7月(後編)
30日 湖畔で哲学するの巻
昨日は宿にこもりきりだった。だから、今日は散歩に出よう。美しいWanakaの湖畔をずっと歩いてみよう。 いいお天気だった。宿を出てしばらくすると、大きな湖に行きあたる。腹ごしらえを済ませた私は、何枚か上着を着込んで外へ出た。うーん、冷たい空気。スキーが出来るくらいなんだもんなぁ。寒いはずだよ。
湖には、鴨達が空から、勢いよく水しぶきをあげて水の上をスライドしている。湖の水は澄んでいて、鴨が泳いでいる影が、湖の底でゆらゆらしているのが見える。キラキラ光る水面を眺め、湖の向こうの山を眺める。山の頂上から少し低いところで、白い雲が横にたなびいていた。さて、歩こうか。
てくてく湖畔を歩き始める。辺りは誰もいない。静かだ。鳥の声さえ聞こえない。私が足を踏みしめるたびに、枯れ木がパキッと割れる音がする。目の前に、私の息が白くあがる。私、どこまで行くのかな。特に目的地はない。ずっとずっと歩きつづけると、どこへ行くんだろう。この湖を一周してみると、どれくらい時間がかかるのかな。そんなことを考えながら歩いていると、背後から背の高い男性が通り過ぎて行った。
「あ、あの。この湖を一周したとしたら、どれくらいかかるんですか?」
男性が振り返った。そして、くすっと笑うと、
「さぁ?3日間くらいかなぁ?この湖は、ずっとずっと向こうまで続いているんだよ。」
ありゃりゃ。恥ずかしい。そんなに大きな湖だったのか。まぁ、いいや。気持ちがいいから、歩きつづけよう。私は歩きつづけた。大きな木の影で日が当たらない土に、霜がはっている。本当に、寒いんだなぁ。
かなり歩いたところで、湖沿いにベンチを見つけた。日が当たっていて、気持ちよさそうだ。私はそこへ腰を下ろした。目の前の湖に、空と山が逆さまになって映っている。きれいだなぁ。静かだなぁ。私は大きく伸びをして、その景色を見つめた。周囲に人はおらず、背後の道路の向こうには民家が立ち並んでいるけれど、やはり静かだ。私は湖に映る山の姿を見ながら、なんで私は旅をしているのかな、と考えた。そして、自分の夢を考えた。夢、将来、伴侶。めぐる思いは尽きない。
あなたの夢ってなんですか?と聞かれたら、私は即座に答えることが出来る。何かを書きつづけること。旅に出る前は、何が書きたいのか、言葉に出来なかった。でも、旅を続けるうちに、私の本当に書きたいことや求めていることがクリアになっていった。自分の夢をたずねられて、答えられないというのは哀しい。夢がなければいけないというわけではない。ただ、私は、夢を叶えるということを忘れて、日々のルーティンにすっかり身をおいて、些細な不安に脅かされることもなく、歳を取りつづけていく人生を送りたくはなかったのだ。
「私も若い頃は、やろうと思っていたのよ。」
こんな言葉を若い世代に言うような大人にはなりたくなかった。同じように、夢を叶えられなかったとしても、「やってみた。でも失敗した。」と言ったほうがカッコイイ。そうだ。私は書くために旅をしているんだ。それがどんなことよりも一番大事なことなんだ。いつか、満ち足りた気持ちで自分の人生を振り返りたいもの。でも、満足な人生とわがままな人生ってどう違うんだろう。わがままな人生でも、同じように満ち足りた気持ちになるんじゃないかな。私はわがままだったりしていないかな。わがままっていうのは、欲しいがままに生きているってことかな。だとしたら、そこに成長はないということか。同じ満ち足りた人生でも、成長出来た人と出来なかった人で、わがままだったかそうでなかったかがわかってしまうのかもしれないな。
