8月(前編)(後編もあるよ!)
8日 来た道を戻る
私は今、西日の眩しい海岸沿いを走っている。
私の背後には、私が今まで旅をしてきた南島やWellingtonがある。すべて、背後のものとなってしまった。またいつか来れるかな。いつか、また来ようと思う。ボロボロのステレオから、くぐもった音のメロディが流れている。私は大きな声で歌いながら、車を飛ばした。来る時に見た荒野はどのへんだったかなぁ。あの時は、行き先に怪しい雲があって、心細かったんだよなぁ。あれ、あの時の荒野はこんなにきれいだったかな。夕日に当たって、なんだか金色の荒野に見えるよ。逆方向から見た景色って、こんなに印象が違うものかな。不毛に見えたあの時の荒野は、以前よりも生き生きとして見えた。
タウポ湖のそばを通るときには、すっかり日が暮れていた。湖の周囲に街灯りがともっている。どうしよう。今晩はここに泊まってしまおうか。...うううん、やっぱり先に進もう。あと何時間かかるかな。時計は6時を指していた。夜中でもいい。とにかく、今日中にはAucklandに着きたい。
Aucklandでは、YUKIさんという、かつてモデルをしていた超美人の友達が住んでいる。今晩はそこへやっかいになるつもりだった。どこだか土地の名前はわからないけれど、Aucklandにはまだまだ遠い場所からYUKIさんへ電話した。連絡がないので心配していたとのこと。今晩、遅くに到着するから、よろしくね。
「いいよいいよ。いつでもいいから、とにかく気をつけてな。」(関西弁)
彼女は美人の上に、優しいときている。素晴らしいことである。私はすっかり安心し、焦って運転するのをやめた。YUKIさんに言われたとおり、気をつけて運転しよう。いつも気をつけてるけど。
不思議なことだが、来る時にはWellingtonはとにかく遠くに感じたのだ。まだ着かない。まだ着かない、と眩しい西日に手をかざしながら運転したのだ。ところがどうだろう。タウポを過ぎた後の運転は、完全な暗闇だったにも関わらず、実に早くHamiltonまで到着してしまった。そういえば、タウポから、ハンサムなデンマーク人二人を乗せてAucklandまで行ったんだっけ。
Hamiltonから一時間半後、私はようやくAucklandという文字を道路の標識に見ることが出来た。灯りの少ない住宅街を迷ったあげく(何度も来てるくせに)、ようやくYUKIさんのフラットに到着した。
私達は久しぶりの再会を喜び、ワインとチーズで明け方まで話し込んだ。南島の旅に出るときにも、YUKIさんにはお世話になったんだっけ。いつもいつも歓迎してくれて、おいしいものまで食べさせてくれて、本当に優しい人だ。
YUKIさんのフラットでお世話になった後、両親共々お世話になっているさるご夫婦宅へ顔を出して、無事の帰還を知らせた。彼らも私の訪問を歓迎してくれ、おいしいものを食べさせてくれた。ここの奥様は本当にお料理が上手で、いつでも滅多に食べられそうにもない日本食をご馳走してくれる。知的で、心の広い方々だ。
しかし、私はいつまでもAucklandにはいたくなかった。Whangareiに帰りたい。
そもそも、個人的にAucklandはあまり好きな都市ではない。私には人が多く感じられるし、車も多い。人々はいつも忙しそうで、時計がなくては生活できない。早く早く!さもないと間に合わない!少しだって待っていられないんだ!鳴り響くクラクション、通りを歩いていると背後から聞こえる携帯電話音、嬉しそうに応えるビジネスマン。まるで「ヘィ、俺って忙しいんだ。見てくれよ。俺ってこんなに人から必要とされてるんだ。」と体中で訴えているようだ。くだらない光景である。道行く人の会話に耳を傾ける。回りくどく、自分がどれだけ社会に必要とされているか、何人の重要人物と知り合いかをまくし立てている。それがなんだというのか。死ぬ前、自分の人生を振り返った時に、それが一体なんの意味を持つというのか。中途半端な都会は、都会の持つ嫌な部分だけを取り入れて膨らんでいく。これなら東京の方がましだ、と思うことさえある。
とは言うものの、ほんの少し郊外へ出ると、閑静な住宅街が広がり、人々はとてもゆったりとしている。もしかしたら、私はAucklandに対して間違った印象を持っているのかもしれない。
ご夫婦のところでお世話になった翌日、私はAucklandを後にした。
AucklandからWhangareiまでは、それほど遠くない。見慣れた景色を横目に、なめらかに運転する。南島での寒さが嘘のようだ。AucklandとWhangareiの中継地点であるマクドナルドを見て、だんだんWhangareiが近づいてくるのを実感する。もう少し。あともう少し。私はアクセルを踏んだ。しばらくすると、左手に"Whangarei"と書かれた標識が出てきた。町まであと30分。右手に見える海。その向こうに見える、以前ハイキングした山。私は走りつづけた。
そしてついに、学校へ行っていた頃、いつも曲がっていた角を通りすぎた。
ああ、帰ってきた。
私は旅の終わりを感じた。見慣れた町、知っている道。地図のいらない、安心できる場所。私は一路、家路についた。あの小高い丘にある、"HOME"を目指して。
6日 お家に帰ろう
のんべんだらりとした生活を送っていると、ふとした拍子に、車の中で運転しながらいろいろなことに思いをめぐらせる時間のことや、並木沿いの流れるように通過していく木洩れ日を思い出す。そして、どこまでも続く道をどこまでも運転したいという心情が、胸の中に蘇ってくるのである。ポールがアパートのドアを開ける時、私はふと後ろを振り返って、そこから見えるWellingtonの景色を眺めた。深い緑色の丘陵に、薄い虹がかかっていた。その虹を見て、私はホストファミリーの家のキッチンから見える、あの美しい景色が無性に懐かしくなった。鮮やかな緑の草が生える牧場とそこにかかる大きな虹。あの、のどかな風の音しかしない景色。なぜ、私はここにいるんだろう。 私は私の町、Whangareiに帰ることに決めた。
ポールにそれを告げると、ポールは残念そうに、「本当にもう帰ってしまうのかい?」と何度も聞いてきた。うん、明日には出発するよ。途中でタウポで一泊するかもしれないけど、もう帰る。なんだかそんな気持ちなんだ。
「またいつか来てくれるかい?」
時間があったらね。Whangareiに戻ったら、アメリカに旅に出る予定だし、アメリカからニュージーランドに戻ってきた後の予定は、まだ全然決めてないの。
「なんてこった!ニュージーランドにいられる貴重な時間を、アメリカなんかで3ヶ月も無駄にするなんて!!アメリカから戻ってきたら、Wellingtonにおいで。ここに住んでもいいよ。フラット代はいらないから、好きなだけ住むといいよ。君なら大歓迎だ。」
ははは。私がここに居座ったら、他の女の子を連れて来れないじゃないの。女の子達がヘンに思うよ。ポールに付いてきたら、お家には別の女がいた、なんていったらせっかくのお遊びが台無しになっちゃうんじゃないの?
