀しいときには涙が出る。涙は心を洗ってくれる。私はあまり泣かない。泣いてしまったほうが楽なのに、とわかっていても泣けない。だから、哀しいときは頭が痛くなる。眉間にしわが入って、頭がどーんと重くなってくる。怒りに心が燃えているときは、そのエネルギーを外へ発散するべく、叫んだり、こぶしでテーブルを叩いたりする。楽しいときには自然と歌を口ずさんでしまうし、嬉しいときには体中を動かしてしまう。それらの感情を人に話すことで、すっきりするときもある。

感情って、ひとつのエネルギーみたい。エネルギー保存の法則ってあるけれど、人の心から涌き出たエネルギーは、涙や言葉に転化されていくのかな。

悪い人と話したとき、私は心が汚れたような気分になる。そんなとき、私はひんやりとした新鮮な空気を吸ったり、川のせせらぎや海の音のようなきれいな音を聞いたり、お風呂に入って体を洗って物理的に清潔になろうとする。どうしてそうするのかわからないけれど、そうすることで、心の汚れが流れていくような気がするの。

人の心は不思議だね。

そろそろ眠くなってきた。私達も一眠りしよう。もうこんな時間だから、予定の時間より少し遅目に起きようか。だいじょうぶだいじょうぶ、ちゃんと遊びには行けると思うよ。うん、じゃあね、またね、おやすみ...。

**************************************

ああああーーー!!!なんで起こしてくれなかったのよーーーーっ!!!

飛び起きた美紀ちゃんは激怒した。時計は午後の2時近くを指していた。
SEDONAはあきらめるしかなかった。でも、私と和田は十分な睡眠が取れたのであった。

(つづく)



21日 適性診断: ガイド不適切
 
少し寝坊をして目を覚ました。
私は朝から張り切っていた。張り切って見えないようでも、実は張り切っていた。彼女達には、日本とは違う、アメリカの中華料理を楽しんでもらいたかったし、Native American博物館へも行こうと思っていたし、マツキヨに喜び震える彼女達にはやっぱり、アメリカンファーマシーへ連れて行きたかった。

もう昼ご飯の時間である。お腹がぺこぺこだ。私の愛車、ハニー三世でフェニックスの街までレッツゴーだ。言うまでもないが、アメリカの道路は碁盤目状に整備されていて、道路にはそれぞれ名前がついている。その名前さえおさえておけば、目的地まで簡単に行けてしまう。

今回目指している昼食の場所は、私が連日通っていた中華レストランであった。『Gourmet of Hong Kong(香港グルメ)』という名のレストランは、いかにも客を拒絶している造りで、窓は鉄板のようなもので覆われ、ドアも外側に金属のカバーが付いていて、外からは中が計り知れない。かろうじて、道路に面して出ている看板だけが、ここはレストランだと告げていた。

二人とも声を揃えて「あやしい〜!」と訝る。いけない、第一印象からこの店の印象が悪くなってしまった。私も最初はドアを開けるとき、どきどきしたけどね。

フェニックスの日差しは強い。高いビルのない場所では、窓からの日差しで冷房が効かないくらい部屋の中が暑くなる。そこで、窓を覆って日差しを入らないようにして、冷房の効率化を図っているのである。ね、だからそんなに怪しくないんだよ

二間に分かれている店内は、古ぼけていてかなり広い。 壁は黄ばんでいるし、寒々としたテーブルと椅子は、ワンカップ大関なんかのグラスがコップ代わりに出てくるような、日本の定食屋を思い出させる。

中華料理は英語のメニューに慣れていない人に優しい。料理名が漢字で書かれていることがあるからだ。(英語だけのときもある。)これなら、彼女達も自分のメニューを選べるだろう。それになりより、ここの料理は安くてボリュームがあっておいしい。平日のランチはたったの5ドルで、おかずとおひつに入ったご飯とスープが出てくる。ウーロン茶は無料だ。私がここへ足しげく通った理由は、食べきれなかった料理はお持ち帰りの箱に詰めてもらって、それをまた夕飯に出来るからである。美味しいから、続けて同じ料理を食べてもなんら問題はない。

中華料理の中でも、私は香港料理が好きだ。四川は辛いからあまり好みじゃない。上海も好きだけど、甘い味付けが多いのでやや気が削がれる。調理方法に凝っている北京料理は捨てがたい。広東料理は醤油ベースのあの味付けがあまり好きでない。本来の香港料理は、他の中華に比べて洗練されている。使われる野菜や味付けのソースは、西洋のものを多用していたりする。何より、匂いが違うのだ。油っこい匂いではなく、食欲をそそるあの匂い。ブラックビーンズのソースで味付けされた牛肉などはご飯が何杯あっても足りないくらいだ。

横浜の中華街でも、中国の調味料で調理してある料理にはお目にかかれない。ぜひとも美紀ちゃんや和田に、本場に近い中華を楽しんでもらいたかった。

美紀ちゃんはビーフチャーハンを頼んだ。和田は牛肉とピーマンの炒め物だ。なんで日本でも出てくるような料理を頼むんだよー。あっ、他のはどんな料理かわからないからか。じゃあ、私はお手本として、骨付き蒸し鳥の葱ソース和えを注文することにするよ。これはぶつ切りにした鶏をそのまま茹でて(たぶん)、しょうが、葱、塩、それと油で調理したソースをかけたものだ。ご飯に合うんだなー

美紀ちゃんは運ばれてきたチャーハンの量に絶句していた。でも、一口食べて「美味しい」といった。私も一口いただく。うん、美味しい!中華料理屋で使うお米は、ポソポソしていて匂いがある。そこがなんとも言えず、脂っこい料理に合っているのだ。油で炒めてもこのお米は美味しいんだなー。

和田の料理が運ばれてきた。和田はお皿を一目見て、顔を歪めた。いろいろな野菜が炒めてあるのだが、その中に嫌いな野菜が入っているらしい。いじましくも、箸で一つ一つつまみ出している。でもさ、こっちの野菜は美味しいんだよ、一口食べてみなよ。私に唆された和田は、野菜の中でも一番嫌いというピーマンを口にした。

............................!!!!!!!!!!

口の前で手のひらをパタパタさせ、首をでんろく人形のように振り、もだえている。そ、そんなにまずかった...?

やっとの思いで飲み込むと、恨めしそうにアメリカのピーマンはまずい、と言い放った。和田の言葉を借りると、アメリカのピーマンはでかくて肉厚で、"ピーマン!"という味がするらしい。ごめんねと言いながら、私は心の中で、苦悩する和田に指を差して爆笑していた。ごめん、和田。

私の皿が運ばれてきた。二人とも「わー、おいしそうーーー!」ときたもんだ。ふふふん、諸外国でのメニュー選びには、それなりのスキルが必要なのだよ、スキルが。何度、失敗を繰り返したことか。超空腹で、うきうきしながら未知の料理を待っていたらば、小さい皿に、ころころっと羊のウンコくらいの貝が出てきたとか、身悶えしそうなくらいに黒くて甘いソースで和えられた得体の知れない魚が出て来たりとか...まぁ、ちょっと思い出すと遠い目をしちゃうね。

淡白な鶏肉の味に、このしょっぱい味付けのソースが合うんだよなー。ご飯が進むーーー。ばくばく食べる私の横で、やはり和田が愕然と箸を震わせていた。

「このご飯、ツヤがない!ぽそぽそしてる!」

はっ...ししし、しまった!長いこと日本から離れてたから忘れててた。日本ではこの手のご飯は出ないんだった。日本のお米はほこほこしていてつやつやしていて、わずかに甘い味がしてとても美味しい。そんなご飯を毎日食べてる彼女達に、こちらのご飯は相当ショッキングであったに違いない。うーん、これは私の配慮不足だった。無念

「ほんとだー。つやがなーい。」

美紀ちゃんが和田のご飯をつついていた。(つつくだけ。食べない。)

店を出ると、フェニックスの日差しがまぶしかった。車を開けると、中は完全にヒートアップ状態。室内に残したペットボトルの水は、もはやお湯である。ものすごい勢いの風で、しばし室内をクールダウン。あー、トランクの中に積んでるハッカクの匂いがきついなぁ。

その後、我々はNative American博物館の建物をしばらく眺めたあと、お土産屋に直行した。アメリカンインディアン特有の模様で縫われた布や、トルコ石のアクセサリー、木彫りの人形や、ドリームキャッチャー、静かな店内はNative Americanの文化満載である。中でも彼女達の目を惹いたのは、願い事を叶えてくれるという、豆粒サイズの5つの人形だった。美紀ちゃんはことさら興味を持ったらしく、「宿題とかしてくれるのかなー」と呟いていた。完全に『小人の靴屋』と『ドラえもん』をごっちゃにしている。それに、美紀ちゃんにはもう宿題はないはずである。

博物館を後にすると、私達はホテルへひと泳ぎにしに戻った。

実は、私はあまり泳ぎが得意でない。昔、泳ぎの得意な姉に、「プールの端から端まで泳げる」と豪語したが、実はそれはプールの横幅の端であったことがバレ、さんざん馬鹿にされたことがあった。美紀ちゃんと和田はわりと運動神経がいい。和田は"わりと"なんてもんではなくて、無茶苦茶運動神経がいい。でも笑顔のまぶしい彼女の得意なスポーツは、『卓球』である。

美紀ちゃんはスーイスーイと顔出し平泳ぎで格好良く泳いでいる。和田は顔出しクロール(サーフボードを漕ぐときの泳ぎ)で思いきり泳いでいる。いいなぁ。私も顔を出しながら平泳ぎしてみたいよ。私はプールサイドにへばりつきながら、彼女達を眺めていた。

思ったよりパッとしないガイドぶりに、自分の不始末ながら落胆していた。よーし、名誉挽回!今夜の食事はちょっと大人っぽい場所にいったるぞー。もう未成年じゃないんだし、お酒が飲める場所にだって入れるんだーーー。パスポートプリーズ、それがなんだー。いや、それを言うなら、ID(アメリカの身分証明書)プリーズだー。

相変わらずプールの壁にへばりつきながら、私は頭の中をフル回転させていた。

(つづく)



20日 友達エッセンス
 
久しぶりの再会だというのに、空港で抱き合うこともなく、感涙ということもなかった。気持ち的には「おー、来たかー。」「おー、来たよー。」という感じだ。というよりも、二人は長旅に疲れ切っていた。私はといえば、表面上はまったく盛り上がったそぶりはなかったが、心の中はいつもの100倍くらい、テンションが高くなっていた。

美紀ちゃんと和田は、私が勤めていた会社の同期だ。和田は私よりもずっと前に退職していて、現在は某カッコイイ会社でバリバリと働いている。3人の中では、唯一美紀ちゃんが、現在の会社を辞めずにコツコツと働いている。みんな、入社当初からの付き合いだ。

美紀ちゃんは、豊満な体つきにおっとりとした性格で、おまけに美人ときているから男は放っておかない。和田は、ショートカットの似合う美人で、元気溌剌娘に見えるけど、実は意外に寂しがり屋という、これまた男が放っておかないタイプである。なぜか私は、昔から友人になる人は美人が多かった。一緒に遊んでくれるお友達は、みんな美人だ。私はいわば、美人でカッコイイ集団の中の、キレンジャーのようなものだ。カレーも大好物だし。

和田はさっそく、ロストバゲージに出くわしていた。荷物をホテルまで届けてもらえることを確認して、一路、ホテルへ向かうことにした。

ふふふ、今回のホテルはすごいんだよ。Phoenixの最高級ホテルPointe Hilton(ポインテ ヒルトン)に宿泊なのだっ!一人旅では、絶対に宿泊することなど許されない高級ホテル。それもスウィートルーム!和田が友人を介して予約してくれたらしい。ああ、和田が友達でよかった。生きててよかった。

トロピカルな王国風に造られたこのホテル。高い天井のロビーには、ハンサムなスタッフが勢揃い。カートで部屋まで案内される。部屋の目の前は大人のプール。そして、シンクの取り付けられた一角には、ミニバーと高級ワインが置かれていた。彼女たちは寝室で、私は居間のエキストラベッドで眠ることにした。彼女たちが支払ってくれている部屋なので、一緒に泊まらせてもらえるだけでもありがたい気持ちだ。

今夜は眠らせない。だって、今夜はおしゃべりで夜明かしするんだ。でも、まずは腹ごしらえをしよう。メキシカンはどうかな。トルティーヤなんかつまみにしながら、ビールでも飲もうよ。せっかく暑いところに来たんだからさ、日の暮れる空の下で気持ちよく酔っ払おうよ。オレンジ色の空に紫の雲が横たえる。東から、だんだん藍色の夜がやってくる。オープンテラスには、徐々にランプがその灯りを輝かし始めていた。耳を澄ませば、虫の声すら聞こえてくる。

「かんぱーいっ!」

ビールの瓶を持ち上げて、乾杯に音を鳴らした。ぷはーっ、こんなにおいしいビールは久しぶりだよ。で、最近の日本はどうなってるの?ウタダヒカルってすごいんだって?仕事は楽しい?あの男とは別れたの?え?アリゾナなのにサボテンがない?砂漠がない?さすがに街には砂漠はないよ。いやー、楽しいねぇ。もっと飲みたいよ。