私が人生でいろいろと学んできたことを、いつか自分の子供に伝えたいなぁ。ああ、そうだ。私はいつか、母親にもなりたいんだなぁ。ちょっと待て。母親になるってことは、父親が必要だってことだぞ。私の子供の父親になる人は、やっぱり私の将来のパートナーとなってもらいたいものだなぁ。でも、私のライフパートナーは、私にとって完璧じゃないと困るなぁ。特に結婚したいとかって気持ちはないから、完璧な人が見つからなかったら、結婚なんかしなくていいや(お父さんごめんなさい)。一生独身で、一生旅人っていうのもいいな。うん。そしていつか、無人島に自給自足で暮らすんだ。いや、無人島じゃなくてもいいな。人里離れた森の中で、家畜と野菜を育てながら暮らすんだ。でも、無人島には行ってみたいんだ。誰かと結婚することがあったら、ハネムーンは無人島と昔から決めている。無人島で、テントを張ってパートナーと一緒に過ごすんだ。協力しなくちゃ生き抜けないし、初めての二人の共同作業が、無人島での生活だなんて、素敵だもん。
私の思考は、ついに夢のまた夢にまで及び、収拾がつかなくなって、止まった。
空に浮かぶ雲の形が、先ほどとずいぶん変わっていた。
ずいぶん、長い時間ここにいたんだなぁ。そろそろ帰ろう。その夜、私はビールとワインを買って帰って、のぞみさんと深夜遅くまで飲んで酔っ払った。
28日 ニュージーランドから日本のあなたへ
Wanakaへの道のりの途中、突然辺りが雪景色になった。 私はどんどん北ヘ向かっているところだった。まっすぐにのびた道路。その向こうに連なる雪山。そして、両脇には、うっすらと雪が積もった牧場。心を奪われる美しさだ。私は車を停めて、外へ飛び出した。空気が冷たすぎて、息をすると空気が体の中に吸収されていくのがわかる。耳をそばだてる。何一つ音のない世界。空気も音も澄み渡った世界がそこにあった。数枚の写真を撮り、車に戻った。走っている間も、外の景色はどんどん変化していった。そのどの景色も美しく、感動で胸がいっぱいになる。
途中でお腹が空いてしまった。この辺りで店など見つかるだろうか。そもそも民家すら見つけるのが難しいというのに。
そんなことを考えながら運転していると、Atholの町で『HOME MADE』という看板を目にする。どうも私は昔から、HOME MADEと"田舎風"には弱い。ついつい興味が湧いてしまうのだ。
木造の店内には、薪ストーブが薪をぱちぱち鳴らしていた。角のテーブルには、若い男性の二人組みがこちらを見ている。キッチンには、中年のおばさんが、暇そうにコーヒーを飲んでいた。私はおばさんと軽く世間話をした後、フィッシュ&チップスとコーヒーを注文した。全部で6.20ドル(約450円程度)。実に安いランチである。これでも、貧乏な旅人にはなかなかの贅沢なのである。
腹ごしらえも出来たので、そろそろ出発することにした。
Wanakaは、クィーンズタウンの先にある。クィーンズタウンがどんな街かは知らないけれど、ずいぶんと大きくて、英国調だということは聞いていた。だから、今回はクィーンズタウンには寄らずに、Wanakaへ直行することにしていた。大きな街は嫌いだ。しかし、クィーンズタウンが美しい街だというのは、認めざるを得なかった。シティセンターまでは行かなかったが、クィーンズタウン周辺の雪山と湖の景色は、絵葉書のような光景だった。キラキラと光る水面に大きな雪山、そして青い空。時間さえあったら、いつまでもその景色を眺めていたことだろう。
しばらくすると、標高が高くなり、しばし道路状態が悪くなってきた。
間違っても、ブレーキを踏みながらハンドルなんか切ってはならない。と、気をつけているにも関わらず、車がつるーっとすべってしまった!!ややや!ここで慌ててブレーキを踏んではいけない。ハンドルを切る。車が反対にお尻をふる。そこでまた逆にハンドルを切り、カウンタを当てる。人が見てる。だからこそ、かっこ悪いところは見せられない!!私は左右にカウンタをあて、なんとかその場が凌げてしまった。すごい、私!そしらぬ顔をして、道を下る私。しかし、その後、後続車は妙に私との車間を空けていた。
