10月(後編)
31日 trick or treat
ビクターはカーキチだ。カーキチとは、車狂いのことだ。ビクターは、F1グランプリのフェラーリのエンジン音のCDをウォークマンで愛聴するほど、車が好きな人なのだ。車が好きというよりは、車を運転するときの操縦感やスピードに対するスリルのようなものにとりつかれているといった方が近い。 私達は、高速道路をそれこそ縫うように走っていた。ベンツもフォードもごぼう抜きだ。さっきまで前にいた車が、今はずっと後ろを走っている。私は、内心ドキドキしながらビクターの運転に身を任せていた。
そう。私達はものすごく急いでいるのだ。
キャンプ場を引き上げて、偶然見つけたNative Americanの暮らしぶりを伝える自然公園を見つけてしまい、そこで長い時間を過ごしすぎてしまった。
「僕はいつもママのパーティに遅れてしまうんだ。」
ビクターは本気で焦っていた。約束の時間は6時半。時計は刻々と約束の時間に近づいている。サンフランシスコ中心部の高速道路は混雑していた。辺りのビルにネオンがともり始める。遅くても7時半にはビクターのママのお家に到着していなければなるまい。だけど、それで安心できるというわけではない。私達にはまだやるべきことがあった。それは、ハロウィーン用のカボチャのランプを作ることだった。
大急ぎでビクターの下宿に戻り、カボチャを車に積んだ。着替える時間も、シャワーを浴びる時間もない。私達は、汚れた顔と服でパーティに出席しなければならなかった。パーティとはいっても、身内のパーティなのでかしこまる必要はないのだが。あーあ、せめて爪につまった炭を洗いたかったなぁ。
シャツもGパンも靴も、泥と埃にまみれていた。初めて会うというのに、こんなんじゃ私の印象は”小汚いアジア人”ってことになってしまう。まぁ、最初から薄汚れた顔をしているんだから、気にしなくてもいいんだろうけど。
ビクターが、閑静な住宅街の路上に車を停めた。周囲の軒先には、オレンジ色のカボチャランプ達がぼんやりとした光りを放っている。うわぁ、いよいよ本格的ハロウィーンの始まり始まり!って感じだね。どこもかしこも、オレンジと黒の色で溢れているよ。
小さなカボチャランプの並ぶ少し立派なお家の玄関ベルを鳴らした。
「はぁーい。」
明るい声と共に、輝くような笑顔の女性が私達を迎え入れてくれた。頭に魔女のトンガリ帽子をかぶっている。ビクターのママだ!
「初めまして。あなたがnonね?話はいつもビクターから聞いているわ。」
ビクターのママはにっこりと微笑んだ。ちょっと甘えたような口調の、かわいらしい女性だ。その後に、ビクターのママよりもちょっと背の低いおばあちゃんがにこにこしながら立っていた。ビクターのおばあちゃんだ。若くて知的な顔をしている。その向こうに、丸いお月様のような顔をしたおじさんが満面の笑みで立っていた。ビクターのお父さんだ!ビクターのお父さんとママは、とっくの昔に離婚していて、今は友達としてお家を行き来する仲になっている。今日は、お父さんもパーティにお招きになっていたようだ。
それぞれに自己紹介をし、奥の間へ通された。リビングにはグランドピアノが置いてある。そして、壁にはおばあさんが描いたという、立派な水墨画があちこちに飾ってあり、切り取られた異国情緒を醸し出していた。全体的にモダンな造りの上品なお家だ。
ちょっと!ビクターったら、お坊ちゃまだったんじゃないの!まったくもう!私ったら、こんな泥だらけで現れて失礼だったんじゃないかしら。
「いいのいいの。気にしない気にしない。それよりnon、僕達急いでカボチャのランプを作らなくちゃ!!」
そうだった!奥の間でシャンパンなんて飲んでる場合じゃないよ!
私達は急いで中庭にビニールシートを敷くと、大急ぎでカボチャのランプを作り始めた。カボチャの底を丸くくりぬいて、中の種と身をほじくり出す。私は不器用だ。どんなに一生懸命中身をほじくり出しても、ビクターがやるようにすっかりきれいにはならない。
ビクターは、手早く中身を取り出すと、糸鋸のようなもので、目や口をくりぬき始めた。その手さばきは見事で、あっという間に伝統的なカボチャのランプが出来あがった。素晴らしい。それに比べて私はとんでもない薄のろだ。たどたどしく中身をすっかり取り出したとしても、美しいラインの描いた目を切り抜くことなんて、到底出来そうにない。
うーん...どうしたものか...。
だいたい、ハロウィーンのカボチャってお化けって意味があるわけでしょう?だったら、思いっきりお化けっぽく作ればいいんじゃん。だけど、この間のお化け屋敷でも学習したとおり、西洋の恐怖っていうのはちょっと和風と違うんだよね。そうだ、ここは一発、和風の怖さを滲み出したカボチャのランプを作ったらどうだろうか。それだったら、デッサンもきれいなラインもあんまし関係ないしさ。不器用な私にぴったしじゃん!