とりとめもない話題に花を咲かせて、メキシコ料理に舌鼓を打った。
いつの間にか、日はどっぷりと暮れていた。そろそろ部屋に戻ろうか。部屋に戻って冷蔵庫のビールを飲んじゃおう。お金なんてかかったっていいじゃん。楽しけりゃいいんだよね。貧乏の苦しみはいつも後からやってくるもんなんだけど、こんな特別なときはそんなことに頭を抱えないで楽しくやりたいよね。

部屋に戻って、軽くビールを飲む。しかし、飲めない和田は、さっさと水着に着替えてプールで泳ぎに行ってしまった。美紀ちゃんは、私の最新の日記を熟読している。私は一人、ソファに寝そべりながらぼんやりと、こういう勝手な集団だから、安心できるんだなーと実感していた。

私はべったりとどこへ行くのも一緒といった関係は好きじゃない。安全は確保するが、それなりに自分の思い思いの場所へ勝手に行くことを許したいし、私も許されたい。誰かが何かを提案しないとどこにも行かないような集団とどこかへ行くのはごめんだ。いつまでも「何食べるー?」とか言いながら、だらだら無駄に歩き回るのも嫌いだ。

その点、美紀ちゃんや和田はそんなことを心配しなくてもいい。まぁ、そろそろ三十路という女達なのだから、それが当たり前なのだけど。

真剣トークはそれほどせずに、エキストラベッドを広げて寝そべりながら、いろんな話をした。ああ、久しぶりだな、誰かとこんなふうにたくさん話すのは。長いこと連絡を取り合っていなくても、こうして会えば前と同じようになんのこだわりもなく話し合える。そんな息の長い仲間達。あの子もあの人達も、美紀ちゃんや和田と同じように息の長い友達だ。今更ながら、自分の人選に満足する。だって、やっぱり私の仲間の中に、間違った人はいない。

友達は財産だ。どんなお金を積んだって、いい友達を手に入れることなんて出来ない。例えるなら、自分自身の価値っていうのがあって、その価値に見合った人間が回りにやってくるものなんだ。いい友達って、みんながみんな自分にとって都合のいい友達ってわけじゃない。中には都合の悪い友達もいるし、なんだか煮え切らない態度に葉っぱをかけたくなるような友達もいる。でも、それにはきっと意味があるはずなんだ。お互い、ハッピーになる鍵を持っているはずなんだ。そのとき出会ったこと、そして今も続いていることには、必ず意味がある。与えたり与えられたり、刺激しあったり。澄んだ水に水滴が落ちたときに広がる、水の輪のように、お互いの関係が影響しあってる。たくさんの数の水滴が落ちれば、水面の波紋はそれだけ複雑になる。私は出来れば、自分の水面にたくさんの水滴を落とし、綾なす波紋をもっと巧妙な美しさで仕上げたい。相手の心の水面にも、自分という水滴を落とし、何か軌跡を残したい。

テキトーに付き合う関係っていうのも楽しいのかもしれないけれど、たぶん私にはそれが出来ない。魂が触れ合うまで交流を重ねてしまうし、触れ合うことで噛み付かれたり傷ついたりすることもあるし、その人の一部が私の心の水に溶け込むこともある。どちらの場合でも、私は心を進化することが出来る。心の進化なしには、私の友情はあり得ない。

旅で疲れた彼女達は寝室へ行ってしまった。私は、パリパリに糊のきいたシーツの上で、暗くなった天井を仰ぎながら、まだちょっと興奮していて眠れない自分に気がついた。

明日は、彼女達をPhoenixの街中まで連れて行くつもりだった。そして私は、自分にはガイドの才能がないことをつくづく思い知ることとなる。

(つづく)



19日 ついに天変地異が!
 
夏のフェニックス(Phoenix)は、シーズンオフだ。そう、それを忘れていたわけではなかった。

私は、暑く照り返すアスファルトの街を、ぐるぐると運転していた。この辺りに、宿泊先として予定していたユースホステルがあるはずだった。背の高いフェニックスが幾本もそびえ立つこの通りを、一体何べん通ったことだろう。私の助手席には、ユースホステルガイドが置かれていた。役に立ちそうにもない簡単な地図がそこに載っている。ガイドでは、フェニックスのユースホステルのことを、山小屋風でとても居心地がいい、と絶賛していた。耳の遠いおばあちゃんがマネージャー代わりで、昼下がりにはお話し相手になってくれる、というのも魅力的だった。小さなキッチンが付いているので、自炊も出来る。私はまだ、旅を始めてから一度も自炊をしていなかった。一泊、12ドル。もう、「ここしかない!」というくらい、私はユースへ宿泊することに燃えていた。

ようやくたどり着いたユースホステルの入り口で、若い男女のカップルがうつむきながら外へ出てきた。ユースホステルは、緑で覆われていて、庭には大きな穴が掘ってあった。その若いカップルを尻目に、私はユースホステルの庭を覗きこんだ。Native American風のおばあちゃんが、「ごめんなさいねぇ...」と言っていた。え?ま、まさか

「今まではこんなことってなかったんだけど...」

え、え、え?何?もしかして、休館?

夏の間は休館だってさ。

カップルの男性の方が教えてくれた。まじかー。当てにしてたのになー。ガイドには、一年中営業って書いてあったぞー。今年から変更になったのか?とにかく、他に宿を探さなくちゃ。しまったなー。ここで節約しようと思ってたのにー

「この辺りで、どこか安い宿を知らないかい?」

男性の方が聞いてくる。うーん、どれくらいここに滞在するのかによるけれど、1週間で120ドルというところはあったよ。
見ればこのカップルに、車はないようだった。

「もしよろしかったら、私の車で近辺のモーテルまで行きましょうか?」

女性のほうは、まぁ助かるわ、という表情を浮かべたが、男性の表情は硬かった。

「いや、いいよ。僕達はバスでもつかまえるから。」

どうやら警戒されてしまったらしい。ここはアメリカ。ヒッチハイクは非常に危険だ。ましてや、知らない人の誘いになど乗ってはいけない。しかし、いくらなんでも、こんなちっちゃい日本人の女の子を相手に、警戒することもないんじゃない?そういうのをね、見当違いって言うんだよ。

二人は去って行った。女性が、すまなさそうに降り返って、手を振った。彼女には私の無害性が伝わっていたらしい。こういう時って、女性の方が勘が鋭いのかもね。アンタ、そんな見る目のない男とは別れちゃった方がいいよ。(余計なお世話である。)

気分を変えて、私も車へ乗り込んだ。さーて、どこの宿に泊まろうかな。私は再び、街をぐるぐると運転し始めた。どうやら、宿がたくさんある通りは、決まっているようだ。一泊、17ドルという看板が掲示されているところもある。安いなぁ。別にユースホステルじゃなくても安いモーテルっていくらでもあるんだ。しかし、17ドルと書かれた文字の下には、アダルトビデオ放映中!と書かれていた。...どうやら、ファミリー向けでないらしい。もう少し行くと、今度は25ドルと書かれた看板が目に入った。ウィンカーを出して、そのモーテルの駐車場へ入る。どこへ停めようかなー、と考えながらハンドルを切ると、そこに停まっている車はすべてオンボロだということに気が付いた。私の左手に見える車など、窓ガラスが割られている。こんなところへ私のぴかぴかハニー三世などを駐車したら、泥棒の格好の餌にされてしまう。だめだ、だめだ。別のところへしよう。

やはり、安い宿にはそれなりに事情のある人が宿泊している。用心しなくてはならない。私は、少々高めだが45ドルという看板が出ているモーテルへ入った。駐車してある車は、それなりにきれいだ。受付へ急ぐ。インド人のおじさんが、カウンター越しに私を待ち構えていた。

「ハロー。こちらへご宿泊ですか?」

はい、安い宿を探しているんですが。

「この辺りじゃここが一番安いね。他の安いモーテルは危険だよ。ここはたったの45ドルだよ。」

45ドルも払うのだったら、インターネットに接続出来るような部屋じゃないと割に合わないな。ちょっと部屋を見せてもらってもいいですか?電話のモジュールジャックを確認したいんです。あ、私はアヤシイ者ではありません。もしなんだったら、私と一緒に部屋へ付いてきてもらってもいいですよ。

「.............................。」

おやじは無言だった。もしも私を疑うんだったら、一緒に部屋へ行って、そこで監視してもらっていいですから
私は必死だった。

「..............僕にキミと一緒に泊まってもらいたいの?

なんでそうなるんだよーーーーっ!!!彼は私の右手を優しく握り締めた。おいおいおいおい!その手を離しなさい!私は、間違ったモーテルへ来てしまったのだ。そうだ、私はここへ泊まるべきじゃない

私は別のモーテルを探すことにした。

少し高くても仕方がない。身の安全が第一だ。いくら金銭感覚のない私でも、このまま行けば、私のお金も底を尽きてしまうことくらい容易に予想できた。私はあまりいい噂を聞かなかった、Super8という全米を網羅しているチェーンモーテルに宿を決めた。お金を払うとき、レジの横に"VIP"と書かれた広告が立てかけられているのを目にした。あの、これはなんですか?

「VIP会員になっていただくと、10%の特別割引が使えるようになるんです。今日から使えますよ。」

おお。これぞ旅人の味方。割引なんて、日本ではあまり興味がなかった言葉だったけど、今なら興味津々だよー。人生、割引しまくりだよねー。私は、鼻の穴を膨らませる勢いで、VIP会員になる意思を伝えた。VIP会員になった暁には、このSuper8だけに忠信を尽くすよーーー。

かくして、私はSuper8モーテルのVIP会員カードを手にした。その夜の宿代は、約35ドルであった。

朝を迎えると、明日、日本からやってくる友人達を案内するため、街の下見へ出かけた。Native American博物館へ行き、大きな薬局も下見した。アメリカは初めて、という彼女達にリアルアメリカンを感じ取ってもらいたかった。私はロビーで聞いた、スーパーマーケットへも足を運ぼうとしていた。

そのときだった。先ほどまでの青空が、一気に怪しくなっていった。私が目指すスーパーマーケットはすぐ左手にある。どこかでUターンをしなくてはならない。私は悪魔が飛び出てきてもおかしくない、暗い雲の塊へ向かって走った。前方で稲妻が走るのを合図に、強風が吹き始めた。道沿いのフェニックスが、狂い猛ったかのように揺れている。間もなく、豪雨が降り始めた。

私はなんとかUターンをし、スーパーマーケットの駐車場へと急いだ。車を停める。エンジンも止めた。空がピカッピカッと光っている。バケツをひっくり返したような雨がそこらじゅうに降り注ぐ。風が音をたてて、私の車を揺さぶった。目の前でスーパーの垂れ幕が風に飛ばされていく。先ほどまで、急な雨に逃げ惑っていた客達も、今は姿が見えない。空が再び光る。風で車が揺れる。まるで世界全部が揺れてるみたい!雨は滝のように降り注ぎ、駐車場はちょっとした洪水状態だ。

ここで、私の好奇心がムクムクと恐怖心の間から押し上げてきた。豪雨、強風、洪水。すごい!空が織り成す阿鼻叫喚だ!沖縄の人は、台風が来ると家の畳をはがし、そいつを背中に縛って外へ飛び出し、強風に煽られ空を飛ぶ、という遊びを楽しむらしい。(←本当かどうかは知らない。)私だって!畳こそないけど、外で雨に打たれたい

以前、館山へ出かけた際、大きな台風に見まわれたことがある。その時も、止める後輩の声も聞かずに、自転車で外へ飛び出して遊んだことがある。翌日は街中が洪水で、何も用事がないというのに、わざわざ膝までズボンを捲し上げて近所のコンビニエンスへ行ったのだった。途中で、自警団のおじさんに「どこから来たのー!?」と聞かれ、ヨコハマと答えて、感心されたことを今でもよく覚えている。たぶん、おじさんは近所の子だと思ったんだろうなー。

私は車のドアを開けた。うっ、風でドアが重たい。ちょっとの隙間から、雨がジャバジャバ入ってくる。私は人間業とは思えない早業で、車から飛び出した。しかし、車のドアの鍵をかけるのは、頭の悪い子供のように遅かった。私はびしょ濡れになった。

びしょ濡れになったら、こっちのものさ。私は嵐の中の王様だ。はははー。はっ。足元を見ると、私の大事な皮のビーサンが無残にも水没しているのが目に入った。いかん。これは高級ビーサンなのだ。ただちに建物の中へ逃げ込まなくては!