ようやくWanakaに到着した。Wanakaは大きな湖と雪山が美しい、スキーで有名な場所である。小さな街なのに、やけに人が多いし、店もおしゃれだ。道行く若者はスキーヤー。それも、チャラチャラスキーヤーじゃなくて、ガツガツスキーヤーだ。男も女も、顔に『スキー大好き!!』って書いてある。スノーボーダーも多いようだ。今まで見た街の中で、一番ファッションセンスがいいかもしれない。それに、日本人が多い。
前回、Invercargillで会ったゆかりさんのお勧めするバックパッカースを探し当て、2泊の手続きを済ませる。なんだか、アットホームな感じのバックパッカースだ。宿には、たくさんの人が宿泊していた。どうやら私はギリギリセーフで宿に泊まれたようだった。後からたずねてきたバックパッカーの人やかかってきた電話を、おじさんは丁重に断わっていたから。夜も、夕飯時には、狭いキッチンに人がごった返していた。うーん、コンロのとりあいだなぁ、これは。
私はピーク時に料理をするのはやめることにした。
なんとなくくつろいでいると、日本人の女性二人組と一人の女性と話すことになった。二人組みの女の子達は、幼馴染の二人でやすこさんとキヌさんという。一人で宿泊している女の子の名前はのぞみさん。皆、似たような年頃だ。やすこさんとキヌさんはなかなかいいコンビで、おっとりしているようで笑いのつぼを知っているキヌさん(美人)などは、さすがに関西の血が流れているな、と思わせた。のぞみさんは、スキー命人間。スキーのために働き、スキーのために生きている!という人だ。体が小さいくせに、何気にパワフルな人だった。皆、寝静まってしまった頃、私は外の空気を吸いに表へ出た。空を見上げる。
あ、あれれれれ!!!???夕方には、山際でまん丸のお月様が出ていたはずなのに、なんだかお月様の右上がきれいに欠けてるぞー?辺りに雲は見えない。じゃ、なんだ、あれか?げ、げ、げ、月食ってやつかーーーっ!!!
生まれて初めての月食。誰かに見せたくて、すぐに建物の中へ入る。でも...みんな寝静まってて、誰もいない。ちょっと、寂しい。また外へ出る。やっぱり、月食だ。あ、中の廊下を誰かが通ってる!捕まえなくちゃ!!
「ちょっと!ちょっと!月が!月が!!」
新婚でここに泊まっているだんなさんだった。慌てて外へ出る。
「そうだ。今日は月食の日だったんだ。深夜にはピークを迎えるってテレビでやってたよ。」
そ、そうだったのかー。テレビなんか見ないから、知らなかったよー。でも、偶然に発見できてよかったよー。そこで、私はひらめいた。今、ニュージーランドでも見えてるってことは、日本でも見えてるんじゃない?南半球と北半球じゃどんなふうに違うのかなー。
さっそく、私は日本に電話をした。
「今、月食なんだよ。外見てよ。ほら、月食月食!!」
「あー、ほんとだー。左下が欠けてる。」
なに?左下?そーかーーー。南半球で右上が欠けているってことは、北半球じゃあ、左下が欠けているように見えるんだー。なんだか同じ月食を見ているはずなのに、欠けている部分が違うなんて地球の不思議。。こんなふうに電話をしながら、どんなに離れていたって、同じ光景を見ることもできるんだ。私がどこにいたって、ここは地球なんだもん。ほら、私はここにいるよ!って叫びたくなる。
もしかしたら、月に反射して私の声が日本へも届くかもしれないじゃない。聞こえなくても、誰かが私を思い出してくれたりするかもしれない。
ね、あなたは私を思い出してくれましたか?