私は、慎重に目をくりぬき始めた。目の形はタレ目だ。和風お化けと言ったらタレ目と相場が決まってる(ホントか?)。二つともきれいな対の目にしたらつまらない。右目は大きく、左目は小さくしてアンバランスな形にしよう。
不器用に手が震えるのも手伝って、不気味なタレ目の目が出来あがった。
あとは口だ。今まで見たカボチャのランプといえば、口はギザギザなものが多かった。ここは意表を突いて、あんぐりとした欠伸口というのはどうだろうか。どーだー、お前を食ってやるーって感じの大口だ。仕上がった口は、中途半端な大きさで、「食ってやるー」ってよりは、「はぁ〜眠い」って感じで迫力がなかった。ああ、どうして私はこんなに不器用なのだろう。
全体感を見る。
うーん、一言で言えば、"顔が総崩れになった小泣き爺が欠伸をする図"って感じだろうか。...この感性が、大雑把なアメリカ人にわかってもらえるだろうか。「出来たよ!」
と、差し出す私のカボチャランプを見て、ビクターの笑っていた顔が止まった。
「ユニークだね。」
精一杯のお世辞のつもりだろうか。まぁいい。これを外から見えるようにキッチンの窓辺に飾るという。よし、キッチンでも軒下にでも飾ってもらおうじゃないの。さぁさぁカボチャにランプを灯しておくれ。かかってらっしゃい。見てらっしゃい。
ビクターのカボチャにろうそくを灯す。オレンジ色のカボチャがきれいなランプに早変わりだ。美しいカービングのむこうで、ろうそくの炎がゆらゆらしている。すごいね。本物って感じ!
さぁ、お次は私のカボチャにろうそくがともるよ!
ビクターのママが私のカボチャの中に、火をつけたろうそくをいれてくれた。すると、たちまち無骨なカボチャのランプが、息を吹き返したかのように輝き始めた。小さな崩れた目の向こうで、ろうそくの炎がゆらゆらしている。あんぐり開いた口は、どこまでも続くトンネルのように奥深く見える。
すごい!なんだか、ほんとに生きてるお化けみたい!ろうそくが灯って、一層不気味さが増したよ!!
「ま、まぁ、素敵!とっても芸術的なランプだわ!!」
満足な気持ちでいっぱいの私の横で、ビクターのお母さんが慰めるように私の肩を叩いた。え...?ちょっと...これ、私としてはかなりよく出来たと思ってるんですけど...。
「ほ、ほんと!芸術的ね!私は気に入ったわ!」
ビクターのおばあちゃんまでもがその場をとりなすように唐突に声をあげる。...もしかして、これってダメなランプってこと?
私達のランプをキッチンに飾ってすぐに、玄関の呼び鈴が鳴った。
「お菓子をくれないといたずらしちゃうぞー。」
子供達の声だ。
ビクターのママが、急いで私に魔法使いのとんがり帽子を被らせた。仮装をして子供達を出迎えるのだ。玄関を開けると、フランケンシュタインやドラキュラ、アメフトの選手達が小さな手を差し出してきた。私は大きなカゴにいっぱいになったお菓子を彼らに見せると、おずおずとお菓子を取り、自分達の大きな袋にさっとしまった。
「またねー!」
ビクターの家族と私で小さなお化けたち(?)に手を振る。
ふふふ、今、私、本場のハロウィーンをライブで体験しているのね。
あ!私の作ったランプの反応を見るのを忘れたよ。よし、次は必ずランプの感想を聞かせてもらおう。リビングでお酒を飲みながら談笑していると、またもや玄関の呼び鈴が鳴った。
ドアを開けると、小さなシンデレラがお菓子の袋を開けて待っていた。
私は、彼女にお菓子のカゴを差し出すと、一緒に表に出て私の作ったランプを指差した。ねぇ、あのランプ、どう思う?新しいデザインなんだけど。少女が私の手製のランプを見上げた。
「え゙...」
彼女は、確かにそういう表情をした。そして、明らかに忌まわしいものを見るような目つきでランプを見つめた。
ありがとう。あなたのその反応で私は満足だよ。ね、怖いよね、これ。日本の恐怖は万国共通だよね。
...少女は次のお家へと走り去った。おーい、気をつけて行くんだよー。
その後も何度かに渡って、子供達がお菓子をねだりにやってきた。一人で来る子もいれば、たくさんの友達と来る子もいる。女の子はシンデレラが圧倒的に多く、男の子ではフランケンシュタインが目を惹く。あー、そういえば、私も小学校の時に仮装大会でドラキュラ伯爵になったっけなぁ。あの時は、一時的に超ドラキュラマニアになったんだよなぁ。あの時得たドラキュラについての知識は、未だに役立つ時が訪れていない。
子供達の訪問が落ち着く頃、ようやく我々は食卓を囲むことした。オードブルはアーティチョーク。メインディッシュは蟹だ。
私は、アーティチョークの丸茹でなど、食べたこともなければ見たこともない。しかし、私の目の前に置いてある、巨大な松ぼっくりのような物体がアーティチョークなのだという。一体、どうやってこんなものを食べろというのか。サンフランシスコはアーティチョークの特産地だ。新鮮なアーティチョークがいつでも食べられる。しかし、気軽に食べるにはでか過ぎるだろう?どうやってこの松ぼっくりを食べろというの。
「一番外側のアーティチョークを一枚、ちぎってごらんなさい。」
ビクターのママに勧められる。私は言われたとおりに松ぼっくりの一枚を引っこ抜いた。
「前歯ですーっと削りとるように食べるのよ。でも、ほんの一口分くらいね。」
どうやらアーティチョークというものは、固い皮に覆われた内側の果肉(?)の、根元2cmくらいを前歯で削って食べるのが流儀のようだ。しかし、テーブルの向こうでビクターのお父さんが意義を唱える。
「違うぞ。もっと奥まで食べられるぞ!ぐぐぐーっと食べられるところまで削るんだ。」
私はどちらを信じたらいいのでしょうか。お父さんのおっしゃっていることは、スイカは白い皮の部分が見えるまで食べるんだ!という主張に似ているのではないでしょうか
「レディはね、ほんの少し齧る程度に食べるのが上品なのよ。」