私は濡れて滑るビーサンに悪態をつきながら、スーパーマーケットへ入った。入り口には、買い物を終えて立ち往生している客達であふれていた。しかし、その奥は何事もないかのように、日常の買い物風景が広がっている。私は何も買うものなどなかったが、なんとなく店内をぶらぶらし始めた。濡れた体に、冷房が堪える。私は、大きな水のボトルと、普段は食べないようなお菓子をカゴに入れた。15分くらい、店内にいただろうか。買い物を終え、私が再び駐車場へ出るときには、雨は上がり、空は晴れ渡っていた。先ほどまで洪水状態だった駐車場も、今ではアスファルトが乾き始めているほどだった。

フェニックスという街の、気性の荒さを垣間見た出来事だった。

(つづく)



16日 Scottsdaleの憂鬱
 
ただひたすら乾いた土を見ながら運転していた。干からびた土の上に生息する植物は、背が低く、まるで乾いたマリモのように丸かった

私は今、東へ向かっている。今日の目的地はフェニックス(Pheonix)だ。道路の上では、バーストしたタイヤの残骸が飛散しているし、道路脇にはオーバーヒートした車が立ち往生しているのをよく見かけるな。やっぱりこれは、この辺りの気候が暑いからなのかなー。

私の愛車、ハニー三世の中では、ドリカムのニューアルバムが流れている。んー、気分いいねぇ。ドリカムは特に大好きってわけじゃないけど、車の中で歌えるからいいんだよね。相変わらず車内に注ぐ、太陽の日差しは強かった。真っ青な空。果てしなく続く浮き雲。山間を走っているときでさえ、空は大きい。まっすぐな道には、大きなトラックが頭から黒い煙を出しながら、数台の列をなしている。アメリカのトラックの多くは、ボンネット付きで、排気口は上を向いている。軽快に走る私のハニー三世(赤のマーキュリー)がトラックを追い越すとき、なぜかトラックはクラクションを鳴らす。これは、いまだに理由がわからない。最初はねずみ取りのお知らせかな、とか、ライトの消し忘れを教えてくれてるのかな?とも思ったが、そういったことではないようだ。それとも、「あんなちっこい車が俺達を追い越して行くゼ。ナマイキなヤローだ。」っていう意味なのか?とも思ったが、そうでもないらしい。しかし、トラックを追い越すと、決まってトラックの運ちゃんはクラクションを鳴らすのだ。

プップーッ!

よく意味がわからないので、とりあえず左手を挙げて応えることにしておいた。今のところ、それで問題はない。大体、彼らには私が見えないはずだ。なにしろ私は背が小さいので、後ろから私の姿は見えるはずがない。一見のところ、無人カーようだ。むしろ、私はそう見えることをポリシーとしていて、運転席に座るときには、必ず頭がシートから飛び出ていないかどうかをチェックする癖がついている。

アリゾナ州に入ると、景色の雰囲気がなんとなく違って見えた。殺伐としていることには変わりはないのだが、何かが違う。うーん、なんだろう。あ!サボテンか!アリゾナに入ったとたんに、荒野にサボテンの姿が見え始めたのだ。赤い土とサボテン。これぞアリゾナだよー。でも、州境をきっちり越えたところでサボテンが出現し始めるとは、何か人為的な匂いがするなー。

フェニックスには、ほどなく着いた。フェニックスはけっこう大きな都市で、モーテルには困らなさそうだった。今日はスコッツデイル(Scottsdale)にも足を伸ばしたいので、早々に宿を決めてしまった。実は、この街にはユースホステルがある。明日からしばらく、そこへ泊まろうと思う。今夜は、ちょっとデラックスな宿でのんびりしよう。

宿に荷物を置いた私は、さっそくスコッツデイルでランチを食べようと張り切ってハンドルを握った。

スコッツデイルは、フェニックスの古くからのリゾート地だ。軒を並べる店は、深い茶色で磨かれた木材で縁取られているし、所々に小さな花の咲いた、鉢植えが並べられている。緑の茂る生垣にはハイビスカスが咲いていて、その蜜を頂こうと、ハチドリ達が寄ってくる。美しい街だなぁ。私はハチドリをしばらく観察したあと、通りを隔てたレストランへ行こうと、横断歩道を渡ろうとした。その向こうから、妙な身形のオヤジがやってくる。頭には、戦時中の兵隊が被るような耳当てのある帽子、瓶底メガネ、黄ばんだランニングシャツ、ボロい単パンに、中国の扇子がいくつも刺さったウェストポーチ、という出で立ちだ。オヤジとすれ違うとき、ほんの束の間目が合った。オヤジは私を通り過ぎて行った。しかし、オヤジは横断歩道を渡り切るか切らないかというところで踵を返し、私を追いかけてきた。私は、落し物でもしたかな?くらいにしか思わなかった。

「ちょっとすみません、すみません。」

振り向くと、オヤジは新聞の切り抜き記事を集めたクリアボックスを私に見せた。記事には、若かりし頃のオヤジとおぼしき人物が、たくさんの犬や猫に囲まれていた。

「私は、動物愛護の運動をしている者です。もしよろしかったら、1ドルでも、2ドルでも...」

ああ、寄付金集めか。私は、オヤジの言葉の途中で財布を取り出そうとした。

......5ドルでも、10ドルでも、20ドルでもいいから寄付していただきたいんですが。」

おいおい。人が財布を出そうとしたからって、寄付の金額を吊り上げることはないだろう。私は、ちょうどあった5ドル紙幣をオヤジに差し出した。なに、「仕事がないから金をくれ」というのとはわけが違う。皆さんからの寄付金で、かわいそうな犬や猫を救おうって話だ。それなら、私の5ドルも安いタバコに姿を変えることはなかろう。

「ありがとう。あなたに神のご加護を。」

と言って、中国製の扇子をくれた。人から与えられることを期待している人に、神という言葉を口にしてもらいたくないものだ、と本能的に思ってしまう私だが、そのまま立ち去ろうとすると、オヤジがさきほどのクリアホルダを突き出し、延々と彼の活動についての講義を始め出した。まいったな、この炎天下に。オヤジは言う。

「私は仕事も地位も投げ出して、今はかわいそうな動物達に人生を捧げている。家には、住むところのない浮浪者がいるし、先だって産まれた乳飲み子もいる。というわけでお金を集めなくちゃいけない。」

ふーん。...なんか雲行きが怪しくなってきたなー。太陽は燦々と私達を照らしているけど。

「私はこの狂った世の中を正したい。世の中みんなお金のせいで狂っている。お金なんかなければいい。このお金のせいで、貧乏人ができるんだ。苦労はみんな貧乏人が背負うんだ。私には乳飲み子がいる。この乳飲み子に、この世はお先真っ暗だ。お前なんか生まれてきたって、いいことなんかは何一つないってことを教えてあげなくちゃいけない。」

カチーン!人からお金をせがんでいるくせに、お金が必要ないだと?それになんだ!生まれてきたばかりの子供に、世の中がダメになってるなんて、なんで教えるんだ。世の中がダメかどうかは、その子がこの世を見てから、その子自身が決めることじゃないか!親が勝手に世の中を押し付けるなんて間違っている!

私の反論はオヤジに火をつけた。オヤジの演説が白熱していく。
じりじりと太陽が動き、日差しが私の目を突き刺す。私はオヤジの影へと体をずらした。

「世の中は狂ってるんだ。みんな大きな家に住みたがり、贅沢な暮らしを求めている!それはお金のせいだ!大きな家なんかいらない。贅沢を売りつけるデパートもいらない。みんな食べ物は自分で耕し、狩りをして生活するべきなんだ。人はちょっとのお金から、より大きなお金を手に入れようと悪いことに手を染めて、どんどん狂った世界を作っていくんだ。そんな世界に生まれたあの子が、かわいそうだ。だから、教えてあげるんだ。心構えができるように。」

何も知らない子供にそれを教えるなんて、そりゃ洗脳だよ。それに、世の中はそれほど悪い世界じゃない。確かに、贅沢を好む人はいるでしょう。それは、心が貧しい人が贅沢を欲しがるのでしょう。確かに、お金のために悪いことに手を染める人もいるでしょう。それは、いまだにお金を重要なものだと信じている人がそうするのでしょう。お金はそれほど重要なものじゃない。必要なものだけれど、余るほどはいらない。それに、今更世界が原始に戻るわけことは出来ない。例えば、私は贅沢な暮らしを必要としていないし、お金が一番重要なものだとも思っていない。だからといって、原始に戻ろうとは思わない。私達は進化している。昔に戻るなんて馬鹿げてる。常に先に進まなきゃ。もっと精神を成長させて、今の文明を維持しながら尊い生活ができるように、自分を磨かなくちゃ。

そこまで言うと、オヤジはふふんと鼻白んだ。

「あんたの言ってることは、霧のように宙に消えるね。ただのきれいごとだ。」

カッチーーーン!!

「そういうあなたが、贅沢を欲しがり、人より多いお金を欲しがっているんじゃない。あなたが私に乞ったものは何?」

おやじはムッとした顔をして、「それじゃ」と足早に横断歩道を渡ってしまった。

お金は大して重要じゃないさ。文明を維持しながら、お金がさほど重要でなくなる時代は、いつかやってくる。ただ、今はまだそこを越える思考に、世の中が行きついてないだけ。いずれ、奪うことより、与えることのほうが幸せに思える時代が来る。うーん、やっぱり私はきれいごとの中に生きているのかな。

足元を見ながら歩いた。考えながら歩いた。考えすぎて、お腹が空いた
私は、マフィアが経営してそうなイタリアンレストランに入って食事をすることにした。

マフィアの一味みたいなちょび髭を生やしたイタリア伊達男が、メニューを置いてウィンクした。

魔法のように、私は思考の渦から解き放たれた。

(つづく)



15日 シャイな男たち
 
私は、東へ進んでいた。Big Bear Lakeから私の目指すアリゾナ州フェニックス(Phoenix)は、約360マイル、つまり約575kmほどある。別に急いでフェニックス入りする必要はない。今夜は、この区間の丁度真中に位置する、カリフォルニア州ブライス(Blythe)という小さな町へ泊まることにした。ブライスはカリフォルニア州とアリゾナ州の州境にある。州境だけに、限りなくアリゾナ州に近いこの町では、昼間はあまり外で人を見かけない。外をぶらつくには暑過ぎるのだ。ちなみに、フェニックスの夏は、暑すぎるためシーズンオフだ。

大通りには、数軒のモーテルが建立していた。安いモーテルもあるが、それなりの人が泊まっているので、安全とは言えない。とりあえず、町の治安がよくわからないときには、支店の多い、大きなモーテルを選ぶのが安全である。それなりの値段はするが、安易に安宿に泊まって、トラブルに合うよりはマシである。ブライスは、メキシコ人や黒人が多い町だった。

私は、インド人が経営するモーテルに宿を決めた。大きなチェーンモーテルのリストに載っている宿だ。
カウンターには、若く、黒髪の美しい娘が立っていた。その横には、これまた美人の母親が立っている。私が"Hi"と挨拶すると、娘は、はにかんだ笑いを浮かべて、奥の部屋へと隠れてしまった。母親は、私に喫煙ルームがいいか禁煙ルームがいいかと聞いてくる。出来れば、禁煙ルームがいいです。母親はカチャカチャとレジを叩くと、禁煙ルームの方のキーを私に差し出した。この時点で、母親の愛想は極めて悪い

駐車場を横切って、部屋へ行く。駐車場の真中には、誰も入っていないプールがあり、プールの周囲には、数本のヤシの木が植えられていた。2階の部屋から、黒人の男が「ヘイ!日本人かい!?」と声をかけてくる。そいつを適当にあしらって部屋に入る。部屋は、キングサイズのベッドに、簡易シャワールームが付いていた。白いシンクの脇に、白いタオルが積み重ねてある。清潔な部屋である。この部屋で、一晩32ドル。決して安い方ではない。しかし、ロビーのコーヒーは飲み放題ときてるし、インターネットにアクセスするためにもう一つのモジュラージャックが用意されているし、簡単だが無料の朝食も付いている。コストパフォーマンスは良い方だ。

部屋で少し落ち着くと、私は早めの夕飯を食べに出かけることにした。今日はランチを抜いて走りつづけたおかげで、お腹がぺこぺこだ。日はまだ高く、9時近くまで夜は訪れないはずであった。部屋のドアを開けた。暑い。カンカンと乾ききった暑さだ。カーテンを閉めていなければ、室内の冷房も効果がないほど暑い。

私はロビーへ行き、さきほどの母親に近所に安いレストランはどこにあるのかと尋ねた。お腹にたまるもので、あまり高級ではないところがいい。例えば、中華レストランなんてあるかしら?

「このモーテルの前の大通りを西に向かってしばらく行くと、右手に中華レストランがありますよ。高くはありません。」

と教えてくれた。相変わらずお母さんは愛想がない。ここは、お母さんの顔をたてて「インド料理」を尋ねるべきだっただろうか。

「その付近に、ビールを買えるようなお店はありますか?」

こう聞くと、母親の顔が一気に不信な表情へと変わった。

「ちょっと聞くけど、あなた、おいくつなの?