ポールは笑っていた。その後、ワインを飲みながら明け方まで盛りあがった。私達はいろんな話しをした。恋愛について、結婚について、生涯の目的について。話し疲れて、寝床に就いた。
翌日、起きたら昼過ぎだった。
ま、まじかーーーっ!!今日1日でどこまで行けるか。出来ればタウポなんかで一泊せずに、Aucklandまで一気に行きたい。しかし!出発が午後では、何時に目的地まで着くかわからない。うがー。
私は急いで支度に取りかかった。ポールが「もう一泊していけば?」と聞いてくる。いいや。もう行くんだ。もう行きたいんだ。私は支度する手を止めなかった。
すっかり準備が整った頃、ポールがコーヒーとサンドイッチを作って持ってきてくれた。「途中でお腹が空くといけないから、腹ごしらえをした方がいい。」って...私、さっき食事を済ませたばっかりなのに。でも、ありがとう。ありがたく頂きます。私はポールの作ってくれたツナとマヨネーズたっぷりのサンドイッチを頬張った。バクバク食べる私を見ながら、ポールは何度も何度も繰り返して言っていた。
「いいかい?アメリカはとっても恐い国なんだ。ニュージーランドみたいに平和な国じゃないんだ。危険なんだよ。いいかい?気をつけるんだよ。アメリカからでも、ちゃんと連絡くれよ。E-mailでね。」
心配してくれてありがとう。お世話になりました。ありがとう。サンドイッチとコーヒーもありがとう。おいしかった。ちゃんと連絡もするよ。あんまし心配しないで。私、大丈夫だと思うよ。
じゃあ私、行くね。
私は靴を履いて、立ちあがった。最後に、再びポールに抱きしめられて、私達はさよならをした。
私が車のエンジンをかけるときには、太陽は西に傾いていた。
5日 魅力のファクター
朝、起きると既にポールが家にいる気配はなかった。今朝は出勤なのだ。Ferryで会ったときは、その日以降はオフだと言っていたくせに。どうせ、私をここにおびき寄せるための作戦だったに違いない。昨日の寝しなに「ごめんね、明日は出勤なんだ。でも、午後には帰ってくるよ。」とすまなそうに言っていた。はいはい。あんたは典型的な悪い男だよ。ほら、田舎の人が都会に出る時に、「こんな男にだけは決してひっかかっちゃいけないよ。」って母親が注意する、そのまんまの"こんな男"ね。でも、友達としては気のいいやつなんだよな。ポールがいない間は、部屋にある食べ物は好きなだけ食べていいって言ってたし。 そろそろお腹が空いてきた。Wellintonの寒い朝、暖かいベッドからなかなか出られない。でも、いつまでもぐずぐずとベッドにいても仕方がない。1日中パジャマで過ごして、お腹が空いたときだけ起きて、後はまた寝る...魅力的ではあるが、それではまるで病人である。私は健康だ。起きるぞ!
「おう!」
と自分に掛け声をあげて、飛び起きる。さ、寒い!えーん、なんでこの部屋はこんなに寒いんだよー。ニュージーランドの、特に南島の冬は湿っぽい。夜になるとたくさんの水滴が窓につく。この湿気が部屋の中を冷え込ませるのだ。洗濯物がすぐ乾くニュージーランドと思っていたが、季節と地域によるのである。そして、こちらでは小型冷蔵庫くらいの大きさの、除湿機なるものが売っている。そこそこの大きさの家には必ず一台はあるものなのだが、これを始動させると、あーら不思議。たちまち部屋の中の冷え込みが消え去ってしまうのである。日本の夏にも一台欲しいものだ。冷房は要らないから、この湿気だけ取り去ってくれーーーって時があるもんね。私はあのムンムンする湿気ってわりと好きだけど。
さー、シャワーでも浴びてすっきりするかー。でも、シャワールームもとても寒い。勇気を振り絞り、寒い中で裸にならなきゃいかん。ポールの家のシャワーカーテンは、透明で中が丸見えだ。とても寒そうに見える。しかし、それとは別に、ねんごろになった女達がシャワーを浴びている時、体育座りをしながらそれを眺めているポールの姿が目に浮かぶ。しょーがないエロジジイである。まったくの私の想像なんだけど。
シャワーを浴びてすっきりしてから、ブランチを取ることにした。冷蔵庫を開ける。じゃじゃーん。すごい!日本のマヨネーズまである!キッチンの戸棚を開ける。じゃじゃーん。すごい!ほとんどが日本の食材!海苔まである。お米を炊くのはかったるいので、トーストを焼くことにした。あとは、目玉焼きでいいや。私は目玉焼きと言っても、Over Easyが好きである。つまり、両面焼きである。そのほうが早く出来あがるし、お好み焼きに入ってる卵みたいでおいしい。私はトーストの上に焼き立ての目玉焼きを乗せ、冷蔵庫からおもむろにマヨネーズを取りだした。そして、これでもかというくらいそれを目玉焼きの上にかける。昨晩、口説いた罰だ。あんたんちのマヨネーズをたくさん食べてやる。ちなみに、ニュージーランドやアメリカのマヨネーズは甘い。コールスロー並みの甘さである。いや、もっと甘い。そして、卵の味がしない。見た目も白色で、マヨネーズには絶対不可欠である、あの筋がない。なぜならビンに入っているからである。これでは、マヨラー(マヨネーズが好きで好きで堪らない人の敬称)の期待は半減してしまう。あの筋が大事なんだよ!あの細い筋がっ!!
ご飯を食べ終わり、食器を片付けてしばらくしたら、ポールが帰ってきた。今日はこれから、お洋服を買いに行くのを付き合って欲しいという。いいよ、別に。私のセンスでいいならね。よし、決まり!というわけで、さっそくダウンタウンまでお出かけということになった。実は、私は男性の服の見立てというのが苦手である。相手に似合うものを選ぶ、というのが苦手なのだ。以前、父の誕生日にピンクのYシャツとフラミンゴの絵が描いてある派手なネクタイを贈ったことがある。父はそれをたいそう喜んでいたが、普通の男性は喜ばないと思う。やはり、この娘にして、この父なのである。(逆さまだよ...)