と、ビクターのママがウィンクした。そうか、私はレディだったんだ!いやそういうことではなくて。やっぱり、すいかは赤みが残る程度で食べ終わるのが上品なわけですね。私は、ビクターのママに従うことにした。アーティチョークは、濃厚な舌触りでアボガドにも似たまったり感がある。軽くきいた塩味とほろ苦さに、私はすっかり虜になってしまった。
アーティチョークは、外側から引っこ抜いて食べていく。中心部の柔らかい部分に近づくほど、美味しさはクライマックスになっていく。柔らかくなればなるほど、食べられる面積が広がる。
私がアーティチョークを齧る。
「もっと!もっとだ!もっと食えるぞ!」
ビクターのお父さんが騒ぐ。ビクターのママが「だまってらっしゃい」と諌める。どうやらこの二人、いいコンビのようだ。どうして夫婦を止めてしまったんだろう。
アメリカでは、離婚なんて日常茶飯事だ。日本だってそうなりつつある。ただ、アメリカと日本との顕著に違う点は、離婚後の二人の関係にあるのではないだろうか。アメリカでは、よっぽど胸糞悪い別れ方でもしないかぎり、離婚後も一番話のわかる友達として付き合いを続けていく。日本の場合は、気まずくて連絡も滞りがちになるのが通例だ。もちろん、ケース・バイ・ケースなんだろうけど。
離婚をして夫婦としての関係が終わったら、二人の関係はそれですっかり終わったことになるのだろうか。夫婦という関係が終わったとしても、また新しい関係としての付き合いが始まってもいいんじゃないか?一度は誰よりも分かり合えた二人なのに、お互いの人生から排除するような、他人よりも遠い存在になってしまうなんて、なんだかもったいないような気がする。だって、夫婦だったんだから。
夫婦になったのも何かの縁だ。
夫婦でダメだったのだったら、友達としてやっていけばいい。再び恋人同士に戻るのだっていいじゃないか。自分の一番悪いところを直視してくれるのなんて、案外夫婦って関係だけなのかもしれない。逆に、一番よいところがわかっているくせに、なかなか言えないのが夫婦だったりして。恋人同士だってそうだ。別れたからといって、二度と会ってはならないなんてことはない。違う関係でやりなおすことだって出来る。どんな形であれ、お互いが進歩しあえる関係が一番なのだ。どんな関係であれ、二人がマイナスの関係になるのであれば、もう二度と会わなければいい。会わないことで、二人が進歩する関係もあるだろう。プラスを生む関係。これが一番、二人にとって重要なことなのだ。
ビクターのお父さんとお母さんは、テーブル越しに時折目配せなどをしている。でも、二人が夫婦になることは今後ないだろう、とビクターは言う。ちょっと離れた関係が二人にはベストなんだ、と。
そういうのもあるのかなぁ。うん、そういう関係があったっていいよね。私は結婚なんてしたことがないから、夫婦のことなんて本当はわからないんだけど、いろんな形の愛があるんだよね、きっと。
パーティが終わった後、ビクターのお父さんは歩いて帰った。子供達のいない、オレンジ色のカボチャのランプの灯りの中、何度も手を振りながら去って行くお父さんの後ろ姿が、ちょっぴりほろ苦かった。
30日 森と小さな炎と、私
荷物は既に車のトランクに収めた。地図も持った。ビクターが運転席に座った。私は助手席に座った。さぁ、行こう。どこへ行こう。とにかく行こう。緑の森へ。 今日は、ビクターと二人でキャンプに出かける日だった。キャンプ場をどこにするか、ちゃんとは決めていない。とりあえず、東にハンドルを握った。あちらはヨセミテ国立公園などがある山脈地帯だ。静かな森のキャンプ場で、焚き火を囲みながらゆったりと過ごすんだ。
海外に旅に出てから、一度もキャンプをしていなかった。日本にいるときはあれほど野外生活が多かった私なのに。アメリカのキャンプ場は、日本と比べてどんなもんなんだろう。とはいうものの、私は日本のキャンプ場のことは余り知らないので(川の側で野宿することが多かった)、比較することは出来そうにもないんだけど。
私達は東にまっすぐ進んでいた。ビクターは、ヨセミテ公園近くのキャンプ場を目指しているという。
「nonは、きれいなキャンプ場がいいかい?設備の整った...。」
だめ!そんなのはダメなの。キャンプ場にはきれいな水が涌き出ていて、トイレもなくて、シャワーもなくて、なんにもないところが一番好きなんだから。
「わかった。涌き水は無理だな。それと、トイレくらいはあってもいいよね。」
うん。それくらいなら許すよ。
夕暮れまでに、ヨセミテの向こうまで行きたかったのだけど、どうやらとても無理そうだった。私は地図を眺めながら、もう少し手前の、しかも川の傍にあるキャンプ場を目指してみてはどうかと提案してみた。ビクターは、私がそれでいいなら、と言って別の道へハンドルを切った。
高速道路を降りてひたすら一般道を走る。辺りには、アーモンドの木しか見えない。見渡す限りのアーモンドの木。背が低くく、緑の葉が眩しい。枝には、アーモンドがたわわに実っている。小さなトラクターが枝を揺すって実を落としていた。ああ、平和だなー。
しばらく走っていると、八百屋が目に入った。私達は車を停めて、今夜のための野菜を調達することにした。八百屋には、様々な野菜や果物が古い木箱に積まれていた。私はその中から、白い玉ねぎと人参と栗をカゴに入れてレジへ持っていった。ビクターは、ドライフルーツを持ってきた。この辺りで採れたフルーツを、乾燥させて砂糖をまぶしたものだ。私は甘いものが大嫌いだが、砂糖でコーティングされていないバナナチップは大好きだ。サクッとしてて、まったく甘くない。えっ、これがバナナー?という味なのだ。風味はもちろんバナナだけど。
私は、ビクターに負けずに、バナナチップスの詰まった袋をレジへ持っていった。
レジでは、ビクターが栗を手にして眺めていた。
「こりゃ一体なんだ?」
えええー、これは栗だよ、栗。知らないの?栗って英語でなんて言うんだっけ?お、マロンか?マロンマロン!これはマローン!