27日 旅人の憩い
ダニーデンを立ち去る前に、First Churchという大きな教会へ立ち寄ることにした。サイモンが教会を見学するなら、と勧めてくれたところだ。 教会へ行く道すがら、街の雰囲気を楽しむ。ダニーデンは学生の街だ。学生が立ち寄りそうなCDショップやCafeが立ち並んでいる。ダニーデンの空はグレイ。道行く人は皆、鼻の頭を赤くして歩いている。うー、寒い。
First Churchは、こげ茶色のレンガで造られたクラッシク調の教会だ。教会の玄関は開かれていて、中に入ると、ステンドグラスの影が美しい教壇が目に入った。誰もいない朝の教会。なぜ、教会は厳かな雰囲気なのであろう。どのようにして、人はこの厳かな気持ちを知ったのであろう。どうして、神様がいる場所というのは、このように厳かな雰囲気がしっくりくるのだろう。
私は教壇の前に腰をかけ、教会内を見まわした。左右には、キリストの生誕から再来までが、ステンドガラスで語られている。正面を見る。クリスチャンでない私には、神様のことを考えるとき、どこを見つめたらいいのかわからない。冷たい風が外で唸っている。なんだか、誰もいない放課後の体育館を思い出すなぁ。
このような場所に一人で立ち寄ったことは今までなかった。
私も神様に話しかけてみようかな。今まで無事に旅が出来ていること、人々との出会い、私を幸せな気持ちしてくれる全ての事柄に対して、感謝がしたい。神様に感謝の祈りを捧げて、ついでにいろんな人達にも心の中で感謝して、これから起こる幸せなことにも感謝して、教会を後にした。とっても満ち足りた気分。思うに、教会って許しを乞うところではなくて、感謝を捧げるところなんじゃないかなー。キリスト教徒じゃないからわからないけど。車の中で、地図をチェックした後、私は再びルート1号を南に走り始めた。今日の目的地はInvercargill。地図で見ると、小さな町のようだし、南島の最南に近いので、もしかしたら面白いことがあるかもしれないと思ったのだ。
数時間後、Invercargillに到着した私は、インフォメーションセンターを探した。この町は思ったより大きい。人は少ないのが、土地は広く使っているという感じだろうか。一つ一つの店は無駄にスペースが広い。インフォメーションセンターで、バックパッカースの場所を確認して、そこへ直行した。白く高い塀に囲まれた一軒家が、今夜のバックパッカースだ。芝の庭が青々としていて美しい。重いドアを開けて、オフィスを探した。あれ?オフィスらしきものがないな。
リビングと思われる部屋から、ちょっとぽっちゃりした若い女の子が現れた。
「今日、ここへ泊まりたいの?」
ええ。部屋は空いていますか?空いているわよ、と彼女はにっこり笑った。笑顔のかわいい彼女は、カナダ人のクリスティン。来年は交換留学で日本へ行く予定だという。
簡単な手続きの後、リビングを覗く。ブルーグレーを基調にした小ぶりのリビングルームには暖炉があり、数人の若者がソファでくつろいでいた。うーん、このバックパッカース、すごいきれいだなぁ。キッチンも白を基調にしていて、清潔で使いやすい。これで17ドルとは安いものだ。同じ金額でも、それぞれのバックパッカースはまるでそのレベルが違うものだ。今回は、特上だ。
案内された部屋には清潔なシャワーとトイレがあり、室内に宿泊する客は、すべて女性。ベッドの前で腰を掛けて、熱心に地図を見ている日本人の女の子がいる。
「こんにちわ」
話しかけると、こんにちわと明るく答えてくれた。軽く世間話をしているうちに、おっとりそうに見える彼女は、実はとてもひょうきんで、素直であることがわかる。彼女の名前はゆかり。北海道出身だ。聞けば、Wellingtonで語学学校に通い、その後は旅をして回っているという。Takakaにもいったんです、という彼女に、じゃあ、カズって人に会わなかった?と冗談で聞いてみる。
「カズっていう名前はたくさんいますからねー。実はTakakaにカズっていう名前の友達がいるんですよ。」
Takakaは小さな町だ。日本人は数えるほどしかいないはずだ。
「彼、東北出身なんです。」
うーん、ひょっとして...?まさかとは思うけれど、彼の名字を尋ねてみる。
うわーーー!やっぱりあのカズだーーーーーっ!!!カズったら、こんなふうにあなたの知らないところで、知らない者同士が繋がっていてよ。
私達は一気に親しくなった。
今日の夕飯は一緒に料理してシェアしようということになった。一人分だけ作るより、二人分の方が安上がりである。食材を買いに行って、さっそく料理を始めた。
ゆかりさんは、あまり料理が得意でないらしい。「あの、のりこさんに言われたこと、全部やりますから。」
わかった。じゃあ、パセリをみじん切りにしておいて。