我々は、だだっ広い『ファッションセンターしまむら』っぽい造りのお洋服ショップへ入った。ポールが持ってくる服というのは、10年前くらいに渋谷や六本木にたむろしてた男が着ていたような、安っぽくて派手なものばかりだ。見た目は派手でカッコイイのだが、その日暮らしの薄っぺらな生活を煌びやかさでごまかしたような服。まるで禿かかった真っ赤なマニキュアみたい。
「安っぽく見えるよ。」
と私が言い放つと、ポールは満足気にこういうのだった。
「いいねぇ、ビジッとね。そういう意見が聞きたいんだよ。ノリコはどんなのがいいと思う?」
ああ、困ったなぁ。私、こういうの得意じゃないのに。とりあえず、そばにある布の分厚い、しっかりした縫製のものを手に取った。ポールはそれを見て、うーん、と唸っていたけど、「別の店に行こう」と、この店で服を選ぶことを断念した。その後、ジーンズからおしゃれな綿パンまで揃っている、若者が立ち寄りそうな店に入った。ポールに何色がいいと思う?と聞かれ、白っぽい色なんかいいんじゃない?と答えておいた。お店の人にサイズを測ってもらって、気に入ったパンツを持って試着室に入っていった。しばらくして、ポールが試着室のドアを開けた。なかなか似合っている。しかし、ポールは浮かない顔である。どうしたの?ちょっとサイズが大きすぎるんだ。そうかな。とってもちょうどよく見えるけど。お店の人も、「これくらいゆとりがあったほうがいいですよ」と言っている。でも、ポールはもう一つ下のサイズを注文した。それを試着する。試着室から出てきたポール。ウェストの布がキューキューに引っ張られて、シワが入っている。どうみてもキツそうである。
「うん、これくらいがちょうどいいな。」
お店の人が、「本当にきつくないですか?」と念を押す。ポールは、きつくない。これくらいがちょうどいい、と言い張る。
「それに、これからダイエットとエクササイズをして、痩せる予定なんだ。」
お店の人は、ああ、そうですかー、それならねぇ...と言葉を濁した。
「やるの?」
「やる。(きっぱり)」
おーけー。じゃあいいんじゃない?...ということで、ポールはそのパンツに決めてしまった。あとはそれに合わせてセーターを購入。今日のイベントの終了である。
その後、ポールはWellingtonのダウンタウンを汲まなく案内してくれた。Wellingtonでは、おいしいコーヒーが安く飲めるということ、ストリートによって、店のジャンルがだいたい決まっていることなど、いろいろと教えてくれた。ある通りに出たら、そこには髪の毛が緑色で針のように逆立っている髪型の人が、大きなカセットデッキを片手にしている姿が目に付くようになった。
「ここは、ニューエイジっぽい店が多い通りね。お香とかちょっと変わったグッズなんかはここに売ってるんだ。」
ふーん、どこにでもそういう、ニューエイジ区域ってあるものなのねぇ。
そこからほんの少し歩いて行くと、道行く人の年齢層がぐぐっと上がった。「ここは売春宿やその他アブナイお店があるところね。」
と言って、その通りにある店に連れて行かれた。
おーーー!あだるとぐっずしょっぷ!!至る所に、いろんな形の例のモノが陳列されている。マニアなビデオももりだくさんだ。真剣にビデオを物色している男性が1名いる。彼はしゃがんで両手にビデオを持ち、悩んでいた。見てはいけない男の世界を見てしまったような気分だ。しかし、こういうところで動揺してはならない。何も知らない小娘のように、「気持ち悪ーい」などと言って恥ずかしがっていては、昨日の苦労も水の泡となる。私は、ふふんと鼻白んだ表情で店内を見回し、店のおやじにもニッコリ笑って愛想をふりまいて、余裕を醸し出すことに専念した。ポールが中国製と思われるビデオを手に取り、「かわいい!」と騒いでいる。...本当にアジア人が好きなんだなぁ。好みっていろいろあるけど、この人はどうして自分とはまったく違う容姿や文化を持つ女性に魅力を感じるようになったのだろう。例えば、ニックも「肌の黒い女が好き。黒っぽい、っていうんじゃなくて、本当に真っ黒な肌の女。」といっていたことがあったな。どうしてなんだろう。その人の歴史や経験が、魅力のビットを決めるのだろうか。例えば、私はインテリに弱い。インテリっぽい人を見ると、私の中の魅力のビットが反応して、つい付いて行ってしまう。どうしてだろう。考え深げに店を出た。辺りはもう暗い。私達は、韓国料理屋で食事を済ませて家路に着いた。
4日 口説きのテクニック Part 2
部屋に戻ると、ポールは蝋燭に火を灯した。ワインのボトルを開け、私のグラスに注いだ。 「ちょっとシャワーを浴びてくるよ。先に飲んでて。」
おーけー...。
なんだか、これじゃ恋人同士みたいじゃないの。私は、ポールのことを男性としては絶対に見ることが出来なかった。別に太っているからというわけではない。私は別に、見た目をどうのこうの言えるほど美人じゃない。言うなれば、鼻くそだ。しかし、簡単に自分を与えてしまうような理由が見つからない。ポールに口説かれて応える理由が、自分には一つもないのだ。ニュージーランド人のシャワーは早い。一体どこを洗ってきたの?と聞きたくなるくらい早い。ポールは、5分後にはリビングルームに戻ってきた。あら、浴衣姿。外国人の浴衣姿は、浴衣が体に小さすぎて滑稽だ。
「のりこもシャワーを浴びてきちゃえば。」
うん、そうするよ。私は自分のパジャマを取りに立ち上がった。するとポールは、奥の部屋から薄紅色のシルクのガウンを持って来た。
「よかったら、これを着たら?」
おいおいおいおいおいおいおいおい。
私に何をさせる気だい?背の低い私がそれを着たら、胸もあらわ...どころか裾を引きずってしまうよ。セクシー以前の問題だ。パジャマのほうがよっぽどリラックスできるよー。「そう?似合うと思うのに...」