「...マロン?それ、何?」
八百屋のお兄さんが吹き出した。不精髭に手入れのされていない髪の毛、穴のあいたセーター...農家の人って感じだ。私はお兄さんに同意を求めた。これはマロン、マロンだよね!?美味しいんだよね!?
「Chestnuts(チェストナッツ)というんだよ。マロンって何語?日本語?」
お兄さんが言うと、ビクターが納得した。お兄さんはまだ笑っていた。マロンって言葉、何語なんだろう...。フランス語かなぁ。ほら、マロングラッセって言うじゃん。
「たぶんフランス語だよ。ああ、栗かー。日本で食べた栗は本当にでっかくてびっくりしたよ。日本では茹でて食べるんだよね?日本の栗は、甘くて本当に美味しかった。」
ビクターが懐かしそうに目を細めた。
だけどね、ビクター。今日は茹でるんじゃないよ。こんなふうにちっちゃい栗は、火の中に入れて焼いて食べるのが美味しいんだ。爆発しないように、ちょっと切れ目を入れてね。美味しいんだよ。いいデザートになると思うよ。それにしてもビクターったら、アメリカで栗を食べたことがないなんて!私達は、八百屋のお兄さんに手を振って、再び車に乗り込んだ。太陽が、西に傾き始めていた。少し急がなくちゃ。日が暮れたらテントを張るのがたいへんだ。
キャンプ場付近に着く頃には、太陽はすっかり丘の向こうに沈んでしまっていた。こうなったら焦っても仕方がない。ゆっくり買い出しでもしようじゃないか。
私達は、スーパーマーケットで夕飯と朝食の買い物をした。ワインを少し買って行こう。さっきの八百屋でニンニクを買ったから、ニンニクをつまみにしてお酒を飲もうよ。ベーコンも買っていこう。美味しく食べる方法があるよ。メインディッシュは何にしようか。あ、魚が美味しそうだよ。魚にしよう!デザートは栗だね。ああ、きっと美味しい料理が出来るよ!
「パンも忘れちゃ行けないよ、non。あと、コーヒーもね。」
私達はお腹が空いていた。見るとあれもこれも買ってしまう。でも、キャンプ場で食べ物が余るのを見ると、後で本当に飽食の生活になれきった己を自戒しなくちゃって気分になるんだ。だから、そこそこの量を買ったら、足早にスーパーから出て行かなくちゃ!
外に出るとすっかり辺りは夜になっていた。私達はキャンプ場まで車を飛ばした。
キャンプ場はすっかり暗闇に包まれていた。小さな小道沿いにコンロとキャンプサイトがセットになったスペースがあり、車が一台停められるようになっている。既に夜なので、感じのいいスペースはどこも先客がいるようだ。私達は、暗闇の中を恐る恐る車を徐行し、空いているスペースを探した。
森の深いところにぽっかりと空いているサイトが見つかった。私達はそこに車を停めて、ヘッドライトの灯りを頼りにテントを張った。円筒状のコンロがあり、そこで焚き火もグリルも出来るようになっている。6人ほど座れる丸太のテーブルもある。
私はテーブルに食材を広げると、ふと、天を見上げた。黒い木々の間に満天の星空がぽっかりと見えた。まるで、パズルのワンピースのようだ。
ああ、北半球の空だな。星の見え方が違う。北半球の星空は、どこまでも星だらけで境目がない。南半球の星空は、はっきり、くっきりと天の川が見えるのだ。もちろん、天の川以外の星もたくさん瞬いているのけど、雲のように見える霞みが実は星だったと思えるのは、南半球の空ならではだと思う。
火を起こす準備をする。ビクターもアウトドア生活になれているので、簡単に火を起こしてくれる。素晴らしい。男はこうでなくちゃ。昨今、火も起こせない男が多いらしいが、そんな男は私のパートナーとしてはごめんこうむりたい。もしも、天変地異が起こってサバイバル生活を余儀なくされても、頼りになる男でないと困るのだ。自然界のハウトゥーに長けた人でないと困る。しかし、ある特殊な自然界に関してだけに詳しくても困る。
「nonちゃん、見てごらん、ジンサンシバンムシがうじゃうじゃいるよ。」
などと言われても、生き抜いていく知識にはならないのだ。ちなみに、人参死番虫とは、体長2〜3mmの褐色の甲虫。カラメル臭に似たフェロモンを出します。ああ、私は何を言っているのでしょう。
さぁ、さっそく料理をしよう!私はアルミホイルで器を作ると、皮をむいたニンニクをたくさんいれ、その上にバターをたっぷりのせた。それをグリルにのせると、あっと言う間にバターが溶けて、グツグツ煮えたバターの中でニンニクがコトコトと柔らかくなっていくのだ。私がニンニクの準備をしている間、ビクターが買ってきたパンをアルミホイルに包んで下準備をしてくれた。
さー、ニンニクが出来あがる前に、ちょっとしたおつまみを食べるよ。私はベーコンを手頃な大きさに切るといきなりそいつをグリルにのせた。こうすると、ベーコンの余分な油が落ちて、ちょっと香ばしいベーコン焼きが出来あがる。パンにのせて食べてもいいし、そいつをペロンとそのまま口の中に放りこんでもいい。
更に、私は玉ねぎ、人参、ニンニクをスライスし、アルミホイルに敷いた。その上に買ってきた魚の切り身を置く。白ワインを振りかけて、塩コショウして空気を少し入れた状態で封をする。こうすれば魚は焦げないし、野菜の蒸気やワインで中が加熱し、魚が上手に蒸される。
ビクターがアルミホイルに包んだパンをグリルにのせた。こうすると、焼きたてのパンみたいに、パンがほっこらする。端っこはちょっとカリッとなって美味しい。
ニンニクのいい香りが匂ってきた。一欠けらを口に入れる。ホコホコしていてとっても美味しい!まるでジャガイモみたい。ベーコンも美味しい。本当は鉄板があったらベーコンエッグが美味しいと思う。ワイルドに作るベーコンエッグは、格別な味なのだ。少しあったかくなったパンにバターを塗って、ベーコンをのせる。うまいっ!カリッと焼けているところが気が利いてるよねぇ!