すると彼女はパセリをブチブチとちぎり始めた。おいおい、それじゃあみじん切りにはならんだろう。パセリのみじん切りの仕方を教えて、私はチキンの脂ライスを作ることにした。これは、カルメンとの北島の旅のとき、オークランドで食べた鶏飯で、今夜、私はそれを再現しようと試みたのだ。どうやって作るの?という問いかけに、カルメンはこう答えたのだ。
「鶏の脂を使うのよ」
でも、鶏の脂を手に入れるのはあまり簡単ではない。その代わりにチキンスープを使えば、上手くいくと聞いていたので、私は『リアルチキン』(スープ状ストック)を購入していたのだ。この日のために、これを買ったんだよーーー。リアルチキンを鍋に入れ、米を入れる。後はグツグツ炊くだけだ。かーんたーんじゃーん。後でついでにパセリも入れちゃお。オイルサーディンをトマトとパセリで調理したものを簡単に料理し、豚肉を蒸した(ほとんどゆでた)ものに、中華醤油とねぎとごま油を混ぜたものをひとかけして、完了。ご飯はちょっと(かなり)固めだけど、まぁいいや。
いっただっきまーす。
私の挑戦はどうだったであろうか。鶏の脂ライス...この日のために、あの高い『リアルチキン』を買ったんだぜーーー。
結果は失敗だった。ぜんぜん味が違う。私が食べたあのご飯は、もっと脂でギトギトしていて匂いも鶏って感じで、すっごく美味しかったもん。しかし、ゆかりさんは違った。
「お、美味しい...」
彼女は一口食べるたびに、こうつぶやいて、感激している。聞けば、こういう料理は久しぶりなのだそうだ。彼女は、うっすらと涙さえ浮かべ、味覚の波に身を預けている。自分の料理をこんなに褒められたことはなかったので、とても嬉しかった。
その後、リビングに集まった各国の若者達と談笑した。他にも数人の日本人がいて、なんと、その日本人とも共通の友人がいることがわかった。ニュージーランドって本当に小さな国である。ベジタリアンのドイツ人、訛りのきついスコットランド人、ちょっと人見知りなオランダ人...今夜は実に国際色豊かである。
お互いの国の話をしたり、ベジタリアンの思想や私がベジタリアンに対して思うことなど、意見交換したり、実に旅人同士の交流を深めた夜だった。
明日の朝は早いから、とゆかりさんは一足先にベッドへ行ってしまった。夜更かしの私もご前1時には眠りについた。
翌日、ゆかりさんは寝坊をし、乗る予定の電車を逃してしまったらしい。
慌ててバスを捕まえに彼女が宿を去った後、ようやく私は目が覚めた。さて、今日はどこへ行こうかな。
晴れ渡った高い空を見上げ、私はWanakaへ行くことに決めた。
26日 ダニーデンのネバーランド
サイモンは私がステイしている家族の長男で、歯科医学を学んでいる。彼のいる場所はダニーデン。最近、フラットを変えたという。 「今度のフラットは以前よりもっと広くて、景色もよくて、学校から近いんだ。」
とマイクが言っていたっけ。
私はChristchurchからDunedin(ダニーデン)までの景色は退屈だ。ただただもう、だだっぴろい大地が広がるだけ。右手に雪山を見ることが出来るのかもしれないが、わき見運転はご法度だ。空はちょっぴり雨模様。だけど、雲の切れ間から青空が見える。これは..。思ったとおりだった、目の前におーきな虹が出現した。しかも2重の虹だ!まるでこれから先はハッピーランドだよって言っているみたい。きっと、楽しいことがあるに違いない。うーん、気分がいい。
虹をくぐると、その先は晴れだった。目の前を雲の影が移動していく。
Christchurchがだだっぴろい、平らな景色なのに比べて、ダニーデンは坂だらけだ。古めかしい建物がひしめき合って建っている。何気ないビルもクラッシック調で、とても異国的情緒に溢れている。石畳の道路の向こうに、一際古い、背の低い建物がある。そこに、この街のインフォメーションセンターがある。私はインフォメーションセンターの場所だけ確認して、素通りした。次に、サイモンの住所を確認する。うーん、ロンドンストリートかー。げっ。すっげー坂じゃん!あんなところ登りたくないなぁ...。でも、とりあえず場所は確認しなくちゃ。ロンドンストリートは長い長い坂だ。そこを登って、右折してUターンをして左折して、もと来た道を戻る。なるほど、サイモンのお家はこのへんなんだな。わかった。じゃあ、このへんの路上駐車場に車を停めて、連絡しよう。
3時間分のコインを入れて、フードコート(レストラン街)に入る。電話を探すが見当たらない。アイスクリーム屋のお兄さんに電話の場所を聞く。
「あそこだよ。ほら、あそこ。この指の向こう。」
あー、あったあった。どうもありがとう。
柱にくっついている電話まで歩いてい行く。ややや!