大体、何人の女がこれに袖を通してきたというのか。少し傲慢な言い方になるが、そのような女性達と平行に並べられるのは気分が悪い。私は、絶対にシャワーの最中を覗かれないように、厳重にドアの鍵をチェックした。そして、シャワーを浴びながら考えた。ポールは決して悪い人ではない。私の直感は当たるものだ。私を傷つけたり、哀しくさせるようなことは絶対にしないだろう。彼はただ単に、彼の下心を満足させたいだけなのだ。もしも、それを私が受けとめたとして、その後私が不幸と感じるかそうでないかは、私次第だ。彼を悪い人だと思うとしたら、それは私が自分で自分の感情を解決できないときだけであろう。
私は心を決めた。
パジャマを着て、さっぱりした気分でリビングルームに戻る。ポールは松田優作が出演している『ブラックレイン』のビデオを夢中になって観ていた。私が出てきたのに気がつくと、ビデオを止めた。そして、グラスにワインを注ぐと、「二人の再会に乾杯」といった。
「この映画は僕の大好きな作品なんだ。この哀しいBGMを聞くと、妻に離婚の話をしたときのことを思い出すな。」
と彼は寂しそうに語った。妻は泣いていた、と言っていた。僕も泣きたかったと言っていた。
なんで、愛し合っていたはずの二人が、他人よりも遠い他人になってしまうのだろう。
私にはまだ理解できない。私達は、ワインを飲みながら、ビデオを観始めた。しばらくすると、ポールはカウチに横になった。
「のりこも一緒に横になりなよ。」
私はカウチの前で膝を抱えて座っていた。ポールを振り返る。
「いい。」
私は一言、言い放った。ポールは、私の髪をなでて、緊張しないで、と囁いた。私はその手に頭を軽く預けながら、たずねた。
「今まで何人の人とやった?」
ポールは、しばらく考えてから答えた。
「うーん、300人くらいかな。もっとかもしれない。」
ふーん。船でナンパして簡単に女の子は付いて来るの?まぁ、たいていはね、と答える。声をかけられて、部屋に着た女の子達は、たいていポールと床を共にしてしまうのだ。ポールの寝室には、ポールが読めもしない英和・和英辞書が置いてあるのが見えた。言葉もろくに通じない相手と何を語り合うというのだ。なんとも切ない現実じゃないか?彼女達は、外国人のボーイフレンドが欲しいのだろうか。普段はナンパもされないのに、いきなり外国人にナンパされて嬉しくなっちゃうとか?それとも英語の勉強になると思ったのかな。いずれにしても、このポールに人間的な魅力を感じることは、私には出来ない。私は男に手厳しい。少なくとも、私にとってポールは『男性失格』なのである。そんな男に口説かれても、三文の得にもならないし、嬉しくもない。ポールに口説かれた女の子達の一部には、真剣にポールを愛していた人がいたかもしれないけれど。もちろん、私は彼女達を否定しない。それは彼女達の意志だもの。
「えっちした後、女の子はみんな、ポールのガールフレンドになりたがったでしょう。」
というと、ポールは疲れたように Oh Yeah... と答えた。みんながみんな、一度のえっちで「結婚」という言葉を口にするらしい。信じられないことである。私は話を聞いているうちに、今日の外国に来ている(極一部の)日本女子達に怒りを覚えてきてしまった。こんなんでいいのか、日本女子、ドン!そんなに弱くてどうする日本女子、ドンドン!なぜ、ノーと言えない日本女子!肉体関係を持った後でなぜ心をゆだねる、日本女子、ドンドンドン!
「私とえっちしたい?」
オフコォォォーーーース!!!という答えが返ってきた。
私は、さきほど心に決めたことを実行しようと、正面に向き直して、ポールをじっと見つめる。私、一つ知りたいことがあるの、ポール。ここで私があなたの横に寝て、あなたのキスを受け、その先に進むのは簡単なことでしょう。物理的な行動でしかないわ。でも、よく考えてみて。そんなことをして、一体なんの意味があるの?私達の間に何が生まれるの?それをしたら、私達に成長があるのかしら。あなたは私を愛していないし、私もあなたを愛していない。Sexは出来ても、Making Loveは出来ないのよ。教えて。一体、どんな成長があるというの?私は、何も成さないこと、無意味なことはしたくないの。それに、私は口説かれて有頂天になるほど、かわいい女じゃないの。もっと憎たらしいのよ。
ポールの目が左右に揺れた。そして、片方の手で私の手を握って、もう片方の手で私の髪をなでた。
「君は、なんて素晴らしいんだ...。今までこんなことを言った女の子はいなかった。どうか、どうか僕の友達になってくれ。一生の友達になってくれ。」
おいおいおいおいおいおいおいおい、まじかよーーーーっ。
こんなんで、感激しちゃうわけーーー?簡単すぎるー。簡単過ぎるよーーーーーっ。
あまりの単純さに、私は思わず吹き出してしまった。単純すぎる...まるで子供みたいに。私の笑いを勘違いしたポールがまくし立てる。「もしかしたら、もしかしたらさ、友達のままでいたって、もしかしたら恋人になるかもしれないだろ。80歳になってから恋人になったっていいじゃないか。ね?」
おーけー、と私は笑って答えた。ポールの単純さには肩透かしを食らったような気分だが、油断は禁物だ。こういう時、突然話題を変えてしまうのは、初級テクニックである。似たような話題で、更に相手の集中を違う点に移すのが中級テクニックだ。ポールに上級テクニックは必要でない。中級で十分だ。
その後、私達は"友情に乾杯"をした。そして、話題を下ネタに移した。ポールの下ネタを聞きながら、笑い、時には驚き、また風変わりな質問をして彼の自尊心を盛り上げる。しかし、聞き手ばかりに回ってはいけない。私は(主に会社の)男性から聞いた、あらん限りの下ネタ情報を提供した。そう、ここがテクニックなのである。女の立場で下ネタを語れば、単に相手をえっちな気分にさせるだけである。ここは一発、男の立場で下ネタをじゃんじゃん振舞うのだ。つまり、ネタとなるのは女性である。えげつない話まで、臆さずするのだ。すると、相手はまるで男と話しているような気分となり、自分が誰を口説いていたのかを忘れてしまうのである。(ホントかーーー?)
私達は床を叩いて大笑いをし、笑い疲れて眠ることにした。
私がベッドへ行こうとする前、ポールが言った。「俺達、似たようなアニマルだな。」
..............違うって!!