さてさて、メインディッシュはどうかな。そろそろ出来あがったかな。本当はマスタードかなんかがあるともっと美味しくなるんだけど...。恐る恐る封を開ける。熱い蒸気がパァーッと上がる。いい匂い!ちょうどいい具合に出来あがっているみたい。ビクター!食べてみて食べてみて!
ふーふーしながら、ビクターが魚を一口食べる。目が丸くなる。うまい!うまいよこれ!!絶品だ!!やったーやったー!私達は火の周りを小躍りして喜んだ。美味しいお魚。万歳キャンプ。おいしいおいしいおいしいよ。
ビクターはカリフォルニアっ子だ。健康には十分気をつけている。いつもは脂肪分の多いベーコンも好まないし、バターだって避けている。だけど、こんな美味しそうな匂いの料理を目の前にして、そんなことばっかり考えているなんてバカみたい!ここは森の中だよ!都会じゃないんだ。いっぱい楽しんで、いっぱい食べちゃえ。大丈夫!今日一日くらいで病気になったりしないからさ!
私達は焚き火の前でバクバクと、都会の人達が見たら卒倒するような脂っこい料理を食べ尽くした。お腹がいっぱいになって、満ち足りた気分になる。目の前にはゆらゆらと揺れる炎がある。炎は止まることを知らない。いつまでも違う形を造りながら、何もかもを焦がしてしまう。私達は呆けた顔をして炎を見つめていた。
最初に火を発見した人間は、どんな思いでそれを見つめていたんだろう。触れると思ったかな。捕まえられると思ったかな。なんにせよ、いつまでも揺れつづける自然現象に、神秘性を感じたに違いない。だって、火の使い方を心得ている私達でさえ、炎は神秘的に見えるのだもの。
やがて、火が小さくなってきた。私は、熾きの部分に切れ目を入れた栗をもぐらせた。デザートの焼き栗だ。こういうところでは、なるべく自然の恵みの姿に近いものを食するのが似合っているように感じる。だから、加工品は食べない。肉なら肉のままに、魚なら魚のままに、野菜なら野菜のままに。その中でも、とりわけ木の実というのは、自然の恵みを感じる。
自然の恵みを感じると、素直に自然に感謝が出来る。風を感じる。火を感じる。森の声に耳を傾ける。私の中の野生が目覚め始める。自分が自然の一部であることを、改めて思わずにはいられない。人はなぜ夜に眠るの。この世に生まれたばかりの赤ん坊は、一体どんな夢を見ているの。月は私達のDNAに刻まれた、太古の記憶を呼び覚ます。海の波は、地球に生命が生まれる前から寄せては返してきた。今、こんなことを考えている瞬間に、どこかの誰が笑っている。泣いている。それは私と関係があるの。それともないの。
自然を感じることは、自然に感謝すること。自然に感謝することは、自分を省みること。自分を省みることは、世界を見ること。世界を見ることは、この世界に属している自分を知ること。
炎を見ているだけで、人は哲学者になれる。
パチン、とビクターが焼けた栗を剥いてくれた。ほんのり甘い、でんぷん質の味がした。香ばしい匂い。ビクターも栗を口に放りこんだ。美味しい!と驚いていた。
私達は炎を絶やさぬように薪をくべると、時折パチンと栗を割って食べた。いろんな話をした。そのうち、炎が小さくなるにつれ、私達の言葉も少なくなった。
もう寝ようか。
森の夜は、静かだった。
29日 結実
ビクターにはマークという親友がいる。 マークは女をとっかえひっかえする贅沢者で、とても一人の女性に落ち着くことが出来ないという話を聞かされた。その度に「今度こそ本物だ!」というくせに、すぐに別の女性に目移りしてしまうのである。
私はまだマークの顔を知らなかった。ビクターの話を聞くにつれ、私の中でのマークは、日焼けしたとってもハンサムな男性となっていった。
そのマークが、いきなり電話をよこし、
「ヘイ!サンタクルーズのお化け屋敷に行かないか!?」
と私達を誘ってれたのだ。ハロウィーンが間近に迫ってきたので、街中がハロウィーンのためのデコレーションでいっぱいだった。そうか、そんな中、私設お化け屋敷までもが現れちゃうわけだね。すごい!これはぜひ体験してみなくては!