遠くで見た時はわからなかったけど、なんだよ、これ。すっげー高い位置に電話がついてるじゃん!こんなのどうやってボタンを見ればいいんだよーーー。自分の背の低さが哀しかった。そもそもこの国では、私には到底届きません、というシャワーの蛇口、棚、その他にもいろいろと私を困らせる高さがある。私がステイしている家の電子レンジでさえ、私にはちょっとキツイ位置にある。
サイモンに電話をする。サイモンは待ちかねていたかのように電話を取り、今どこにいるの?と聞いてくる。ちなみに、彼の英語はとても早い。外人に合わせてゆっくり話すという概念がまるでないのだ。フルセンテンス聞き取るのに苦労するときがある。
とにかくフラットにおいでよ、というので、歩いてフラットまで行くことにした。サイモンはフラットの前で待っていてくれた。彼の住むフラットは、一軒家。12人の生徒がここで暮らしている。ちょっと暗い玄関から上へ上がる。階段の隅には綿ボコリがぷかぷかしている。まるで黒い雲海のようだ。階段は四角く旋回していて、中央は吹き抜けになっている。...寒いよー。吹き抜けには、誰かの洗濯物が干されている。どうやって干したんだろう?階段には何本もの電話回線が散らばっている。各線は各部屋から伸びていて、一台の電話に繋がっている。電話を使いたい人は、自分の回線に繋ぎ直して使用するというシステムのようだ。
「ここがリビングルームだよ。」
といって通された部屋は、改装中の部屋か、あるいは廃屋にしか見えなかった。テーブルの代わりに、板が床に置かれている。ソファはどこかのゴミ捨て場から拾ってきたに違いない。4つあるソファはすべて形が違う。しいて言えば、大きなガスストーブの存在が、ここに人が生息していることを示しているか。あ、テレビもある。しかし、やはり床には黒い綿ボコリがプカプカしている。まるで、ネバーランドに来てしまったかのようだ。
サイモンが自分の部屋に通してくれた。サイモンの部屋は、このフラットとは別世界。彼の好きなU2のポスターが壁いっぱいに貼ってあり、コンパクトでかっこいいステレオ、膨大な数のCD、広くて暖かそうなベッド、ストーブが整然と置かれている。更に、窓際には小さなソファが置ける部屋まである。ひじょうに片付いていて、日本の私の部屋など見せたら即死してしまうだろうなと思った。
「今夜、僕は彼女の家に泊まるから、のりこはここで寝ていいからね。」
うわー、ありがとう、サイモン!サイモンの彼女は、日本語を操る才女らしい。彼女は9時くらいに現れるだろうから、それまで街を案内してあげるよ、と言われた。今から彼女に会うのが楽しみだ。でも、街も楽しみ!!
「車はどこに停めたの?道路?」
うん。3時間は停められるの。オーケー、とサイモンが言った。じゃあ、僕の車で案内するよ...と言った舌の根も乾かないうちに、
「のりこ!!早く、車を動かさなくちゃ!!早く!!」
えー?一体何事だーーー?
「雪が来る!ほら、あの丘の向こうを見て。雪が来る〜!」
確かに、窓から見える街の向こうには、黒い怪しい雲と雪がどんどんこちらにやってくるのが見える。
私達は急いで車まで走った。ひー、寒いーーー。Dunedinは寒いーーーっ!!!
車に乗って、サイモンのフラットの駐車場まで移動する。私は知っていた。その途中に、あの『世界一の坂』があることを。運が良ければ一時停止することもないだろう。運が悪ければ...。世界一勾配の急な坂を、私の車が私の運転で上り始めた。
もう、2速でもギリギリだよ。一速だよ、一速!運の悪いことに、私の目の前には2台の車がいる。こいつらがうすのろだったら、私は一時停止しなければならない。こいつらはうすのろだった。
バックミラーを見る。ああ、後ろからBMWがやってくる。まじかー。来るならなんでもっと安い車が来ないんだよーーー。停まりたくない、停まりたくない、停まりたくないーーー!!!
私はクラッチを切って、ブレーキを踏んだ。サイモンが「落ち着いて!」と言って、サイドブレーキを引く。
「いいかー。息を吸ってー。落ち着いてーーー。」
GO!!