かくして、私の貞操は守られたのである。
3日 口説きのテクニック
Wellingtonの港は、まだ朝の匂いがしていた。ちょうど出勤の時間帯で、高速道路も道行く人も忙しそうだ。Wellingtonは、ニュージーランドの首都である。北島の一番南側に位置する大きな規模の都市で、坂道が多い。私はこの街の地図すら持っていない。街のビジターセンターに行って、地図をもらってこなくちゃいけない。 Wellingtonは一方通行の多い街だ。ビジターセンターを探し求めて、くるくるとハンドルを回す。何回この角を曲がったことだろう。なんとなく、大体の街並みがつかめてきてしまった。でも、やっぱり地図を持っていないと不安だ。Christchurchのように出かけるたびに迷子、などという事態はごめんこうむりたい。
ようやく見つけたビジターセンターは、大きなシティセンタービルに組み込まれていた。これじゃー、わかんないよー。歩いてたら簡単にわかるけど。
無料の地図を手にして、勇んで車に戻る。ついでに腹ごしらえもしておこう。ポールとの待ち合わせは午後の1時半から2時の間だ。それまでまだ4時間以上ある。私は路上パーキングに車を停めて外に出ると、ふと線の細い顔をしたアジア人と目が合う。年頃は、30代後半といったところだろうか。本当は若いんだけど、苦労が重なって老けてみえてしまうタイプと見た。その人は、さりげなく私と目をそらすと、目の前の小洒落たCafeへ入っていった。なんとなくだけど、目が合ったから私もそこで朝食を取ることにして、その男性の後へ続いた。
店は小さなテーブルが4つほど置かれている、こじんまりとした完全ヨーロピアンスタイルのCafeであった。先ほどの男性は、その店のカウンターの中にいた。なるほど、店主だったのか。店主の妻と思われる若い女性が、May I help you?と聞いてくる。いえーす。腹が減ってるんだよー。メニューを見ると、内容はほとんど韓国料理だった。しかし、英語で書かれているので雰囲気としてはヨーロピアンだ。私はライススープとコーヒーを注文した。しばらくすると、フランスパンの添えられた、鶏粥が出てきた。中華粥の鶏の脂のような匂いはせず、なにやらショウガの匂いがする。体が暖まっておいしい。しばらくすると、店主が話しかけてきた。一人旅をしているの?車で?たった君一人で?すごいねぇ。おだやかな店主は、のんびりとした口調だ。私は、ポールとの待ち合わせの場所である、Wellington駅の場所を地図で確認しようと思っていたのだが、イマイチ車での行き方がわからない。店主に尋ねると、車はどこか大きな駐車場にでも置いていったほうがいい。10分くらいだったら、駅に停めることが出来るけれど、という。店主は、指で地図をなぞりながら、丁寧に丁寧に駅までの行き方を教えてくれる。その際のリアルタイムな交通事情まで教えてくれた。優しい人だ。ありがとう。
私はお礼を行って、店を去った。ポールとの待ち合わせの時間まで、まだまだ時間があるけれど、念の為に場所を確認しておこう。私はWellington駅まで車を走らせた。何度か同じ場所をくるくる回ったあと、何度も目にした、このレンガ造りの建物こそ、Wellington駅であることにようやく気がついた。私はこの建物を、ずっと政府に関連した建物だと信じていた。時計台もついていて、なんだかちょびっとだけ東京駅を思い出させる。まぁ駅の中に入ると、天井の高い様子が、すっかりヨーロッパのどこかの駅のような雰囲気を醸し出しているのだけれど。
駅の場所も確認できた。残りの時間は好きなだけ好きなことして過ごそうっと。
私はWellingtonの街並みをドライブすることにした。海沿いを軽快に走る。日差しにキラキラ光る波が美しい。Wellingtonの海沿いの道は、まっ平らで小気味のいいコーナーがたくさんある。私はエンジンをふかし、ハンドルを操作しながら、美しいラインを追求する。左手に海、右手にかわいらしい住宅という景色が続く。うーん、いいねぇ。気持ちいいねぇー。ぽかぽか陽気の中、私はどんどん車を走らせる。少し遠くに来すぎたので、途中の道を旋回して元来た道をまた戻る。海沿いをランニングする人、犬の散歩をする人、ウィークデイだというのに様々である。海沿いの路上駐車上に車を停める。正面にWellingtonの海がキラキラしている。海の向こうには、穏やかな丘がぼんやりと霞んで見える。隣のクリーム色のクラッシックカーには、おばあさんが二人、窓を開けてのんびりと海を眺めてる。私は、雨漏りをしていて湿気が溜まりがちな私の車の室内を換気しようと、車の窓を全開にした。ついでにサンルーフも開けてしまおう。冷えた空気が暖かい日差しをさえぎるかのように、室内に流れ込んでくる。窓を開けると、隣の車からラジオの音が聞こえてきた。おばあさんたちは、海を見ながらラジオを聞いて日向ぼっこをしているわけだ。いいなぁ、こういう老後。この二人は半世紀を共にした大親友なのかな、それとも仲のいい姉妹かな。おばあさんたちは、柔らかい微笑みを浮かべて、海を眺めている。私は彼女達の邪魔にならないように、静かに車のドアを開けて、車の室内を片付けることにした。別に物が散らかっているわけではない。助手席の足元に敷いてある犬用のおむつシートを交換して、濡れきったタオルを絞って乾かそうと思ったのだ。まず犬用のおむつシート。これはこの車の水漏れにたいへん役に立っている。ちょうどダッシュボードの後ろ側からボタボタと激しく水が漏れてくるのだが、そこへこのおむつシートを敷いておくと、水は完全にシートに吸い込まれて行くのである。大活躍のシートから外れて漏れてくる水は、この車の前オーナーから受け継いだ青いタオルが救ってくれる(買うときに既に敷いてあった)。タオルは既に水が滴る状態で、おむつシートはまるで、厚揚げのように景気良く膨らみきっていた。お、重たい。
トランクから新しいシートを敷いて、青いタオルもちょっと窓にかけて干す。少し臭いけど、これで私の車がすっかりきちんとなった気がする。愛してなくても、愛車は愛車よ。ね、ハニー二世。
私はシートを少しリクライニングして、読書をすることにした。あー、気持ちいーなー。こういう時間って、心のゆとりを生むよね。なんとなく、昔のメールなんか引っ張り出して読み直しちゃったりもして、うーん、心の余裕だね。
そうこうしているうちに、時間は1時を過ぎてしまった。そろそろWellington駅まで行くかー。
Wellington駅周辺の路上駐車上は、既に満杯だった。しかし、ここで諦めるような私ではない。一体、何度都会の銀座で駐車場を求めて徘徊したことか。こういうのは、ぐるぐる回るに限る。ぐるぐる回っているうちに、ぽこっとどこか空がくのである。私はそういいった状況に、焦燥感を感じない。ついでに言えば、渋滞だって屁の河童である。なーんにも感じない。しかし、一人旅で培ったものなのか、車内での独り言は半端ではない。ウィンカーを出さずに斜線変更する車を発見すれば、「ぴぴぴー。脇に寄りなさい。」と言うことにしているし、無作法な割り込みをした人には、「逮捕です」と言って追いかける。前後に誰もいない山道では、自分のシフトとは関係のない、エンジン効果音を自分で作り出す。例え自分の車が5速で走っていたとしても、私の心は違うのである。プィーーーーーーーンプィーーーーーーーーーーン(一速、二速を引っ張って..)プィーーーン(三速)ブィンブィンブィン..(シフトダウンの音)と、こんな具合だ。一体何速の車なんだっつの。
運良く駅の目の前の路上パークをゲットすることが出来た。
あとはポールを待つのみだ。私はしばらく駅を見学した後、駅のまん前でポールを待った。ポールは来ない。でも、絶対行くからね、と念を押していたから、待っていればいつかは来るのだ。私は、渋滞が平気なら人を待つのも平気だ。待っていれば必ず来るものだし、遅れるのにはそれなりに理由があるのだ。その理由を推測すると、だいたいどれくらい遅れてくるのかがわかるから大丈夫。予想を超えて遅れてくると、心配になるけど。ポールは予想の範疇を超えずに現れた。フェリーのクルーの格好をしている。両手を広げて、軽く私を抱きしめた。ポールのでっぱったお腹がポヨンとする。
「久しぶりだねぇー。南島の旅はどうだったかい?」
太ったポールはニコニコしている。でも、私は彼のテンションがいくらか上がり気味なのを感じ取った。ふふん、齢32の男がこの小娘を前に緊張しているのか?(違うって!)