マークは、サンタ・クルーズの住人だ。待ち合わせの時間は、夕刻。パロ・アルトからサンタ・クルーズは、それほど遠いわけではない。海沿いの荒野を、練るように走って40分ほどで到着する。
ビクターの車でサンタ・クルーズへ向かう。右側に太平洋、左側に白い石灰質の土の丘が重なり合っている風景が広がった。右手から、赤い夕日が差し込んでくる。ビクターの向こうに、オレンジ色に輝いた、一直線の道が太陽に向かって伸びていた。カリフォルニアの夕日だ。
突然、ビクターはハンドルを左に切って、方向転換をしたかと思うと、ものすごい勢いで海辺の空き地に車を停めた。フロントスクリーンの正面に、オレンジ色の海が輝いていた。もうすぐ、日が沈む。
「こんな美しい夕日が眺められるなんてラッキーだ。僕達はだいぶ遅刻するだろうけど、マークはわかってくれるさ。」
ハンドルに顔を持たれかけて、ビクターが呟いた。夕日を見つめる目が、キラキラ輝いていた。芸術家肌の人というのは、本当に子供みたいな表情をする。ビクターは、科学者じゃなくて芸術家なんだな。まぁ、科学もある意味芸術だしなぁ。
夕日は、あと数センチで海とくっつく。
ああ、もうすぐ、太陽が海にキスをするね。「うーん、なかなかの詩人だね、non。では、こういうのはどうだい?」
『太陽が
海へ一日の終わりを告げるキスをする
ある者には眠りを誘い
ある者には狩りへと誘い
そして、再び太陽が一日の始まりを告げに
東の空からやってくる
繰り返し 繰り返し 行われている
この地球が生まれたときから
今 まさに 夕日が、海に沈む
さぁ、一日の終焉です
おやすみなさい』心の中がシーンとなった。ビクターのナレーション的即効ポエムの朗読が終わると同時に、真っ赤に熟れた色をした太陽が、海にくちづけをした。その時私は、"ぽちゃん"という音が聞こえたような気がした。
夕日が沈んでからの私達の行動は早かった。のろい車がいれば、背後からビカビカとパッシングをし、よけてくれた車に右手を挙げてにっこりと会釈する。これがビクターのあおり方だ。ビクターのF1ドライバー並のドライビングテクニックで、残りの道のりはあっと言う間だった。
さて、待ち合わせ場所は学生街にあるバカでかい本屋さんだった。ビクターは、本屋さんに入るなり、「...マークの匂いがする。」と呟いた。そして、鼻をクンクンさせて歩きながら、ついにマークの居場所を突き止めた。ビクター、それ、気持ち悪いからやめたほうがいいと思うよ。いよいよ、女の入れ替えの激しいマークとの対面だ。どれほどのハンサムさんなのだろう。ウキウキ。
「初めまして、マークです。」
と、手を伸ばした男は、かわいらしい顔をした、背の小さい、いかつい体付きの人だった。ほほぅ、ぱっと見は女性の入れ替わりが激しいようには見えないけどなぁ...。
「さて...お化け屋敷に行く前に...どこか行きたいところはありますか?」
と聞かれた言葉に私はすぐさま反応した。
「トイレ!トイレに行きたい!」
ビクターが手のひらで顔を覆った。オーノーって感じか?マークは紳士だった。にっこり笑って、「トイレですね?」と言って、馬鹿丁寧に店員にトイレの場所を聞いてくれた。このマークという人物、けっこう冗談のわかるタイプのようだ。
用を足して、すっきりした後、我々はサンタ・クルーズの街をぶらついた。お化け屋敷はまだ開店していない。話を聞くと、どうやらこの私設お化け屋敷というのは、町内のボランティアや劇団員の協力で出来ているらしい。まぁ、収益があるからなんだろうけど、この街では毎年の恒例行事だとか。
ウィンドウショッピングを楽しんでから、いよいよお化け屋敷へ行くことにした。
お化け屋敷では、少年フランケンシュタインといった感じの、痩せぎすの男が神妙な顔をして館内の説明をしてくれた。
「いいですか。決して、ラインから外れてはいけません。一生、戻って来れなくなりますからね...。」
不気味な人だ。こんな大人にまで真剣に話をしてくれるとは。そして、その痩せぎすの男は、私達に魔法の粉をかけてくれた。そうすることによって、館内に入るための異次元の通路を潜り抜けることが出来るのだ。
中は、蛍光塗料で小道が描かれていた。その道を決して踏み外してはいけない。踏み外すと...
「あああああー!ここがどこだかわからない!私が誰だかわからない!ここはどこ!?私はお家に帰りたいのぉぉぉぉぉおー!!!」
道を踏み外したと思われる位置に、青白い少女が迫真の演技で号泣していた。怖い...いろんな意味で、怖い。
やがて小道は、暗がりへと入っていった。前が一切見えなくなる。私は両手を前に出してふらふらと歩きつづけた。前がぜんぜん見えないよーーー!!
ぎゃっ!!!
誰かとぶつかった!と思ったら、マークだった。道がわからなくなって戻ってみたらしい。戻るなよーーー!いいよ、もう。マークは私の後ろに下がって。私が先頭を歩いてみる。私は手探りで前に進んでみた。
ぎゃーーーっ!!!
足首を誰かが握ったーーー!目の前に、こんにゃくみたいなのがぺちょってついたーーー!!!
私の反応は背後の列に連鎖反応を引き起こした。
わーわーわー!こわいー!こわいー!
知らない子供まで泣き出す始末だ。道の両脇で、スタッフらしいお化けが満足そうに腹を抱えて笑っている。
私は再び気を取りなおして、前へ進んだ。一歩、また一歩。
うっぎゃーーーっ!!!
今度は、天井から白い人間が落ちてきた。と思ったら、今度は飛びあがった。あれ、と思ったらぐるぐる回り始めた。こ、こわいよーーーっ!!!本物の白い人だよーーー!