へ?あ、あの...29歳であります...。

「本当に!?私はてっきり娘と同じ歳くらいだと思ってたのよ。娘はまだ16歳なんだけど、その歳で旅回りなんて、おかしいと思ってたの。あらあら、そんな歳だっただなんて。家出じゃなかったのね。

にっこりと微笑む母親。
私の身なりがあまりにもみすぼらしくて家出少女と間違えられたのだろうか。いや、これほど豊満な私(かなりきついウソ)を見て、16歳と思うあなたがおかしい。私は顔にシワはないが、年齢相応の貫禄が滲み出ているはずだ。

家出少女の汚名を返上できた私が、ロビーのドアを開ける頃には、インド人のお母さんはすっかり愛想が良くなり、"Have a nice dinner!"(良いお食事を!)とまで言われてしまった。先ほどとは打って変わった態度である。

私が目指した中華レストランは、モーテルから西に5分ほど走ったところにあった。外から見たところ、店中のカーテンが閉まっていて、営業しているのかそうでないのかはわからなかった。よく見ると、『OPEN』の看板が出ている。本当に中華レストランなのかなぁ?見た目は日本の床屋である。

不安な気持ちで、ドアを開ける。ドアの前はカウンターになっていた。右手には、4人の白人客と中国人の店員が雑談をしていた。私が店に入ると、5人がシンと静まった。私はそこから2,3離れた奥のテーブルに着いた。私が座るまで、4人の白人は私を目で追っていた。

「いらっしゃい」

50代そこそこと見られるこの男性は、中国訛りの英語で話しかけると、お冷とメニューを置いていった。彼はそのままキッチンに入ってしまった。ドアの側に座っている4人の男性は、皆40代半ばくらいに見える。皆、野球帽をかぶり、着古したTシャツを着ていた。しばらくすると、彼らの会話の続きが始まった。町の噂話だ。私はその会話になんとなく耳を傾けながら、メニューを開いた。メニューのほとんどが、アメリカ人向けのものだった。酢豚やエビチリの類だ。後のほうには、アメリカンメニューと称して、ステーキやサンドウィッチも載っていた。ガッカリである。私は、中国人が食べる、本物の中華料理が好きなんだよー。ブラックビーンズで味付けしてある炒め物とか、カリカリに揚げた豚肉とか、そういうのはないわけぇ?

しばらくすると、店のオヤジが注文を取りにきた。私は、オヤジに好みの味を言って、それでご飯が食べたい、と伝えた。オヤジは黙って、メニューの上から5番目辺りを指差し、これが良かろうと私に促した。じゃあ、それにするよ。とにかくお腹が空いてるんだ。

中華料理は旅人の味方だ。5ドル程度でかなりのボリュームの食事が楽しめる。いろいろな野菜も入っているし、中国茶なども飲めるところがあって、私は重宝している。マクドナルドで食事をしたって、5ドルはかかる。それだったら、断然中華料理のほうがおトクだ。食べ切れなかった分は、ドギーバック(お持ち帰りの箱)に詰めてもらって、翌日食べることも出来る。実に経済的だ。

オヤジがアツアツの皿を持ってきた。私が注文したものは、肉野菜炒め醤油風味だ。野菜の汁がなみなみと注がれた皿の中に、もやしとキャベツがホタホタになって湯気を上げていた。大きめに切られた豚肉は柔らかく、濃い味付けで飯が進む。私は素早く、このおかずの量なら、ご飯3杯はいける、と計算した。

一杯目を平らげた。おかずはあと、半分以上は残っている。おかわりをしようと後ろを振り向いた。4人のテーブル客が反応する。オヤジは厨房で仕込みをしていて、こちらを向いてもくれない。私は声を張り上げた。しかし、私の声はオヤジに届かない。もう一度声を上げる。やっぱり、オヤジには聞こえないようだ。

「おい!キース!!」

テーブルの4人が同時に声を上げた。野太い4人の男の声には、さすがのオヤジも気が付いた。
男たちが、「な?このとおりだよ」と肩をすくめた。サンキューと私が言うと、

どういたしまして

と、4人が同時に軽く右手を挙げた。
そして、さりげなく、再び町の噂話に戻った。

私はオヤジに2杯目のご飯を注文した。すぐに、白いご飯が運ばれてくる。4人の男がそれを眼で追っていた。

私はご飯3杯計画を断念することにした。まだまだ食べられるのだが、あの4人の男の前で3杯目のご飯を注文するのは、どうにも躊躇われた。私はご飯なしで、余ったおかずを平らげた。お水を飲んで、一息をつくと、私は会計をしようと、オヤジのいる厨房を振り返った。4人の男が即座に反応して、「キース!会計だよ!」とオヤジを呼んでくれる。

アメリカでは、テーブル会計のところが多い。デニーズのようなファミリーレストランの中には、レジ会計のものもあるが。

オヤジはお金を受け取りながら、「ここは暑いだろう」と聞いてきた。4人の男が会話をやめ、こちらを振り向かずに、我々の会話に全神経を集中させているのがわかる。

「昨日までちょっと涼しいところにいたんですけど、ここは本当に暑いですねぇ。」

と受け答えると、ふふん、とオヤジが鼻で笑った。これからどこへ行くんだい?フェニックスかい?と聞いてくる。

「アメリカを一周するの。この町の次には、フェニックスへ行くつもりだけど、その後もずっと東へ向かうつもり。その後、北へ行って、西へ行って、南へいって、ぐるっと回るのよ。」

"Holy cow!"(こりゃぶったまげた!)とオヤジは言った。

「この次、お前さんがここを通るときは、ここは涼しくなっているだろうよ。今度はもっと涼しいときにおいで。」

朴訥(ぼくとつ)としたオヤジだったが、最後にはニカッと笑ってくれた。

私は席を立った。4人の男の会話が止まる。男たちのいるドアの方へ行くまで、彼らは一言も話さず、私を見るわけでもなく、さりげなさを装いながら、沈黙を守っていた。私が彼らの横を通過するとき、彼らは"さりげなく"4人同時にこちらを向いた。

私は、Byeと男たちに言った。

男たちも、Byeと手を挙げた。

私は、車に乗りこむと、今来た道を戻らずに、更に西へ走ってマクドナルドへ直進した。お持ち帰りでフィレオフィッシュとポテトとアイスティを注文だ。だって、ご飯2杯じゃ足りなかったんだもん。

モーテルに戻るとき、さっき食事をした中華レストランの駐車場を見ると、停まっていた4台の車はなくなっていた。

(つづく)



14日 いろんな人
 
Big Bear Lakeでの宿は、居心地が良かった。しかし、インターネットに接続できないという問題があった。電話のジャックが、重たいベッドに隠れているのである。電話側のジャックは、回線がそのまま電話の中に組み込まれているような形になっていて、ジャックどころの話ではない。しばらく考えたあと、私はこの電話の中身を覗いて見ることにした。大体、回線がそのまま電話の中に入りこんでいるのが気に入らない。その中はどうなってるんだ?しかし、電話機の中身を見るにはドライバーが必要だった。

夕食の前に、私は街までドライブがてら、どこかでドライバーを購入することにした。そうと決まったら、さっそく行動だ。もうすぐ日が暮れる。それまでに宿に戻ってこなくちゃ。私は、ロビーの女の子に、この辺りについて尋ねてみた。金髪をポニーテールでまとめた、キャシー中島似の彼女は、この辺りのレストランや雑貨屋について、親身になって答えてくれた。あまりに親身なので、親身ついでに、インターネットについて聞いてみた。他の人はどうやってアクセスしていたのかしら?

「えええー...この宿ではそういったお客様っていなくって...。ちょっと待って、支配人に聞いてみますから。」

しかし、支配人は冷たかった。

知らないね。

と、まるで変態でも見るような目つきで私を見る。おいおいおいおい、まさかインターネットやコンピューターを扱っているというだけで、変人って決めつけてるんじゃないんだろうなぁーーー!!!ニュージーランドの田舎ではよくある扱いだった。しかし、アメリカまでもが...。彼らにとっては、外を出歩かずにPCの前でカチャカチャやっていることが理解できないのである。そして、ここはリゾート地。リゾート地までPCを持ってきているなんて、頭おかしいんじゃないかー?ってな具合なのである。まぁ、こちらの事情はまったく知らないから仕方がないか。私は今夜、絶対に父へメールを出さなくてはいけなかった。だって、前日に「メールを出す」って約束しちゃったんだもん。出さなかったら心配するよ。

しかし、街ではサイバーカフェの需要も少なく、かつては2軒あったサイバーカフェも、今では両方ともつぶれてしまったという。

キャシー中島似の彼女は若かった。彼女にとって、インターネットは身近な存在だ。私が困った風だったのを気遣ったのか、支配人の失礼な態度を詫びたかったのか、彼女はその後、懸命になって接続方法について調べてくれた。

「もしもし?あ、私よ。ねぇ、あなたインターネットについて詳しかったわよねぇ?インターネットに接続したいっていうお客様がいるんだけれど、どこかで接続出来る場所はないかしら?」

なんと、個人的な友達まで使って調べてくれている。キャシー(仮名)、本当にどうもありがとう。しかし、やはりこの辺りには接続出来るような場所はないということだった。彼女はすまなさそうにこちらを見たが、いきなり"ひらめいた!"という表情をした。

「従業員室にもインターネットに接続出来るPCがあるんです。そこからアクセスしてはいかがですか?」

ええ、いいの?そんなところに部外者が入っちゃって。

「いいのいいの。どうぞ中にお入りください。」

そうウィンクすると、彼女はカウンター内に通してくれた。
従業員室には、デスクトップ型のPCが1台あり、本体には電話回線が差し込まれていた。私は彼女に、宿には何もコストがかからない旨を伝え、アクセスポイントへのフリーダイヤルを提示した。彼女は気にも留めない様子で、「終わったら教えてね」と言って、その場を立ち去った。犯罪の多いアメリカで、ここまで人を警戒しないことってあるんだろうか。私は彼女の親切に感謝しつつも、驚きは隠せなかった。

手早く用事を済ませると、彼女に丁寧にお礼を言って、私はその場を立ち去った。ありがとう。本当に助かりました。ありがとう。

彼女にチップをあげるべきだっただろうか、と気が付いたのは、私が街に出るために車を動かしたときだった。でも、あの場でお金を渡したら、せっかくの彼女の親切が陳腐なものになってしまうような気もした。こういう世界で、本当の感謝の気持ちを伝えるのって、難しいな。

私は街の中心となる道路を走っていた。道路沿いには、マクドナルドやKFCが灯りをつけている。しばらくすると、左側に大きなKMart(日本で言う、ダイクマみたいな大型の雑貨店)が見えた。既に薄暗くなってきていたので、駐車場はガラガラだった。

私はそこで、プラス型のドライバーを探した。日用雑貨、おもちゃ、ペットフードなどが立ち並ぶ棚を横目に、ドライバーを探す。ドライバー、ドライバー。ドライバーは何コーナーに置いてあるのかな。その時である

ややや!これは、ダイエット剤じゃないかっ!"ファットバーナー"とか、"スウィートカット!"などと書かれた小箱やプラスティックボトルが、所狭しと並んでいる。私は躊躇せずに、それらをわしづかみにすると、スーパーのカゴへ投げ込んだ。さー、レジに行こう、と歩き出したとき、レジの手前の棚でドライバーが目に入った。ああ、私、これのためにここへ来たんだっけ。私は一番太いドライバーを選んで、カゴに入れた。

ホテルに着くと、さっそくドライバーを使って、電話機の留め金を外してみた。
電話回線は、電話機の中へ入ると、そのまま数本の回線に別れ、精密な部分にハンダ付けされていた...。え?これだけ?私、これのためにドライバーを手に入れ、おまけにダイエット剤まで買っちゃったわけ?