「まずは僕の家へ行こう。この服を着替えたいんだ。それから、遅めのランチといこうか。」
おーけー。ポールの白いファミリア(ターボ付き)をついていく形で、彼の家まで行くこととなった。先ほど、私がドライブした小気味いい海沿いのコーナーを走りまくる。彼は私を振り切りたいかのように、ブンブン飛ばして行く。しかし、彼のブレイキングは素人芸だ。こんなところでブレイキを踏んでいるようじゃ、私のドライビングテクニックには叶わなくってよ。そちらがそう出るなら、とばかりに私はポールの後ろにぴたりと車をつけ、ぶんぶん飛ばした。もちろん、こういった状況下でこそ、安全確認は慎重に行わなければならない。私は脇と後方をちょこちょこと確認しながら、ポールについていった。
ポールのフラットは、Wellingtonが一望できる、眺めのいい高台にあった。素晴らしい。
車から降りるや否や、ポールが言った。「ずいぶん運転が上手だね!てっきり僕に付いて来れないかと思っていたのに。」
まじか。アンタみたいなヘタクソについていけないわけないじゃないの。私、デンジャラスドライバーは嫌いなのよ。
ありがとう、と言って、私はトランクから荷物を取り出した。ポールが部屋のドアを開ける。靴を脱ぐ私のそばで、ポールが厳重にドアの鍵を締めていく。ちょっと不安になる。
「心配はいらないよ。これは僕の癖のようなものなんだ。」(ニッコリ)
うーん。ドアの上の方にも鍵があって、届かない。もしもの時には窓から逃げるしかないのか。
ポールの部屋は、まさに日本一色であった。浮世絵の壁掛け、富士山の絵、ちょっとした置物まで、すべて和風だ。本棚には、日本語の本も置かれている。
「本当に日本が好きなのね。」
というと、ポールは目をきらきらさせた。
「そうだよ!僕は日本が大好きなんだ。ほら、見て!」
私を台所へ連れて行く。ポールは台所の棚という棚を開けて見せた。なんと、そこにはキューピーマヨネーズ、海苔、みりん...ありとあらゆる日本の食材がぎっしりと詰め込まれていた。
「日本食も大好き。」
ニコニコしているポール。なんだか憎めない人だ。
我々は、日本の文化から日本の女性について長々と語り、ようやくレストランへ行こうと決まったときには、既に外は暗かった。Wellingtonの街をポールのドライブで案内される。今夜はメキシカンレストラン。英語のメニューでは、一番難解なジャンルだ。私達はレストランへの道のりの間、ポールの前々妻(日本人)の話から結婚についてと話が発展し、延々とそれらのことについて話していた。レストランの駐車場に着いてもまだ話は終わらず、窓際の客が入り、立ち去り、また新たな客が座っても、まだ話しつづけていた。
いい加減したころ、私のお腹が激しくなった。キュ〜〜〜〜。
ポールはくすっと笑って、そろそろ食事にしようね、と言った。食事はまぁまぁだった。不安なことに、ポールが食事をごちそうしてくれた。これままずいサインだ。泊めてくれる上に食事までご馳走してもらうのは、よくないことだ。私は、嫌な予感がしていた。
お家に帰る前に、Wellingtonの夜景を見に行こうという。Wellingtonの夜景はとても美しいというのは聞いていた。見てみたい。しかし、これは男の得意の戦法の一つ(バカの一つ覚えとも言う)でもある。
街で一番の高台という丘までドライブだ。同じようなことを考えている男はたくさんいるようで、あちこちに車が停まっている。ポールは、ひときわ人のいない空き地を選んだ。車から降りる。ぐっ、さ、寒い!!!しかし、夜景は美しかった。100万ドルとは言わない。しかし、一万ドルくらいの夜景って言ってもいいんじゃないかな。街の灯りが、ここWellingtonの都会さを物語っている。
空を見上げる。わぁーーー。天の川が頭上を流れている。夜景と星空...うっとりとする美しさだ。
ポールが車から回りこんで、私のそばに来た。「うー、寒いねぇ」
背後から私を抱きしめる。...来たか。ムード+ボディタッチという一番安易な戦法だな。今まで何人の女性がこの手に落ちたのか。私はそれほどチープな女ではない。しかし、相手にガツンと拒否を見せたのでは、ただの無能な子供である。なんとなく、受け入れているような曖昧な態度を見せておきつつ、からかいながら相手の口説きを煙幕に撒いてしまうのが賢い方法だ(その際、あまり喋りすぎてはならない。更にボケるだけではだめだ)。肉を切らせて骨を切る。少しくらい触られてたって、別に痛いわけじゃない。これからが勝負なのだよ、ポール君。昔とった杵柄精神がムキムキと湧いてくる。私は頭の中で、これからの行動をシュミレーションする。いやまて、私がとった杵柄とは、いかに男を手玉に取るかという方法ではなかったか?待て待て待て。それじゃあ今回は困るんだよ。えーっとさりげなく拒否するのは、どうしたんだっけ?
長いこと恋愛ゲームなどをしていないと、さっぱり忘れてしまうものである。
そのときだった。
バシュッ!!
「あ!」
「あ!」かなり大きめの流れ星が私達の目の前の空を流れて行った。
「今の見た!?ねぇ、見た!?」
興奮してポールが私を見る。青い目を真ん丸く広げて私を見る。
見た見た!私も見たよ!なんだかTakakaに落ちた隕石のときみたいに大きかったねぇ。「僕達はラッキーだ。」
そうだね、あはは。私は笑って、体を離した。ポールがお家に帰って、お酒でも飲もうかという。おいでなすった。おっけー、お酒飲もうよ。私もお酒が飲みたいよ。
ポールは満足そうに笑った。
私はこれからの算段を考えなくてはならなかった。恋愛ゲームの駒ばかりが揃っていく。でも、私はそれに参加したくない。なんでだろ。車の中で静かにそのことを考えた。夜闇に夜景が映える。車の窓から見える街の灯りを見つめながら、私は私らしくあろうと心に決めた。
8月3日。夜はこれからだ。
2日 にわか大道芸人
Kaikouraを後にした。
後は、Pictonで一晩過ごして、フェリーに乗る。Pictonでのバックパッカースは、ただ訪れる客が多いというだけの理由で、『Jaggle Rest Back Packers』に宿泊することにした。アーティスティックな建物の中は、一輪者に乗る足が天井に飾られていたり、床にお手玉が転がっていたりする。そして何より、このバックパッカースで働くスタッフが、常に何やら二つの棒をくるくる回しながら天井高く投げて遊んでいるのだ。いや、遊んでいるというよりは、練習に近い光景だ。
外は小ぬか雨。すでに3時を過ぎてしまっているし、小さな港町のPictonを見て回るつもりはない。今は、モルガンから言われた言葉をゆっくりと考えたい。私はベッドに腰かけて、PCに情報をまとめていた。
コンコン。ガチャ。
ドアが開く。長身で肩ぐらいの長さの髪の毛を後ろで束ねた中年男性が、私を見下ろした。な、なに?