「私の赤ちゃんはどこ?」
と何遍も呟きながら、落ちたり飛びあがったり、ぐるぐる回ったりしている...。こ、怖いーーーっ!こんなこと、数時間やったら、絶対にゲロがこみ上げてくるよーーー!
もう、一刻も早くゲロ飛散エリアから逃れなくてはならなかった。私は走るように小道を歩く。小道は、迷路のようになっていて、隣に今まで歩いてきた道が、もう一方の隣にはこれから歩く予定の小道が見えた。でも、またぐことは許されない。順路通りいかねばならないのだ。
あ、今度はトンネルが見える。あのトンネルの中に入ったら用心しなくちゃ。今度は何が出てくるかわからない...。さぁ、入り口だ...。
ひゃぁぁぁぁーーーーっ!
入り口が動いたよー。私をまたいでいったよー。入り口なのに、入り口なのに...。振りかえると、高さ3mはあると思われる竹馬に乗った黒いお化けが、ウキキッと笑いながらこちらを振り返った。くそぅ、トンネルと一体化するお化けなんて、日本にはいないぞぅ。
トンネルと抜けると、そこは外の世界だった。終わったか...。あったかい空気が顔に心地よかった。
ふー...なんだか、ほんとに怖くて楽しいお化け屋敷だったよ。西洋の恐怖というのは、ぐるぐる回ったり、竹馬に乗ったりするもんなんだね。いやー、なかなか楽しい趣向だったよ。ビクターもマークも「うん、今年のは面白かった!」と連発していた。
私、西洋のお化けってあんまし怖く感じないの。日本のお化けも。一番怖いお化けは、やっぱり中国。四千年の歴史が重すぎるのよねぇ。中国の幽霊屋敷なんて、想像するだけで恐ろしいよ。楽しんだ後は、お食事だ。
「さて、夕食は何にしようか。non、ちょっと気取った食事と、安い食事と、どっちがいい?」
そりゃあ、もう。
「それはどっちでもいいけど、とにかく量が多い方。」
ビクターもマークも、「わかった。」と応えてくれた。私達は、メキシカンファーストフードのお店に行った。巨大なブリトーのような食べ物なのだが、中身を数種類トッピングすることが出来る。私は、ワイルドライスと豆とチーズと野菜数種類をトッピングした。太巻きのようなブリトーにかぶりつく。ん!ウマイッ!マークもブリトーを頬張りながらこう言った。
「美味しいだろ?俺も美味しいと思うんだ。ビクターはどうだよ、気に入ったか?ところで、二人の関係はどんな感じなの?ビクター、お前には彼女がいたよなぁ。あれはどうなったんだ?え?nonもその話は知ってるの?そうかー、で、二人はどういう関係なの?」
...誰かを思い出す。私達はね、ただの友達なの。それもね、日本では一回しか会ったことがなくてね、ただの友達の友達ってだけで、私が強引にお世話になってしまってね。アメリカを一周して、またお世話になってるの。でも、別に恋人同士でもなんでもないの。私はほとんど他人という間柄でも、けっこう強引に泊まりに行っちゃったりしちゃうの。
「そうかー。いいなぁビクター。nonはどれくらいサンフランシスコにいるの?いつ帰ってくるの?また会おうよ。絶対だよ。」
というマークの瞳はまっすぐに私を見ていた。アメリカのカリフォルニアでは、異国人を口説くということに対して偏見がない。カリフォルニアは、外国人の坩堝(るつぼ)だ。国籍が違おうが、見た目がどれほど違おうが、文化がまったく異色でも、それに対する偏見がない。出会った人間に興味を抱く、という当然のことが当然と行われる。
ニュージーランドでは、必ずしもそうはいかない。やはり、白人がアジア人を連れていれば、「白人の恋人を持つことの出来ない奴」というレッテルを張られる。そういう偏見がまだ残っているのだ。やはり、アメリカ、それもカリフォルニアは違うなと、マークを見て妙に感心してしまった。
食事も終わり、私達はそれぞれの車へ戻ることにした。
こげ茶色のレンガ作りの街並み。古ぼけたポスター。破れた張り紙。オレンジ色のライト。時折あがる奇声。ああ、ハロウィーンだ。アメリカだ。通りを横切った時だった。
向こうから、背高のっぽのホームレスのおじさんと、小さくて丸いホームレスのおじさんが歩いてきた。二人は肩を組んで歌っていた。とっても気分がよさそうだった。おじさん達に合わせて、ビクターが歌い始めた。マークもそれに合わせて歌い始めた。私の知らない曲だ。ホームレスのおじさん達が近寄ってきた。一緒に歌って私を中心にして、輪になり始めた。みんな歌ってる。すごく楽しそうに。
曲はクライマックスを迎えてきた。誰かが肩膝をついて、私に手を伸ばした。すると、残りの3人も肩膝をついて手を伸ばした。4人の男にかしずかれる。うわー、こんなの初めてだよーーー!大合唱と共に、曲が終わった。なんかよくわかんないけど、ありがとーーー!