私よ、一体何を期待していたのか。何かのドラマのように、その中に盗聴器でも設置されていることを夢見ていたのか。

私は、電話機を元に戻すと、食事に出かけた。近所に、"Buffet"(バイキング)と張り紙のしてある、モンゴルレストランを見つけたのだ。モンゴルかー。どんな料理を出してくれるのかなぁ?あー、お腹空いた。いっぱい食べようっ。

ドアを開けると、プンとエスニックな香りが鼻をくすぐった。客はいない。店内はモンゴルというよりは、中華レストラン。ガラス越しの焼き場には、丸くて平らで大きなテーブルのようなものから湯気がたっているのが見えた。この店では最初に、豚、鶏、牛、ラムから好きなものを2種類と、好きな野菜を食べられる分だけ皿に盛り、好みのソースを選んで調理人に手渡す。調理人は、例のスチームの出る平らなところで、肉と野菜を炒めてくれるというわけだ。席に座ると、ちょっと小太りの中国人っぽい青年が、水とお絞りと前菜を持ってきた。前菜は、甘いバーベキューソースのかかったスペアリブと、ワンタンの揚げ物、そして揚餃子だった。私がもそもそと前菜を食べていると、まだ店が暇なのか、青年は私のテーブルのところまでやってきた。

「日本人でしょう?」

そうです。日本人です。

「すぐわかったよ。どこから来たの?ここへは旅行で?」

えーっと。この手の質問に答えるのはちょっとやっかいである。なぜなら、私は日本人であるが、ニュージーランドからの旅立ちだ。とは言うものの、ニュージーランドに移民しているわけではないし...。話が面倒になるので、ロスから来たんだ、と答えた。

「アメリカ人(移民)なの?ロスに住んでるの?僕もロス出身だよ!」

いやいや、移民じゃないんだよ。日本に住んでるんだけど、ニュージーランドを旅して回って、その後そのままアメリカに来たんだ。アメリカ中を旅するつもりなんだよ。

「いいなぁ。僕も一度、アメリカを旅したいって思ってるんだ。アメリカに住んでいながら、旅したことはないからね。でも、なかなか出来ないよ。」

やりたいなら、実行すればいい、と口が滑りそうになったが、言わなかった。彼らには生活があるのだ。生活を保ちながら、やりたいことをやるというのは本当に難しいことだと言う。何かを犠牲にしなくてはならないからだ。しかし、「生活があるから」、「お金が必要だ」、「時間がない」というのは、出来ないことへの言い訳に聞こえることがある。今の私には、会社生活も、お金も、時間も、あまり重要なことと感じていない。無職であっても心もとなさを感じることはなかったし、お金は必要だけれど必要な分あればいいし、来年は30歳だとしても、結婚や出産について焦りを感じることはなかった。私は私だ。私が私であることで、自分を開放することが出来る。足かせも、自分を縛る縄も、実は自分自身なのである。それをイヤと思うこと、窮屈に思うことは、自分の中からやってくる。解決できない感情は、環境に転化されやすい。環境は、綿々と織り成してきた自分の行いの結果だ。原因と結果は、今この瞬間の結果までずっと繋がっているし、それは一本の糸ではなく、一枚の布になっている。そして、それを織り上げているのは、まぎれもなく、自分自身なのである。私は何をやってるの?何がやりたかったの?言い訳をしている自分に気が付いたとき、私は自分に問い掛ける。私が、自分自身に囚われないように。自分の人生は、自分が作り出すものだ。出来れば、後悔などしたくない。

「いつか旅に出るべき時がくるわよ。本当にそうしたいなら。」

そう私は答えた。

「僕はレイモンド。君の名前は?」

偶然だが、レイモンドは私と同じ歳であった。既に、妻を得ている。守るべき人がいるから、思いつくままには生きられない。それも真実なのだろう。私にも、いつか大切な人が見つかったら、今の考え方が変わるかもしれない。同じ歳なのに、同じ世界なのに、私達は違う次元に立っているような気がした

その後、モンゴル風肉野菜炒めを、レイモンド自らがアレンジしてくれた特別ソースで舌鼓を打った。白いご飯が進むこと進むこと。一気に3杯も食べてしまった。

またもや苦しくなるまで食べてしまった私。先ほどとは打って変わって、無口に店を後にしたのだった。

(つづく)



13日 旅のパートナーはハニー三世
 
私は車のトランクを閉めた。小さなスーツケースとダンボール箱に入れた食材は、きっちりと中に収まってくれた。助手席には、大切なPCを入れた小さなナップザック、全米地図、ロサンジェルス近郊地図、そして水を、運転しながらでも取り出しやすいようにきちんと並べた。エンジンをかける。溶けてしまいそうに暑い室内に、勢いよくエアコンの風が回る。ハンドルを握る。それは日差しに照らされて、焼けるように熱かった。

私はもう一度、お世話になっていた白いアパートメントを窓越しに見上げた。見送りはいない。みんな、大学へ行ってしまったのだ。この街には、旅の終わりに再び立ち寄る予定になっている。だから、それほど感慨にふけることはなかった。さよなら、皆さん。秋になる頃、また会いましょう

ギアをドライブに入れる。この瞬間から、私とハニー三世の旅が始まった。

外は今日もいいお天気。絶好の出発日よりだ。ロサンジェルスから南に位置するアーバインの日差しは、9月とは言え焼けるように暑い。何しろ一年のうち90%が晴れている街である。乾燥した気候なので、意識して水を飲むようにしなくてはならない。さもなければ、脱水症状を起こしてしまうのだ。車内は、エアコンを付けていても日差しに当たっている部分は熱い。水は、あっという間にぬるくなったし、私の左腕もいい色に焼けそうだった。

今日の目的地は、Big Bear Lake(ビッグ ベア レイク)。アーバインから、東に89マイル(約142km)いったところにある。それまでの道順は、ちょっとごちゃごちゃしているけど、全然ヘーキ。だって、2時間くらいで到着しちゃうんだもん。順調に行けば、午後2時には現地で宿探しができるかもしれない。

埃っぽくて、まっすぐな道をどんどん走る。辺りの景色は殺伐としていて、目の前の道路からは陽炎が立ち昇っている。私は、東へ向かいながら、アーバインやサンフランシスコがだんだん背後の彼方になっていくのを意識していた。今度来るときは、北から現れることになるんだなぁ。そんなことをぼんやり考えていた時だった。私は、車内にただならぬ異様を察知した。

室内が、臭い

こ、これはどういうことだ?いつの間にか、ハニー三世の中で異様な匂いが充満していた。鼻をツンと刺すような匂いだ。この匂いを嗅いでいると、何やらお腹が減ってくる...。こ、これは...。

中国四千年の歴史を背負った香辛料、ハッカクの匂いだっ!!!

灼熱の太陽で温度の上がったトランク。その中へ入れておいた食材の匂いが、室内へ流れ込んできているのだ。心なしか、洗濯用の粉石けんの匂いもする...。旅の終わりまで、私はこの匂いと付き合っていかなくてはならないのか。ハニー三世、あんた、見た目はきれいなのに、中身は臭いのね。まるで、外は着飾るけれど、見えない下着には気を配らないっていう、A型の女みたいよ。まぁ、食材は私が積めたんだけどさ。

車での長旅には、中華の食材に限る。なぜなら、中華の食材には、栄養価が高く、日保ちのする乾物が多い。しかも、それらの乾物は、簡単に調理できる上、美味しいときている。干ししいたけや切干木耳は、ご飯と一緒に炊いても美味しいし、ラーメンに入れても美味しい。中でも、ハッカクは癖のある匂いだが、これを調理に使うだけで本格中華の味になる、魔法の香辛料であった。私は、他にも中華醤油やごま油、米を積んでいた。ちなみに、米の価格は驚くほど日本より安い。お腹にたまるし、調理は簡単だし、日保ちもする。旅人の強ーい味方だ。

流れる景色に、緑が見え始めた。モミの木のような、ツンツンと尖った木々の森が横を流れていく。長い上り坂に、ハニーの小さなエンジンが高い音を上げる。どんどん上へあがっていくぞ。Big Bear Lakeは、山の上にあるスキーリゾート地だ。今は夏だから、シーズンオフで人は少ないに違いない。今夜は湖畔沿いに泊まりたいな。静かな湖を散歩したい。

途中、Running Springsという地名や、Lake Arrowheadという地名の看板を目にする。水の豊かな山なんだなー。なぜか私は、水の豊富な山へ入ると心が落ち着く。けれども、道の両脇に見えるモミの木達は、白い乾いた土の上に生えていて、どうも潤みが足りない。もっと先へ行けば、湖が見えるのかな。カリフォルニアの乾燥した景色には、もうお腹がいっぱいだった。ん?ちょっと待てよ。今私が飲んでる水のボトルには、Arrowheadと書かれている。先輩のところでも、米を炊くのに使っていたのはArrowheadと決まっていたし、スーパーで見かけるボトルも、ほとんどがArrowheadではなかったか?なんと、私は水源地近くを通りすぎているのだ。涌き水、と聞くだけで私は心がわくわくする。日本では、涌き水マップを作成していたほど、涌き水への興味は尽きない。宿が決まったら、さっそく見に行ってみよう。私は、アクセルを更に踏んだ。

Big Bear Lakeは、シーズンオフで閑散としている上、各所が工事中であった。それにしても、埃っぽい。湖畔なのにも関わらず、周囲の土は乾ききっていた。さぁ、さっそく宿探しだ。私は、観光所へ寄って、宿のリストを手に入れた。リストには、「観光センターへお電話ください」とフリーダイヤルが書かれていた。うむ。観光センターが条件に合う宿を探してくれるのだな。さすがリゾート地だ。

さっそく電話をかけ、希望の条件を伝える。安くてキッチン付きのユースホステルかモーテルがいいな。

「残念ながらキッチン付きの宿は、この辺りにはありません。他に何かご希望はありますか?」

うううーん、特にないです。安ければいいです。電話の向こうの女性が、手頃なモーテルを見つけてくれた。ユースホステルや普通のモーテルに比べたら、ずいぶん高い。やっぱり、リゾート地って高いよなぁー。安い宿がないのだから、仕方がない。ここはちょっと奮発しよう。あとで節約すればいいや

「では、お客様のご住所と電話番号をお願いいたします。」

まじ?日本の住所を口頭で伝えるのは、面倒臭いなーーー。大体さー、KANAGAWAとか言ったって、スペルは?って聞かれるでしょ?そしたらさ、8文字のスペルを全部言わなくちゃいけないわけだ。それを延々と町名まで続けなければいけない.........んー、たまんねーっ

「あの...。私は日本から来ている旅行者なんです。あなた、本当に日本の住所が必要ですか?」

オーマイガーッ!!(← この人は、オーバー会 会長に違いない) そうだったの?まぁ!まぁ!まぁ!」

それに、アメリカに来てから電話で宿を予約するのは初めてだから、どきどきしています。

「私もこんなの初めてよ。ハッハッハーッ。」

...明るい女性だ。女性は、私の住所を登録することはなく、Japanとだけ予約機に入力して、あとは適当にごまかしたようだ。そうそう。仕事にはこういう臨機応変さが必要だよね。さ、無事に宿も予約できたぞ。

「あなたの旅を楽しんでね!」

そうするよ。どうもありがとう!私は電話を切った。うん、実に気分のいいやりとりだった。

私はさっそく宿へ行って、荷物を下ろした。部屋のドアを開ける。
重たそうな木製のベッドに、メルヘンチックなフリフリのベッドカバー、そしてクッション。小さなお花模様の壁紙には、金の縁の壁鏡がかかっている。ああー、身分不相応な部屋だよ、こりゃ。でも、たまにはこんな贅沢も必要か。私はベッドのふかふか感を少し楽しんだ後、湖の周囲をドライブに出かけた。

Big Bear Lakeはそれほど見応えのある湖ではなかった。それよりも、その周囲に建築されている別荘のほうがずっと素敵だ。白とオレンジのレンガで造られた2階建ての家や、大きな国旗を下げた小さなログハウス。そんな景色を眺めながら、私は緩やかにカーブする車道を気分よく走った。湖畔を抜けると、くねくね曲がる山間の道に出る。道路はきれいに舗装されていて、なめらかに下っていた。私はきちんと法定速度を守りながら、カリフォルニアに広く出回っているArrowhead waterの水源地へ向かった。水源地は、Lake Arrowheadのすぐ近くにあるはずだった。

小さな見晴台を見つけると、そこへ車を止めた。さっきから探している水源地は、どこにあるのかまったくわからなかった。くるくる走り過ぎて、少し疲れちゃった。車を降りると、目の前に広がる大きなLake Arrowheadがドーンと横たわっていた。夕方の太陽は、水の上で金色に反射している。きらきら光る水面は、世界中どこにいても同じように美しい

しばらく景色を眺めたあと、私は宿に戻ることにした。

宿へ戻る道のりは、緩やかな上りのワインディングだった。私はハニー三世のことをあまりよく知らない。ここらで、彼女の実力試しをさせてもらおう。私は、強くアクセルを踏み込んだ。コーナーに差し掛かるとき、彼女がどこまでグリップするのか、限界に挑戦だ。キーッ!タイヤが鳴く。当たり前だよ、細いタイヤなんだもの。それでもハニーは持ち堪えていた。非力なのに、エライなぁ

次のコーナー、また次のコーナー、と私はガンガン攻めて行った。前方の車がどんどん避けてくれる。しかし!後方から、おっかない顔をした四輪駆動車(しかもアメ車だから排気量がでかい)が追い上げてくる!負けてはいられない。私は更にアクセルを踏んだ(良い子は真似をしてはいけません)。 アウトからインを忠実に守りながら、後ろの車がイライラしないようにどんどんスピードを上げる。もう少しで、Big Bear Lakeの湖畔へ到着だ。人通りも、わずかだが多くなる。私は脇に車を避けて、後の車を前へ行かせた。通りすぎるとき、大きな車が”ケッ”と捨て台詞を残していったような気がした。

残りの道のりは、のんびりと運転した。もう、キケンな真似はさせないからね、ハニー。
私は、頑張り屋のハニー三世が気に入った。

(つづく)



12日 私というパズルピース
 
その人は、庭に置いてあったイスに腰掛け、スプライトを飲んでいた。灰色の髪は、他の部分の髪の毛に比べて後ろ髪が長め。そんな、時代の流行りと無関係な髪型が、浮世離れして見えた。誰と話しているわけでもないのに、微笑んで人々の会話を見つめている。めがねをかけたその向こうの両目は優しく、知的に光っていた

「あ、先生。おい、non、先生を紹介するよ。」

何時の間にか私の後ろにいた先輩が、私をその男性のところまで引っ張って行った。
なんと、その男性は、先輩の研究室の大学教授であった。大学教授と言えば、もっと年寄りを想像してしまうけれど、先生は40代前半にしか見えない。実際、先生の年齢は40代後半なんだけれども。

「先生、こちら、僕の会社の後輩で、これからアメリカ中を旅する予定なんです。」

先輩が私と先生を引き合わせる。先生の噂はぼんやりと覚えていた。日本人でいながら、コンピューター・サイエンスという世界では有名な人で、NASA関係のお仕事にも携わっていた、とてもエライ人だということを。先生は、自分の仕事が大好きで、仕事ばかりしている。そして、うろ覚えではあるが、バツイチの独身という噂も頭に残っていた。先輩が先生の前で緊張している。緊張しなくちゃいけないほど、エライ人なのか!?