恐らく、ホイルスピンしていたと思う。私の車はエンストすること無く発進した。坂の頂上を右折して、もう一つの坂を下る。はぁ、これが再び坂を上がるんじゃなくてよかった。今の運転で、どれだけクラッチ減ったかなぁー。Dunedinでのメインイベントは終わった。
私にとっては終わったようなものだった。世界一の急な坂で、坂道発進が出来たんだ。もう思い残すことはないよ。車を駐車場に停めて、サイモンと私は大学まで徒歩で行くことにした。霙(みぞれ)が降り始めた。うー、寒い。
校舎はとても暖かかった。放課後なので、生徒でごった返す階段は、活気に満ちている。みんな勉強しているんだなぁ。勉学に励む若者の顔はピリリとしている。学生の波の中をかき分けて、資料室へ案内される。
先にも述べたとおり、彼は医学部に所属している。医学部の資料室。つまり、なんだ、医学に関するサンプルが、山のように飾られているんだな。私はもともと人体や脳にとても興味があるので、これらのサンプルはひじょうに私の好奇心を刺激した。ホルマリン漬けの足首、顔の皮、手のひら...ひじょうに興味深い。特に、人の指は奇跡だ。指だけの皮と肉を巧妙に切り離して、形状がどのようになっているのかを見せている。この小さなパートに、どれだけの神経が通っているというのか。こんなに完璧なシステムを備えた人体は、やっぱり神様が作ったんじゃないかなー。
以前から私が脳に興味があるのことを知っているサイモンは、私にスライスされた脳をプレート状の入れ物にホルマリン漬けしたものを渡してくれた。しばし、私は興奮して話しまくる。あー、医学用語の英語を知らないから、自分の伝えたいことが言えない。もどかしい。私は松果体のサンプルを手にして、自分の興味について熱く語ってしまった。サイモンはその松果体の部分も一時勉強したことがあるとのこと。素晴らしい。私の人体に対する熱い興味が伝わったのか、サイモンは"秘密の部屋"へ案内する、と言い出した。その部屋は、鍵を持っているものしか入れない。鍵を開けた。ドアのノブを回したところで、サイモンが振り返った。
「本当に大丈夫?」
大丈夫だよ。ぜんぜん平気。
ドアを開けた。ツンとした薬品の匂いが鼻につく。
目の前にシーツをかけられた物体が、安置ベッド(?)の上に乗せられていた。サイモンがシーツを剥ぎ取る。ジャジャーン。
半身が切り取られた死体がそこに横たわっていた。見れば老人だ。
その他にも灰色の棚に、手首や足がゴロゴロと乱雑に置かれていた。どれも本物だ。特別な薬品につけてあるので、腐敗せずに保存できるようになっている。それにしても、大売出しみたいに置かれているじゃないのー。どれも興味深いものばかりだった。
サイモンがもう出ようという。そうだよね。そもそも部外者は立入禁止なんだしさ。人体の奇跡に感激したまま、外へ出る。さ、さぶい。
外は冷たい雨に変わっていた。夜には雪になるのかな。フラットに戻って、サイモンの彼女、アナを待った。
サイモンはネバーランドのリビングルームでテレビを見ている。私はPCに向かって情報をまとめていた。ガチャッ。
いきなりドアが開いたと思うと、小柄でショートカットの女の子が、驚いたように私を見下ろした。
「アー、ハジメマシテ、ワタシノナマエハ、Anneデス。あの、サイモンサンハ ドコニアリマスカ?」
サイモンさんはリビングルームにあります。
「すごい」
.......まぁいいか。
しばらくして、アナとサイモンと私は『東京』という日本食レストランで食事を済ませたあと、お別れした。
一人の部屋、一人のベッド。もしかして、ニュージーランドに来て初めてじゃないかなー。本当に一人になるの。私はベッドに腰掛け、キーボードをカチャカチャと叩きながら、再び人体の不思議を思った。
霙(みぞれ)が窓を叩く。Dunedinは寒いです。
22日 豊かさとガレージセール
毎週土曜日は、プリシラのガレージセールデイであった。
その日も、プリシラはガレージセールへ行くために、地図とプレートを用意し、準備には余念がなかった。ガレージセールとは、ようはフリーマーケットの個人版みたいなもので、各家のガレージで、不必要なものを売りさばくのである。私はこうして、物を大事にリサイクルする習慣に大賛成だ。日本は物を大事にしなさすぎる。何年かするとその物の価値がなくなってしまう。車や家、洋服や鍋。すべて新しくなければ価値がない。豊かさを勘違いしている故か。そういや、女房も古くなると価値がないなどというふとどき者もいるな。あれは古くなればなるほど価値があがるんだよ。わかってないな。とにかく、私とプリシラは小雨の降る中、ガレージセールへと出発した。