「それが終わったら、リビングルームに来てね。」
と言葉を残して出て行った。後にこの男性がこの宿のオーナー、ゲリーであることがわかる。とても優しい瞳をした男性だ。
私がリビングルームへ行くと、既に数人の客がお手玉にこうじていた。皆、天井を見上げてお手玉を投げている。ちょっと異様な雰囲気だ。ゲリーは、私の姿を見るとすぐさま二つのお手玉を私に渡した。
「はい、君の分。」
え?そしてゲリーは、二つのお手玉を片手で高く投げて、お手玉を上手に受けとめてごらん、と言った。そんなの朝飯前だよ。軽くぽんぽんとお手玉を投げる。ゲリーは、「よし。じゃあ、次は両手でお手玉を投げて、頭上で交差させてから、上手に受けとめてごらん。」と言った。これは思ったよりも難しい。ついつい、右手でお手玉を投げた後、左手から右手にお手玉を送ってしまうのだ。ゲリーが言っているのは、そうではない。両手で投げて両手で受け取るのだ。む、難しい。が、コツを覚えてしまえば簡単で、二つ程度のお手玉ならほいほいと出来てしまう。はっ...なんか私、知らないうちにこの光景の一部になってる...。
「センスがいいぞ。じゃあ、今度は三つのお手玉でやってみよう。こんなふうにやるんだよ。」
と見せてくれたゲリーのお手本は、まさに大道芸人の基本であるような気がした。それもそのはず、彼は大道芸を生業としている人物だったのだ。この宿では、訪れる客に大道芸を教え込むことが売りとなっている。しかし、こんなの私に出来るかなー...。二つのお手玉を同時に投げると共に、右手でお手玉を受け取る直前に、余ったお手玉を投げるのだ。かなり難しい。負けず嫌いの私は、周囲の人が既にお手玉をやめてしまっても、まだ続けていた。体が熱くなってくる。お手玉を投げる。お手玉が床に落ちる。お手玉を拾う。お手玉を投げる。うりゃー、こんちきしょー、もーいっちょー。
ぽんぽんぽん。
とりあえず、お手玉を3つ投げて受け取ることが出来るようになった。それ以上続けるのは難しい。しかし、しばらく練習を続けるうちに、なんとか私もエセ大道芸人になれそうな具合まで上達した。
そこで、ハタと気がついた。
私、なんだかお手玉に集中してたな。さっきまでいろいろと考えたいなんて思ってたのに、すっかりそんなこと忘れてた。もう、考えるのはやめよう。もう、旅は帰り道の半分以上を進んできている。明日は北島に戻るんだ。お手玉にすっかり夢中になったことで、なんだか自分がリセットされたような気がした。既に私の旅は来た道を戻っている状態なのだけれど、もう一度、新たな気持ちで旅をしよう。
翌朝が早かったので、私は早々にベッドに戻った。数時間の睡眠の後、寝静まった宿を後にした私は、再びこの宿を訪れることを心に誓った。とても暖かい宿だった。せめて3泊はしたい。
星空がきれいな早朝。私は白い息を上げながら車に乗りこんだ。
フェリーに乗って、北島に着いたら、あのポールと再会だ。私はフェリーの中で居心地の良さそうなソファを見つけると、数時間の浅い眠りについた。
1日 天使のモルガン
Wanakaを去る日、朝早いというのに、夜更けまで語り合ったのぞみさんが見送りに出てきてくれた。住所を交換するが、それらの住所は我々にはまったく役に立たないことがわかる。私は旅人、彼女はスキーヤー。半年後なんてどこの国にいるかもわからない。もしかしたら、日本にいるかもしれないけどさ。彼女も、11月になったら今度は、日本の雪山にこもってスキーだ。お互い、根無し草ですなー。ははは。 彼女に手をふり、一路、Christchurchへ。
Christchurchでは、プリシラの家に再び滞在。そこで、体調を崩す。体調を崩すといっても、食欲がなくなっただけだけど。いやいや、私が食欲をなくすということは、タイヘンなことなのであーる。前日の夕飯もろくに食べず、朝食も抜かし、昼食も食欲がないと言って、断わると、さすがにプリシラが心配し始めた。もう一泊するかどうか聞いてくる。でも、私はもう同じ場所に留まっていたくなかった。プリシラが何気なく、しかもかなり強引に勧めるマフィンを無理やり口の中に押し込む。私は甘いものが大嫌いだ。甘い味付けのおかずもキライだし、お菓子なんてもっとキライだ。でも、プリシラが「今朝焼いたの。」って強く勧めるから、食べてみた。苦いコーヒーで半ば流し込むように飲み込む。しかし、しばらくすると、気分が悪かったのが少し良くなってきたような気がした。「あなたはお腹が空いていたのよ。気がつかなかったの?」
そうか。私、お腹が空いてたんだ。いろいろと考えすぎて、知恵熱もとい、知恵腹になってしまったのだろうか。
ぽかぽか陽気の中、私はChristchurchを去ることにした。
ありがとう、プリシラ。ニコニコ笑っていたけど、本当は心配してくれていたんだね。プリシラのマフィン、私のお腹に効いたみたい。私はいつか必ず、旅先から彼女へ手紙を出そうと心に誓った。ChristchurchからKaikouraの距離はたいして長くはない。数週間前に通った同じ道を戻るのだ。反対側から見る景色はどんなふうなんだろう。私はどんどん車を走らせた。Kaikouraには、モルガンがいる。でも、今夜はモルガンのバックパッカースには泊まらない予定になっていた。少し、一人になって考えたいことがあったのだ。だから、今回はちょっと高くてもモーテルに泊まるつもりだった。
英国調のChristchurchの景色から、辺りは次第に自然が増えていく。緑に覆われた山、牧場、羊。少し私はいろんなことを考え過ぎなのかな。なんだか自分がわからなくなってきた。旅をしている自分が一番心地よいはずなのに、旅以外のことを考えている自分がいる。心の大半はもはや旅ではなくて、他のことを考えている。まったく自分らしくないことだ。私はこんな自分がいやだった。旅をしていない自分は、一体どこに進んでいるのかわからない。