ところがどっこい。先生は実に気さくな方だった。まず、私の旅に興味を持ってくれたようで、旅についていろいろと質問された。

「それで、なんの目的があって旅をするの?」

私の旅の目的は多様であった。まずは、旅を通して人と出会うこと、新しいことを経験すること。出会った人から何かを得る、いや、私から与えることもあるかもしれない。少なくとも、出会った人達の心の中に何かを残せたらと思う。そして、それを文章にしたい。ほら、先生、例えばこんなふうに偶然出会うことですら、私にとっては素敵なことなんです。

実は、私には他にもアメリカを選んだ理由があった。それは、Native American(American Indian)、つまりインディアンのことを少しでも知ることである。博物館で得られるような知識はもうたくさんだ。彼らの、信仰、彼らの風習が知りたい。日本人の古い風習と、彼らの信仰はあまりにも酷似している。彼らのことをもっと知って、出来れば彼らとそれらの情報をシェアしてみたい。

先生は、ますます話に興味を持ったようだった。先生は、大学にいる数人のNaticve Amricanを紹介してくれるとさえ申し出てくれた。私達は、食べることすら忘れて、話に花を咲かせた。先生はにこにこしながら、私の話を聞いてくれる。そして、先生の突っ込みは鋭い。いい加減な意見には、容赦ない。私だって、いい加減な意見など言いたくない。いいかげんに話を済ませるよりも、そのことについては意見がまだまとまっていない、と素直に言ってしまう方がいい。私達は、いろんなことを話した。人生の目的について、ポリシーについて、結婚について。

人生には、それぞれ目的があるはずだ。毎日の生活に押し流されるような生き方もあるかもしれない。けれど、目的のある人生は、それに比べてどれほど意味のある人生になろうか。私にとっての大きな目的は、自分を知ること。私はこの旅を通して、自分の中にたくさんの新しい自己を発見するだろう。そして、人生にポリシーがあると、自分自身が引き締まる。私のポリシー。それは、誠実であること。逃げない、躊躇わない、目をそらさない。結婚については、まだわからない。だけれど、死ぬまで一緒にいられないような相手とは結婚しない。一緒になったら、ずっと夫婦だ。だからこそ、本物の相手を見極めなくちゃいけない。妥協はしない。そもそも、妥協する理由は私にはない。時折、私は自分の気持ちが本物であるかどうか、自分に問いかける。頼っていないか、流されていないか、見たくないところに、目をつぶっていないか。本物のパートナーには、自分の得るものと与えるもの、相手が得るものと与えてくれるものが、まるでパズルのピースのように符合するはずだ。出会った瞬間に、シンパシーを感じるかもしれない。あるいは、後から感じるかもしれない。パートナーの発見は、自分の波長とのタイミング次第だ。だって、自分はいつも変化しているから。成長という変化で、パズルのピースも形が変わる。合致したときがタイミングなのだろうけれど、それは、お互い成長しているので、出会った瞬間に符合する者もいれば、少ししてから符号する者もあるだろう。

夫婦とは、そんな自分自身を進化させながら多様に変化するパズルの形を、お互いに符合するよう歩みを同じくし、二人で成長していくものなんではないかな。

人生の先輩に、ずいぶん、ナマイキを言ってしまった。でも、これが今の私である。

変わっているって言われることはありませんか?

先生は、にこにこしながら、またしても鋭い質問を投げかけた。
ええ。それはもう。幼稚園に入る前から、今の今まで、変わっていると言われなかったことはありません。あまりも言われ続けているので、自分が変わっているのは当たり前で、それがなんの意味を持つのかもわからなくなってきました。でも、自分ではそれほど私は人と違う性質だとは思っていません。

「お腹が空いちゃったなぁ!一緒にラーメンでも食べに行きませんか?」

話が一段落したところで、突然のお誘いである。それも、ラーメン。日本を去ってから、まだ一度も口にしたことのない、ラーメン。さすがは、アメリカ。さすがは、カリフォルニア。新米の季節もやってくれば、ラーメンだって気軽に食べられる。アメリカと日本の関係の深さを痛感してしまった。(おいおい、こんなことで痛感するなよ。)

私は先輩と一緒の車で来ていたので、先輩を呼んだ。あれ、何時の間にかMBAの学生たちがいない。

「ああ、彼らは食べ物を食べてお腹を膨らませたら、さっさと帰ったよ。さすがにレポートのことが心配だって。」

家の中で腐っていても、やるときはやるぜMBA留学生。私は心密かに、彼らのレポートの成功を祈った。

先生、先輩、そして私は、私の運転で近所のラーメン屋さんまで車を走らせた。ところが、ラーメン屋は既に閉店していた。お腹の空いている私達は、何か口にしないとおさまらないので、更に車を走らせて、牛丼屋へ行った。

牛丼を食べながら、先生はしきりにこう言った。

「いやぁ、いまどき珍しい人と知り合ったなぁ。ぜひ、旅先からもメールくださいよ。再会の暁には、一緒に食事でもしましょう。」

不思議なものである。日本にへばりついていたら、まずは知り合うこともないであろうお方だ。それが、日本を離れたアメリカで、それもこんな小さなアーバインという街で、更に、ひょっこりと参加したパーティで、知り合うこともなかった人と知り合いになれるとは。それでも、ニュージーランドを経由しなければ、この人とは出会う意味がなかったんだろうなぁ。今だから、意味があるんだ。そんな気がする。

新しく自分を知るたびに、自分が成長するたびに、私の出会う人の群というのが何か変化してきているように感じる。

ほら、だって先生も、人生で自分が何をやるべきか知っている人だもの。自分の生き甲斐を発見して、それを貫いている人だもの。そして、成功している人だもの。

私は、牛丼をかっ込みながら、「私だって」と決意を新たにした。

(つづく)



4日 いちりゅうきぎょうせんし?
 
彼らは、夕方になると決まってやってきた。そして、何をするでもなく、廃人のように床に寝転び、時折、思い出したかのように頭を抱え、

ああああー!!!英語わかんねーーーー!!!

と苦悩し始めるのである。ボーッと宙を見つめる者、「やりたくねー...」と念仏のように唱える者、いきなりゴルフのスウィングを始める者。そう、彼らは日本では優秀な企業戦士、そして現在はMBA留学生でなのである。

会社の先輩を訪ねてから、そろそろ一週間が経とうとしていた。私はここで、3人のMBA学生と知り合いになっていた。男ばかりで潤いのない毎日の中、私は少なからず、彼らの凡庸な毎日への刺激になっているようだった。彼らは毎日やってくる。真夜中に現れては、コーヒーを飲んで帰っていく。授業の始まる前にやってきて、ご飯だけ食べて去って行くこともあった。私はここで、自炊用の小道具や食材、さらに、長期用レンタルカーの手配などを行っていた。ここからの旅は、かなりの長距離が予想されるのと、土地勘のない場所ばかりを訪れる予定だ。備えあっても、憂いはないだろう。

現在滞在している街の名は、アーバイン。カリフォルニア州のロサンジェルスから車で1時間くらい南に下りたところである。似たような白い壁のアパートメントがきれいに建ち並んでいるその一角に、先輩と先輩の友人たちが住んでいた。私はここで、しばらくの間やっかいになっている。FBIが"全米一安全な街"と太鼓判を押しただけあって、犯罪は皆無に近い。周囲は整然とアパートメントが建立し、コンディションの良いアスファルトは、まるで平らな絨毯に置かれた一筋のリボンのような滑らかさで、あちこちへと延びていた。歩いて行ける範囲内に、スーパーマーケットやスターバックスがあって、学生達が重宝している。付近に大きな大学があるので、辺りは学生だらけなのだ。通りの名前も、有名大学の名前に因んで付けられている。車で20分もしたところに、日本人向けのスーパー『ヤオハン』もあった。ここでは、便利で快適な暮らしが約束されている。完璧なまでに区画整理されているこの街は、物の調達や手続きには非常に便利だった。西海岸ということもあって、出発地点としても理想的だ。

実は、この街、一般企業が土地を買収して作り上げたものなのである。人が増えて土地が足りなくなれば、砂漠に水を撒いて土地を増やすし、アパートメントのカーテン及びブラインドは白という指定があるし、ロスではよく見かけたホームレスの皆さんなども、絶対にお目にかかれない。美しく、調和のある街だが、何か無機質さを感じさせる。まるで、ゲームのシムシティみたいだ。

昼間、先輩は大学の研究室へ行く。先輩は、MBAの学生ではなく、研究員として大学へ通っている。そして、彼ら3人は、昼まで寝てたり、大学へ行ったり、ヤオハンへ行ったりしていた。まだ授業は本格的に始まっていないとのことらしい。日記では絶対に匿名にして欲しい、と強く要望されたので実名は明かさないが、彼ら ― Aさん,Bさん,Cくん ― は、見事なまでに私の中のMBA取得者像というものを、裏切ってくれた。日本では、バリバリと働いていた人達なのに、学生生活に戻ると精神までもが学生に戻ってしまうのだろうか。

Aさんは、英語漬けの毎日で、既に英語に対してアレルギー症状が出ていた。英語の新聞も、広告も、雑誌も、ニュース番組も、プライベートな時間内では、すべて排除していた。突然、昼頃息を切らせて、「なんか食いもんあります?」と訪ね来るのは、この人である。

Bさんは、顔黒で常に前髪をピンと立ててキメている30代後半の男性。遊び人の風体ではあるが、実は勉強には人一倍時間をかけている。だが、プライベートな時間では、宙を見つめて何かを想像していることが多い。

C君は、うら若き20代前半の帰国子女。英語も日本語も自由自在だ。彼の実姉との会話も、常に楽に発音できる方向へとスウィングしていく。日本語で話しているかと思えば、突然英語に切り替わったり、という具合だ。いつでもかったるそうな態度のサーファーである。

実際、MBAの授業は(当たり前だが)英語で行われ、内容も専門的なことなので、日本人にはついていくのだけでもかなり厳しい。本格的な授業が始まったら、夜なべで毎日勉強しなくてはならないだろう。今は、本腰前の骨休みといったところか。しかし、彼らの骨休みは、骨を取って戸棚にしまって、しばらく骨のことすら忘れよう、というくらいの骨休みだ。...これでは、骨抜きである

そうえいば、先日、YOSHINOYAまで繰り出す道のりで、私の隣で無口に座っていたC君が、突然こう叫んだ。

あああああああーーーー!!!バカな女とやりてーーーーーー!!!

その後、C君はニヤニヤしながら、「"えぇ〜?うそぉ〜。"とか言っちゃう女でさ...それでさ...」と独り言のように呟いていた。学生生活も、MBA取得とまでいくと鬱積するものがあるのだな、と感心してしまった。鬱積するものは他の二人にも溜まっているに違いない。彼らの話題は、大抵が講義内容であったが、時折、C君のような雄たけびがあがるのである。いや、AさんやBさんは、もっと無気力だ。精力のない眼で、Bさんが言う。

「部屋でうだうだしますかぁ〜...」

その後を追って、Aさんが言う。

「うだうだするんだから、お菓子はいらないですね...」

そして、溜まり場と化した先輩の部屋で、いつまでもゴロゴロと廃人のように転がっているのである。これでいいのか、MBAの学生よ!!会社が知ったら、「クビ キコクセヨ」の電報があってもおかしくないぞっ。

そんな毎日を送っているある日。ついに私の第3のハニーとなる、レンタカーが手に入った。真っ赤な色のマーキュリー。私にとって、赤はアンラッキーカラーなのに、三代目ハニーはO型の血みたいに鮮やかな赤だった。1,800ccエンジン、小回りの効く小型車。納車してから、半年以内の新品だ。走行距離は、18,316マイル。トランクもそこそこ大きいし、これなら、私の小さなスーツケースと自炊用の食材も、ゆとりをもって収納できる。オーディオもばっちりだし、ニュージーランドに置いてきたハニー二世とは大違いだ。好みではないが、なかなの器量良し。うーん、これから先はずっとこの車が私の相手になってくれるのか。ハニー三世、旅の間だけだけど、よろしくね。私は彼女のフレームをそっと撫でた。灼熱の太陽に照らされたボディは、とても熱かった。

夕方になると、レンタカーを手に入れた知らせを受けたMBA学生達が訪ねてきた。ちょっとした刺激にも敏感である。彼らに車を見せた。

「いいなぁ。僕も一緒に行きたいなぁ...」

現実逃避な意見である。気持ちはわかるが。

そんな彼らに、降って沸いたような嬉しい知らせが届いた。語学学校を経営している日本人の女性が、生徒達のフェアウェルパーティに我々を招待してくれたのである。20名ほどの生徒はすべて女の子。抗いがたいこの誘いに、彼らは『否』とは言えなかった。翌日が、大事なレポートの提出日だったとしても。