プリシラは小腹が空いたときのために、にんじんスティックを用意していた。素晴らしい。私も登山へ行くときに、にんじんスティックを持って行ったものだ。登山をしていると野菜が不足しがちになる。にんじんは大嫌いだったけど、今は大好きだ。一軒目。
プリシラの目が輝いている。プリシラは、木製の椅子と物干しを購入。すごい決断の早さだ。私の探している、小型リュックは見つからない。バッグっていうのは、なかなか見つからないのかなぁ?二軒目。
めぼしいものは見つからず。三軒目。
プリシラ、ガラス製の大きなボールを購入。四軒目、五軒目、六軒目、七軒目、八軒目...プリシラの目利きは素晴らしい。それに比べ、私はダメだ。私の探しているちょうどよい大きさのバッグはないし、あってもお子様向けだったりする。こんなの下げて外を歩くわけにはいかない。
散々ガレージセールを回ったおかげで、大体の街の構成がわかってきた。よし、次にChristchurchに戻るときには、もう迷わないぞ。私は自信を持った。
実はこの日、私はちょっとアメリカまで行くことになっていた。
ガレージセールから戻って、空港へ向かった。外はかなり激しい雨になっていた。洪水になるかもしれないな。ニュージーランドでは洪水は珍しくないんだ。だって、よく車が濁流の中を流れているニュースをテレビでやっているもの。数日後、帰ってくるとChristchurchは晴天だった。朝が早いので、空気が清々しい。
しばらくChristcurchに滞在してから、ダニーデンに出発する予定だ。ダニーデンには、ホストファミリーの長男が大学に通っている。そこでは、彼のフラットにやっかいになる予定だ。ダニーデンには、世界一急な坂がある。そんなところで坂道発進なんかしたくないな。ところで、プリシラのお家には、ボクサー犬が子供のようにかわいがられている。名前は、モンティ。こてっちゃんの宣伝に出ている俳優そっくりな顔の犬だ。私は心の中で彼を、フーチーと呼んでいた。なんでかはわからない。彼の名前はモンティよりも、フーチーのほうが合っているように思われる。周囲に誰もいないことを確認してから、フーチーと呼ぶ。すると彼は「なぁに?」と振り返る。かわいい犬だ。彼はもう大きいくせに、私の指をしゃぶるのが好きだ。一緒に遊んでいると、腕から手の先まで彼のヨダレだらけだ。まるで私は畑正憲だ。私が家にいると、彼は私から片時も離れない。私がソファに座っていても、私の足の甲を枕にして眠っている。
猫にも人気がある私だが、犬も捨てたもんじゃない。
でもなんで、動物にだけ、こんなに人気があるんだろう...?翌日、プリシラが私にハイキングに行かない?と提案してきた。行くよーーー。本当は登山がいいけど、装備がないから、歩けるんだったらハイキングでもいいよーーー。うれしーーーっ!!!
私達は果物を持って、車で40分ほど行った山へとドライブだ。かつての、Nickとのハイキングを思い出すが、今日はNickじゃなくて、赤毛の美人のプリシラだよー。
今、私達は静かな山の中を歩いている。プリシラはりんごを齧りながら、私の話に耳を傾けていた。私は一生懸命、これからの自分について語っていた。あまり熱く語ると景色を見損ねちゃうな。ふと足を止めて、目の前に広がる景色を眺めた。太陽の光が眩しい。手をかざして、光りの向こうをのぞく。白く、雪に覆われたアルプスのような山が青く輝いていた。心を奪われる美しさだ。壮大な自然の景色を見た時、人は必ず何かしらの感激を受けるだろう。自然は美しい、と覚えさせられているからじゃない。見て、美しい、と感じてしまうのだ。例えば、太古の人々はどうだろう?アフリカの雪など降ったことのない土地に住んでいる人々は?やはり、彼らもまた同じように心を打たれるのではないかな。
「ニカウさんもこれを見たら、感激するよね。」
という問いかけに、そうね、とプリシラは笑いながら答えてくれた。
私達は、山の反対側まで歩いて、青く澄んだ湖畔の景色を堪能した後、帰路へついた。
美しい景色のニュージーランド。
ここに住む人々でさえ、自然の美を追い求めてる。人はなぜそれを自ら壊してきたんだろう?
豊かさを得るためだというのなら、自然から与えられる豊かさは一体なんだというのだろう?私は次の旅へ進むことにした。