目の前に広がる羊の群と広大な牧場を見て、いつかニュージーランドへ行ったら、こんな景色が見てみたい、と言っていた人を思い出した。見せてあげたいな、と思った。車の窓から見える景色はどんどん変わっていく。次に見えたのは、美しい丘だった。これを誰かに見せたいかな。この感動を誰に伝えたいかな。自分に質問をする。次から次へと感動させてくれる景色をみるたびに、自分に質問をしていく。私は思考にのめり込んでしまって、まるで自分の中で、自分がもがいているような気分になってきた。。胸が苦しくて痛い。どうしたんだろう、私。どうしたら、いつもの自分が戻ってくるんだろう。神様、私、どうしたらいいのかわかりません。
突然。
あまりにも突然、目の前で今までになく壮大な景色が広がった。連なる緑の丘陵。羊は一頭も見当たらない。どこまでも続く丘の果てには、大きな大きな白い岩山がそびえていた。本当に美しい景色だった。これぞニュージーランドという景色だった。私は、「この景色を誰に見せたいの?」と自分に質問してみた。答えは明白だった。
これは、私が見たかった景色だった。
私が見たかったこの景色を、一体誰が、いつ、どうやって造ったのだろう。長い長い歴史の中、いつだってこの景色は存在していたはずで、この一瞬まで、いつもと同じようにそこに存在していたはずなのに、どうして今、私がそれを見つけて、こんなふうに感動しているんだろう。
恥ずかしいけれど、正直に白状すると、やっぱり神様っていつだってそこにいるんだなぁと思ってしまった。だって、あの景色を見た後、自分が自分である状態を思い出したから。
それからのドライブは、気分が良かった。何か、心が軽くなったような気がした。
この気持ち、モルガンに話したら、彼はなんて言うだろう。彼ならわかってくれるかな。でも、今日はモルガンのところには泊まらないし、どうしようかな。私から、彼のバックパッカースへちょっと顔を出してもいいかもしれない。んーーー。そんなことを考えているうちに、Kaikouraへ到着してしまった。気分が軽くなったら、急にお腹が空いてきた。肉、肉が食べたいぞ。脂こってりの、ラム肉か豚肉が食べたい。モルガンのことは、腹ごしらえが終わったら考えよう。とりあえず、Kaikouraの小さな町で路上駐車をして、スーパーへ向かった。スーパーには生肉は置かれていない。肉屋を探そう。でも、どこにあるのかわからない。そうだ、この商店で聞いてみよう。小さな商店に入りかけようとしたが、店員が客と話しこんでいるのが外から見えたので、やはりスーパーに行こうと振り返った瞬間だった。
モルガンだ!
モルガンがビデオテープを持って、車から降りて歩いていく。
「モルガン!!」
モルガンが振り返る。モルガンの顔が曇る。だれ?という顔だ。しかし、それも束の間、モルガンの顔がぱぁーっと明るくなって、両手を広げて、私のところへやってきた。
「ノリコ!どうしてここにいるの?」
聞けば、モルガンはビデオテープを返しに行くところだったらしい。それも、一本返すのを忘れているのに気がついて、取りに帰ってから、再びビデオ屋に戻ってきたとのことだった。いやー、偶然だねぇ。
私達はしばらく立ち話をしたあと、今夜、再会することを約束した。モルガンは私の部屋のほうが都合がいいというので、私が宿泊するモーテルで会うことにした。清らかなモルガンだからこそ、私も安心して「いいよ」と言える。
食事も済ませて、お腹は満腹。お皿も洗って片付けを済ませ、コーヒーのためのお湯を沸かしているとき、コンコンと小さくドアをノックする音が聞こえた。
おー、モルガン、今日は偶然だったねぇ。本当はモルガンと会うのをどうしようか迷っていたんだよ。でも、偶然会えたから、会えってことなんだよね。などと話ながら、再会を喜んだ。しばらく話していて、モルガンが安心したように言った。
「良かった、元気そうで。今日、ノリコから呼ばれたとき、一瞬、ノリコだって気がつかなかったんだ。それぐらい、なんだかしょんぼりして見えたんだよ。僕と初めて会ったときのノリコは、もっとキラキラしていたはずだったから、違う人かと思っちゃったんだ。」
えー?そんなこと言わないでよ。恥ずかしいよー。うがー。
うん、でも、実を言うとちょっと考えることがあったんだ。コーヒーを飲みながら、ここ数日、私が悩んでいたことや考えていたことをすっかりモルガンに話した。そして、美しい壮大な景色を見て、心が軽くなったことも。話し終わると、モルガンは少し涙を浮かべていた。
「僕はこんな美しい話を聞いたことがないよ。」
モルガンはとてもピュアで繊細な人だ。私のこんな話で、そんなふうに感動してしまうなんて。でもね、私、モルガンにお話してよかったと思うんだ。だって、モルガンに話したら、もっと気分が軽くなったの。
ねぇ、モルガン。最後に一つあなたの意見を聞かせて。
価値観が同じってどんなことなの?"It's not what you like. I think it's how do you like... or why do you like."
という答えが、すぐに返ってきた。しばらく前まで、私は価値観が同じことって、趣味が合うこととか、好きなものが同じことだって考えていたけれど、それはなんだか違うかなって、旅をし始めてから気がついた。でも、じゃあ、一体どんなことが価値観が同じなのかってことについては、解答を得られないままだった。
そうか。価値観って、同じであることよりもお互いを尊重し合えることが大事なんだね。同じであることと、尊重し合えることっていうのは、同じことなのかな。私と価値観が同じ人なんて、出てくるかな。出てきたら、私、どうしたらいいのかな。
「今、答えを探そうとしてはダメだよ。ゆっくり、考えるんだ。今、ノリコが一番大事に考えていることは何かな?」
旅を続けることだよ。旅をしながら、書きつづけることだよ。
新しいことを見たり経験したり、いろんな人と出会って、いろんなことを学ぶんだ。経験したいんだ。自分がやりたかったこと、全部。「そうだよ。だから、今はそのことだけを考えていればいいんだよ。」
そうか。
なんかわかったよ、モルガン。本当はモルガン、神様なんでしょう。モルガンは吹き出した。私も吹き出した。
そして、モルガンはそろそろ帰ると言った。再び、モルガンと再会することを誓って、私達はサヨナラした。
ありがとう、モルガン。
私、なんだか、前に進んだような気がするよ。