私にとっては、またしてもパーティである。これから帰ってしまう、しかも会ったこともない女の子達が集まるパーティに、私が行ってなんの得があるのかわからなかったが、先輩も出席するし、酒が飲めるので、私も付いて行くことにした。立派な家屋で行われているパーティには、若くてかわいいぴちぴちギャルが勢揃いだ。その間に、ブラジル人や国籍不明の人達がちらほら見える。先輩やMBAの学生さんは女の子と食べ物に紛れてしまって、姿が見えない。私は、テラスでチビチビとお酒を飲みながら、パーティの参加者達と言葉を交わしていた。ふー、ちょっと退屈。お腹が空いちゃったな。私はビールのボトルを片手に、リビングへ戻ろうとした。

そのとき、私は意外な出会いに遭遇するのである。

(つづく)



3日 ラスベガス裏事情
 
ネバダ州は、州法で正式にギャンブルが認められている州である。ラスベガスを離れたとしても、そこがまだネバダ州内なのであれば、ギャンブルは合法なのである。

ラスベガス街、メインストリート沿いのホテルは華やかで高級感があふれているものの、カジノでの利益を期待しているため、ホテル自体はとても安い。えー、こんなに豪華でこんな値段なのー!?てな感じである。ところが、街からほんの少し外れた、更に安いホテルというのは、裏寂れていて、とても危険である。というのは、ギャンブルにお金を投資しすぎて、すってんてんになり、街のホテルに宿泊できなくなった客などが滞在しているからである。ギャンブルで巨額の富を夢見ている人がすべてをなくしたとき、彼らは次にどんな行動を取るであろうか。もちろん、どうにかして掛け金を捻出するであろう。―人の物を盗んででも。だから、街から外れた安いホテルに宿泊するときは、持ち回りの物に十分注意しなければならない。

ラスベガスを後にした私は、2時間ほどハイウェイを走った後、トイレ休憩を取ることにした。ハイウェイの対面沿いには遊園地らしきものがあり、その向かいにはホテルがある。ネバダ州内なので、ホテルにはもちろんカジノがある。

そこそこの大きさのホテルである。私はカジノからホテルへ入った。カジノ内の客は、特にギャンブルに狂っているようには見えない。至ってノーマルだ。たまに生活感まるだしの地元客みたいな人が、子供を連れて遊んでいるけれど。

私は、カジノを横切り、トイレへ向かった。トイレ前の公衆電話で、一人の老人が大声で何かまくし立てていた。

「とにかく急いで送ってくれよ!頼むよ、たいへんなんだ。急いで頼むよ。」

で、でかい声だなー。嫌でも話は耳に入る。

「え?そんな、頼むよ。急いでくれよ。もう、車も売っちゃったし、家も抵当に入ってしまったんだ。もう、何にもないんだよ。頼むよ...。」

一気に気分が暗くなった。このおじさんは誰かにお金を無心しているのだろうか。それとも、何か他のことをお願いしているのだろうか。おじさんは、大きな声で"プリーズ"を繰り返していた。

トイレから出てきた後も、おじさんは電話で、"プリーズ"を繰り返していた。
煌びやかな不夜城の裏側を見てしまったような気分だ。

私はホテル内のマックでお持ち帰りの食事を注文することにした。私がレジの前へ立つと、歯の欠けたレジの青年は、面倒くさそうに注文を聞いてきた。チーズバーガーを注文すると、さも大儀であると言わんばかりに、やる気なくレジを叩いた。私が財布を取り出しお金を払うとき、彼の目が財布の中をすかさずチェックしたところを、私は見逃さなかった。幸い、私は大金を持ち歩いてはいない。もしも、大金を持ち歩いていたとして、それがこのレジの青年に知られてしまったら。

青年は仲間に大金を持ったやつがいる、と仲間に伝え、仲間は私をポコンと殴り、私の財布を持っていってしまうだろう。そして、後でそのお金は仲間と青年とで山分けにし、ギャンブルに浪費するのだ。

表面は何も悪いところはなさそうな場所でも、油断をしてはらないないと肝に銘じた。

私は心も新たに、ロサンジェルスへの帰路へついた。長いドライブの間に見える景色は、乾いた土とそこに一生懸命しがみついている植物たちのみである。照り返す太陽の元で、土は乾きつづけ、やっとの思いで生えている草は、水を求めて地を這うように伸びていく。ネバダの砂漠は、エジプトの月の砂漠とはずいぶん違うイメージだ。ネバダの砂漠は、もっと平らで、もっと無骨だ。暑気がゆらゆらと立ち上る向こうでさえ、ただひたすらに乾いた景色が続くのだ。

こんなところに、空港を作り、カジノ街を築き、全米でも有数な行楽地が出来あがったのだ。
所狭しと立ち並ぶ、派手な高層ホテルやピラミッド型のホテルの向こうには、赤くて巨大なバレーが覗ける。そんな無秩序な景色の元で、人々は自分の運にお金を費やす

運ってなんだろう。お金ってなんだろう。
サイコロを一振りしただけで、億万長者になれたとしたら...。
もうバックミラーにも写らないラスベガスの街を思いながら、私はハンドルを握った。

(つづく)



2日 ラスベガス バイオレンス
 
Zion(ザイオン)に近づくにつれて、景色は刻々と変化していった。
ザイオン付近は、赤土の渓谷を下から見上げるような形で道が続いていく。遠くに見える巨大な絶壁は、あまりの大きさに遠近感が失われる。盛り上がり、時には大きく抉られた絶壁と、このちっぽけな私のと関係は、まるで1000年の老木とその足元にいるアリと同じようなものだ。

赤い渓谷の間を続く道を行く。その途中にぽつんと小さなカフェがあった。他には何も見当たらない。私はそこで昼食を取ることにした。車から降りる。千切れたような白い雲から覗く、蒼い空が近い。日差しは強く、私の肌をじりじりと焼いた。

カフェに入る。ぎょっ!こんな辺鄙な場所にあるにも関わらず、カフェはほぼ満席に近かった。そして、客たちのほとんどがアジア人であった。こんなところで、こんなに大勢のアジア人に会うとは!彼らは、私の知らない言葉を交わしている。私は、なんとか空いているテーブルに着席し、日替わりスープを注文した。少し会話を聞いていると、彼らは全員韓国人であることがわかった。団体ツアー客というところだろうか。

そのうち、リーダーらしき壮齢の男性がスピーチをし始めた。韓国語なのでわからないが、恐らく今回の参加者に対するお礼などが述べられていたのではないかと思う。そして、次に少し齢のいった男性が立ちあがった。皆が拍手をする。どうやらこのツアーの特別ゲストのようだった。彼は英語でスピーチを始めた。私は胸がどきどきし始めた。もしかして、私が日本人であるということを察して、私にもわかるようにと、英語でスピーチをしているんだろうか。私は彼の話に耳を傾けた。彼の話を要約すると、10代の頃に日本の青森に渡り、その後プサンに戻ったものの、今はアメリカに移民してロサンジェルスで生活してる。こうして皆さんのツアーに参加できたことは、光栄なことであり、皆さんには深く感謝している、ということであった。しばらくの沈黙のあと、大きな拍手が沸き起こった。リーダーらしき男性も、英語で彼にお礼を述べている。リーダーも移民の一人なのであろう。私は少し、居心地が悪かった

スープを頂いていると、先ほどスピーチをした年上の方の男性が私の肩を叩いた。

「日本からの方ですか?」

日本語であった。私は、はい、そうです、と丁寧に答えた。すると彼は、自分が日本にいたこと、そのときはまだ10代であったことを話し出した。さきほどのスピーチでも言っていたことだった。

「私は青森にいたんです。...わかりますか?」

その言葉は、私にはこう聞こえた。「私は青森にいたんです。その意味がわかりますか?」と。第二次世界大戦を経験した韓国の人を目の前にすると、私は緊張してしまう。更に、韓国は儒教のしきたりが根付いているので、高齢の人に対して無礼があってはならない、と更に緊張してしまう。

はい、と答えた後、私は言葉に詰まってしまった。男性は、私の顔をじっと見た後、微笑んだ。「じゃ、旅行を楽しんでくださいね。」と言って、他の人達と一緒に去って行った。その表情に、彼が特別日本を憎いと思っているとは感じなかった。何か一歩抜けたような飄々さを感じた。それは、それなりのプロセスを踏んで至った飄々さであるように感じた。

私は考えた。なぜ、今私はあの人達と出会ったのだろう、と。
答えはわからなかった。

ようやくZionに到着したとき、私は木漏れ日の下を通過しながら、その瑞々しさに驚いた。Zionは新緑が美しく、川の流れる心安らぐ場所であった。川辺に近づくと、大きな絶壁を背景にして、水面を輝かせながら、さらさらと水が流れている様が見えた。グランドキャニオンやブライスキャニオンよりもずっと小さなキャニオンであるが、水や緑が豊かで、何かしらほっとさせた。しかし、皆も似たようなことを感じるようで、辺りは人と車でいっぱいだった。もうちょっとZionでゆっくりしたかったが、あまりに人が多いので、私は早々にそこを後にした。

私には目指すところがあった。私は今夜、キチ●イになる予定だった。
そう、私はラスベガスを目指していた。

ラスベガスは、自然派思考の私とはまるで正反対の街である。ギャンブルに対して、なんのセンスもないこの私は、それでもラスベガスの楽しみ方を知っていた。ここは、気が狂うことが許されている街なのだ。子供はご容赦願いたい。ここは狂った大人の街なのだ。

この街は馬鹿げている。空港は街のまん前にあるし、空港からしてビカビカとして派手で、そしてその空港にもスロットマシンが置いてある。ホテルもタクシーもリムジンもビカビカに派手で、夜のネオンは眠ることを知らない。ホテルといえば、ニュージーランド人が卒倒してしまいそうな数、数千という部屋の数だし、巨大な敷地には煌びやかなカジノと、迷ったら二度と外に出られなさそうな馬鹿でかいショッピングセンターがある。そして、贅を凝らした食べ放題の食べ物。聖書が禁じている全部のことを、この街が担っている。ここは特別な区域。賭博して、金使って、酒飲んで、女抱いて、腹がはちきれるほどのご馳走を食って、自堕落さを満喫するところなのだ。ここに世間の常識はない。別に正装してかしこまったっていいし、少しくらい露出度の高い服を着たって目立たないし、それを気にする人もいない。

今回、私は人々に混ざって、スロットマシンなどでコツコツと端金を浪費するのではなく、格好良くルーレットやカードゲームに参加しようとと目論んでいた。足を組んで隣の人と談笑し、正面の人へ目配せなどをして、ディーラーには茶目っ気たっぷりの笑顔をプレゼント。ウィットに飛んだ会話とギャンブルの駆け引きを楽しむのだ

数分後、私はくるくる回る巨大なルーレットの前に立っていた。それも、一人で

それは、1ドル紙幣、2ドル紙幣、5ドル紙幣、10ドル紙幣、20ドル紙幣、50ドル紙幣、100ドル紙幣で構成されたルーレットゲームである。次に来る紙幣を予想し、紙幣の並んだプレートの上に自分のお金を置くだけのゲームである。ゲームはこのように進行する。1ドル紙幣を二枚、2ドル紙幣に賭けたとして、ルーレットが2ドル紙幣でとまったとき、掛け金2ドル×2ドル紙幣で、4ドルの儲けが手に入る、という具合だ。実に単純明快なゲームじゃないか。ルーレットを回すおばさんディーラーは、退屈だったのか、私に2ドル紙幣は既に生産されていないこと、学校の卒業式には、先生にりんごをあげたものだが、今はそういう風習を行っていたとしても、もうたぶん幼稚園だけじゃないか、とか、そんな話を聞かせてくれた。

うむ。何かが違う。ここはラスベガス。腐敗を陶酔する狂った街なのだ。ほのぼのとしている場合じゃないんだ。私も悪い女になって、札束で男の頬をパンパンとはたき、

「ついてらっしゃい」

などと言いのけることが出来る街なのだ。イメージトレーニングはばっちりだった。しかし、私はここで札束を手にすることもなく、ルーレットやブラックジャックに大いに盛り上がる人々を尻目に、私は食べ放題バッフェへ向かった。バッフェは各ホテルの目玉ともなっていて、それぞれの金額はやや高めになりつつあるが、手ごろな金額で、ロブスターやローストビーフ、種類の豊富な魚料理、肉料理、野菜料理などが並んでいて、好きなだけ食べることが出来る。

私はよく食べる女である。しかし、皿にてんこもりに料理を乗せて、嬉々としてテーブルに向かう姿は見苦しい。女性ホルモンが足りなくても、私は女性を捨てたわけじゃない。私はお皿に品良くオードブルを乗せて、テーブルに着いた。ベーグルとクロワッサンも持ってきた。次に私はロブスターを食べた。そして、次はローストビーフ、魚料理、えび料理、その他の肉料理、と淡々とバッフェとテーブルを往復した。そのうち、満腹中枢が刺激されてくる感覚を覚えた。満腹感だ。これは私の敵である。満腹感が襲う頃、私は苦しみにのた打ち回り、天に助けを乞うのである。私には学習機能は付いていない。満腹感に苛まれながら、私はテーブルを見た。ややや!ベーグル君とクロワッサン君、キミ達なんでそこにいるのかな?私はついうっかりパンという立場を蔑ろにして、その存在を忘れきっていた。ああ、もう食べられない。どうしたらいいんだ。一口、一口でも食べれば、この私は許されるというのか。私はクロワッサンを一口分、ちぎった。口に持って行く。

ああああー、だめだ。もう食べられない。
なんて私は罪深い人間なのだ。こんなになるまで食べてしまうなんて。

私はテーブルを去ろうと思った。う、動けない。苦しくて動けない。お腹を見せた短いタンクトップを着ていた私だが、今は人様にその腹を見せることは出来なかった。こんな腹を見た人は、目がつぶれてしまう。私はジャケットを羽織り、醜い腹を隠した。

そろそろ動けるかもしれないという頃、ゆるゆると私はバッフェを去った。ぎらぎらした夜景でも見て、ラスベガス感を楽しみながら、落ち着こうと外へ出た。生暖かい風が私の頬をくすぐる。ビカビカと光るネオン。本当に、街中が電器だらけだ。空を見上げた。街の灯りが明るすぎて、星など見えない。私は、少し場違いな気分を感じた。星の見えないところに、なんで私がいるのかな。そう考えた時だった―。

ぐるぐるぐる〜。
し、しまった!ピーピー君が私を襲っているようだ!!
緊急事態発生である。お腹を出していたのが悪かったのか、それとも食べ過ぎが祟ったのか。私のお腹は今やピーピ君のピーヒャラ活動が始まっていた。トイレに行かなくちゃ!それも、今すぐ!!

私は一刻の猶予も許されていないことを知っていた。しかし、ここでホテルの公衆トイレを使うのは忍びない。なぜなら、アメリカのトイレは、膝から下は丸見えのドアで、音が丸聞こえだからである。日本のように、水を流して自分の音を掻き消すという配慮などは当然なく(私は日本でも水を流したりしないが)、私のガスの噴出す音は、人を振り向かせるほどであろうからである。そんなの、恥ずかちい

私は人を掻き分け、自分の部屋へ一目散に向かった。しかし、ホテルは無情にも広かった。しかも、その道は複雑だった。プライベートトイレへの道は、険しかった。階段を上り、階段を下り、くるりと回ってカジノホールに出る。カジノホールも馬鹿でかい。急がねば。しかし、今、小走りするとキケンだ。振動で漏れてしまうかもしれない。涼しい顔をして早歩き。その実、腹の中はピーピー君の抗議活動が激しく執り行われていた。ま、待ってくれ。しばし、しばし堪えてくれ。少し立ち止まる。ピーピー君は今度はサーフィン活動を始めたようだ。ビッグウェイブがやってくる。ひーっ、た、助けてー。

予断を許さない状況に、私は走り始めた。唇を噛み締め、唇の色が褪せているのを隠しながら、私は走った。顔色が青くて、脂汗を垂らしながら走っていたら、「私は今、下痢でたいへんなことなっています」と顔に書いてあるようなものだ。私は気合で汗も止める。このぎらぎらと光る喧騒の中、人を掻き分け長い長い道のりを走り抜け、ようやく私の部屋のドアまでたどり着いた。

トイレが近いとわかると、体の緊張が緩む。ちょっ、ちょっと待ってくれ!あと少し!私はドアのロックを解除するのももどかしく、ガチャガチャとドアを開けた。早く早くーーーっ。噴火直前のお尻の穴をキュッと閉めて、私はプライベートトイレへ直行した。パンツを下げる、便座に座る。

今だ!!

― しばし歓談 ―

数分後、私は力なく水を流した。
信じられない。消化不良を起こしている。さっき食べたブロッコリーも、色も変わらず鮮やかな緑のままで便器に浮かんでいた。いっぱい食べたのに、全部流れちゃった...。さよなら私の食べた野菜達。さよなら、私の食べたロブスター

私はお腹をさすりながら、ベッドに横になった。
ピーピー君は、第二次活動を始めようと、ぐるぐるお腹の中で唸っていた。

(つづく)



1日 天空に舞うセスナ
 
ぽかぽか陽気の気持ちのいい日だった。
私は旅の最中に、営利的な場所へ行ったりツアーに参加するのはあまり好きではない。しかし、今回は特別だった。グランドキャニオンを空から眺めてみてもいいんじゃないか?とふと思いたったのである。というわけで、私は遊覧セスナを予約した。

セスナの操縦士は、老人だった。既にリタイアしていて、老後は大好きなセスナを操縦して毎日を過ごしている、というところであろうか。予約していたフライトの時間はもうすぐであったのに、操縦士は、「頭が割れるように痛い」と言って横になっていた。大丈夫なのだろうか。なんでも、午前中セスナを一人で飛ばして、気ままに遊覧してきたのだが、セスナを操縦した後は、必ずひどい頭痛と肩こりに悩まされる、ということだった。

「でも、大丈夫だよ」

とおじいさんは起きあがった。
今日は風が強い。地平線の向こうに、雨の柱が見えた。向こうではどうやらにわか雨が降っているようだ。私は強い日差しをよけて、木陰へ腰をかけた。はー、のんびりとした午後だこと。

おじいさんは、天候がよくなるまでしばらく待とうといった。そして、風が強いから、行きは時間がかかるけど、帰りはピュンってあっという間に帰れるよ、と説明してくれた。帰りは燃料も減って軽くなるので、ことさら早いとのことだった。しばらく世間話をしながら、ゆったりとした時間を過ごした。目の前のセスナはとても小さい。先頭に付いているプロペラが、強風でくるくると回っていた。

「さぁ、いよいよ、出発しようか!」

もったいぶった言い方をして、おじいさんが飛行機へ向かった。おじいさんは私にシートベルトの締め方を教えてくれ、ドアを閉めた。うーん、思ったより狭いんだなぁ。隣の席におじいさんが座る。おじいさんがドアを閉めるとき、古いイギリス車のドアが閉まるような音がした。目の前にあるのは、わけのわからないたくさんの計器と、プラスチック製のようなフロントスクリーンだけである。フロントスクリーンの向こうに、プロペラの一部が見えた。景色は、フロントスクリーンよりも横の窓からのほうがよく見えそうである。

おじいさんが、グィッと何度か紐を引っ張った。ブンブルン!セスナのエンジンが始動する。プロペラが勢いよく回り始める。おー、これが飛ぶのか。そのまま地面を走るだけでも、楽しそうな乗り物だなぁ...などと最初はのん気に構えていたのだった。

セスナが前に走り出す。ゴロゴロゴロと音を立てて走り出す。どんどん走るスピードが増していく。おじいさんが、ハンドルをぐいと手前に引いた。するとどうだろう。こんな小さな小型セスナが宙に浮いたのである。横の窓から下を見る。おお!飛んでる!地面がどんどん小さくなっていく!遠くに見える山が斜めに見える。ついに、セスナが空を飛び始めた!

家々のカラフルな屋根や、青く茂る芝生の庭がどんどん小さくなるにつれて、私は心細くなっていった。さよなら、私のいた町。また戻って来れるかな。私は密かに心の中で、死んだおじいちゃんに話し掛けた。無事に帰って来れますように。誰にも心配かけるようなことがありませんように。おじいちゃん、よろしくね。(ちなみに、私が生まれたとき、既に祖父は他界していたので、その姿は遺影でしか見たことがない。)

民家がどんどん減っていった。目の前は空しか見えない。横の窓から見える景色は、不毛な大地だけであった。不毛な大地は、斜めを向いていた。

おじいさんがこの辺りについて説明してくれる。エンジン音に声がかき消されないように、大きな声で説明してくれる。草木の生えない大地はどんどん高度を増していく。ついに、それは裂け始め、その裂け目が次第に広がっていく。その間には、コロラド川が流れているのだ。コロラド川の流れは、その日によって表情が違う。赤色であったり、緑色であったり、青色であったり、オレンジ色であったり。今日のコロラド川は、昨日の雨のせいで、泥のような色になっていた。水のあるところには、草が生える。この辺り一帯は、Native Americanの土地で、野生の馬や牛が生息しているとのことだった。たったこれだけのわずかな緑を糧に、野生の動物が生息しているのだ。

アルタビスタというソフトを知っているだろうか。
PCの画面の中で大地を創造し、太陽の傾き、木々、雲、湖や川を思うままに設定していく画像作成ソフトである。仕上がった画像の中を、自由に飛び回り、その映像を見ることも出来る。目の前にアルタビスタで作成したような景色が広がっていた。いや、それよりもはるかに美しい、リアルで、剥き出しの大地が広がっていた。荒くて、飾り気のない自然は、ありのままの姿で美しい。これが、誰が手がけたわけでもない、長い年月が勝手に作り上げたものなのかと思うと、その尊さに心を奪われる。そんなことを考えてる最中だった。

あおり風にセスナが木の葉のように揺れた。

ガタガタガタッ!ストン!

突然、高度を下げたりするので、私は天井に頭を打ちそうになる。実は、私はジェットコースターなどの類が大嫌いである。Gのショックは大丈夫。でも、抜けるようなマイナスのG(これをなんと言うのだろうか)には滅法弱い。内臓が体内で宙に浮く感じ。お尻が宙に浮く感覚。おじいさん、私達、どこまで落ちるんですか

「ヒューヒュー!」

おじいさんは不安気な私を気遣ってか、空騒ぎだ。もう一度、高度を上げる。あおり風にまたやられて、セスナが揺れた。揺れる揺れる、木の葉のように。このまま落ちたら、あの絶壁に当たって粉々だ。逆Gを感じるたびに、私の体が宙に浮く。

ふと、おじいさんが真剣に私を見た。どうも私のシートベルトが気になるらしい。

「もっときつく締めないといけないよ」

おじいさん。私はアメリカ人のように体が大きくないんです。めいっぱい締めてるのに、まだぶかぶかなんです。

「どれ。」

おじいさんがシートベルトを更にきつく締めようとする。別に道路じゃないから、「前!前!」って騒がなくてもいいけど、気分は不安だ。おじいさんは、シートベルトはこれ以上きつくならないことがわかったらしい。それ以降、シートベルトを気にすることはなかった。その代わり、急な高度の上げ下げもしなくなった。もしかして、私、危険なの?

どんなに怖くても、私は叫び声などはあげない。ヒステリーな女と思われるのは心外だからだ。ヒステリックにわめきちらす女を見ると、一発殴って気絶させて黙らせたくなる。私は泣き声もあげない。弱虫と思われたくないからだ。めそめそしたって、何も解決にはならない。泣けたら、かわいいんだけど、私はかわい気のない女なので、泣けない。それに、私が泣いてもかわいくない

話がそれた。
フロントスクリーンがカチカチと鳴り出した。おー、雨の中へ突入したのだ。雨がスクリーンに当たって、カチカチと霙(みぞれ)が当たっているような音をたてている。風が吹く。ふわりとセスナが揺れる。あああ、落ちそうだ。おじいさん、私達はちゃんと飛行場まで帰れるんでしょうか。激しい雨のせいで、視界はかなり悪い。

こんな緊張感とは裏腹に、急激な睡魔が私を襲った。ね、眠い。こんな危険な状態で寝てしまっていいのか。いや、それよりも、眼下に広がるこの壮大な景色を、睡魔などに負けて見逃してしまってもいいのか。根性で目を開けるんだ!しかし、私のまぶたは重たい。こんなに急激に眠くていいんだろうか。ああ、眠い、眠い、眠いーーー!!!くそー、地上に戻ったら寝てやる!寝てやる!この世の果てまで眠ってやる!!だから、今は目を開けるんだーーー!!!

私は睡魔と戦いながら、頭をがくがくさせていた。
どうもおかしい。この眠気は異常だ。何か普通ではないものが、これほどまでに私を眠くさせている!なんだ?極度の緊張のせいか?それとも、この大自然を前にα波がビンビン出てるのか?いったい何なんだ!この眠気は!!!

怖かった。辛かった。
セスナが小さな空港へ戻ったときは、帰ってこれたことに心底感謝した。
と、当時にあれほど眠くさせた異様な眠気はどこかへ行ってしまっていた。
手のひらは、汗でびっしょりだった。

後に聞いた話であるが、小型セスナでの飛行中に眠気が襲う、というのは普通のことなのだそうである。小型セスナは前方にエンジンがあり、そのエンジンから有毒なガスが出てくるとか。ただでさえも高度が高くて空気が薄いのに、有毒なガスの効果も加わって、異様な眠気を催すらしい。だから、操縦士にはガスマスクの着用が義務付けられているとか...。え?本当?おじいさんは、サングラスしかしていなかったよ。はっ、おじいさんの頭痛と肩こりってそのガスによるものなんじゃないかな。

うーん、私はラッキーな一便に乗ったのだろうな。

(つづく)

 

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