「僕達もこんなの初めてだよ、なぁ、マーク?」
マークもビクターもニコニコ笑ってる。ホームレスのおじさんも笑ってる。背の小さい方のおじさんが「小銭を持っているかい?」と聞いた。私は、歌ってくれたお礼に、あちこちのポケットを探って、持っている小銭を全部あげた。おじさんはとっても嬉しそうだった。背の高い方のおじさんには、ビクターが「いるかい?」という素振りをする。
「いいや、いらねぇよ。相棒のもらった金は相棒のものだが、俺たちゃ今夜は十分幸せだから、小銭はもうたくさんなんだ。ああ、楽しいなぁ。こんな楽しい夜なんて、ほんとハッピーだな、相棒!」
小さいおじさんが、背の高いおじさんを見上げて頷くと、再び肩を組んだ。まるで、背の高いおじさんにぶらさがっているみたい。おじさん、右足が、地面についてないよ。あははは。
「お嬢ちゃん、どうもありがとう。どこから来たのかい?日本かい?今夜のこと、忘れないでおくれよ。」
と言って、私の頬をくすぐった。おじさん達は肩を組んだまま、再び歌いながら去って行った。なんだか、とってもいい気分になった。ホットスプリングスで出会ったおばさんを思い出した。あの時私は、おばさんが私を忘れてしまうだろうと思って、哀しかったんだ。今、私のメッセージが、ホームレスのおじさんを通して、やまびこのように帰ってきた気がした。いや、もしかしたら、これはあのおばさんからのメッセージだったのかもしれない。
「忘れないでおくれよ。」
忘れるわけがない。
ああ、こうやって、偶然が意味のあることになっていく。また一つ、偶然が実を結んだよ。
28日 秋の夜長に語ったこと
ビクターのテストが終わった。 「さぁ、non!ハロウィーンのためのカボチャを採りに行こう!」
夕方近いというのに、ビクターが帰ってくるなりそう言った。もしかして、オレンジ色のカボチャを採りに行くの?そりゃ、本場のハロウィーンを楽しみたいって言ったけど、なんのために?
「彫るんだよ!僕らでカボチャのランプを作るんだ!」
ええええーっ!いっちゃあなんだけど、私は正真正銘の不器用なんだよ。小さい時は、雑誌の付録なんて自分で作れたためしがないんだから。ビクターは芸術家だから器用だもん。絶対に上手に出来るじゃない。けど、私はダメ。本当に、まじで、やばいくらいに不器用なんだってば。
「大丈夫大丈夫!小さな子供でも出来るんだから。それに、nonはカボチャ畑に行きたくないの?」
行きたい!!
実は、これは初めてのことではない。以前、Wausauに遊びに行った時に、ちょうどハロウィーンの時期だったので、カボチャ狩りをしに行ったときがあったのだ。その時は、彫刻をしなかったのだけど。そうか、それを考えるとこれはいい機会なのかもしれない。よし、やってみるか。子供でも出来るっていうのなら、私でもなんとかなるかもしれない。「よしキマリ!当日は僕のママのお家でハロウィーンパーティをやるから、その時ポーチに飾ってもらおう。」
え、人様に見せるの?ちょっと不安だけど、ま、いっか。やるよ、やる!エイエイオー!
ビクターの車に乗って私達はカボチャ畑を目指した。
畑に到着して、車から降りる。すると、見渡す限りずーっとずーっとカボチャの転がる大地が広がっていた。うわぁー、この畑、どこまで続くんだろう?ゴツゴツした土の上に、大小のオレンジ色のカボチャが転がっている。小さな子供の頭くらいのものから、相撲取りの腹並のものまであるぞ。すごい!私、どのカボチャにしようかな。私はカボチャ畑の中を走るようにして、物色して回った。まん丸い、でっぷりとした大きなカボチャを発見。カボチャの軸を掴むと、重たいカボチャをうんせうんせとビクターのところまで運んだ。見て!このカボチャ!
「素敵なカボチャだねぇ。でも、あまり大きなものは採ってこないで、小ぶりのカボチャを探してごらん。」
...そうだ。大きいものは運ぶのも削るのもほじくるのもたいへんなんだった。自分の実力と噛み合った大きさのカボチャを探さないと、後で自分
が苦労することになる。私はさきほどとは裏腹に、慎重にカボチャ選びに取り掛かった。手頃なカボチャだと思うと、底が腐っていたり、裏側が虫に食われていたりして、なかなかコレ!というカボチャに巡り会わない。うーん。
「ほらー、non、見て!これ、かわいいだろ。」
ビクターの手にしているカボチャは、縦長の瓜みたいな形をした不恰好なカボチャだった。さすが芸術家。選ぶカボチャが違うわ。ビクターはとっても器用だから、あのヘンな形をしたカボチャはきっとカッコイイカボチャランプに変身するんだろうな。そうか、別にきれいな形にこだわらなくてもいいんだ。仕上がりをイメージして、そのイメージに合った形のカボチャを選べばいいんだもの!
目からうろこが落ちたような気分でカボチャを探す。あー!あったあった!これだよ、これこれ!私のイメージ通りのカボチャ!
それは、中くらいの大きさのぼてっとしたカボチャだった。柔らかいボールを地面に置いて、そのままぼってり形を崩したって感じの形だ。この形を利用して、崩れた顔つきのランプでも彫ってやろう。アメリカ人にジャパニーズアートセンスを押し付けてやる。
カボチャはひとつ、4ドル程度だった。重さで値段が決まるんだけど、私達のは中くらいの大きさだったから、それほど高くはない。
帰りがけに、数日後に出かけるキャンプのための薪を購入することにした。高く山積みされた木片の山。大きなものから、小さなものまで様々だ。その中から、私は長く火がくべられて、かつ見た目が美しい木目の薪を探した。
会計のときに出てきた人は、浮世離れしたおじいさんだった。長い髭にカーボウイの帽子をかぶっている。足元はウェスタンブーツだ。おじいさんの目は、もうあまり輝いていない。瞳は暗く陰になっていて、何を考えているのかわからない。私達が話しかけても、おじいさんはニコリともしなかった。けれど、車の荷台に薪を積むときに、いくつかのアドバイスをくれたし、私達の選んだ薪を見て、ぶっきらぼうに「うん。いい木を選んだな。」と言ってくれた。なんだか、薪を売っているこのおじいさんが格好良く見えた。
薪は、全部売ったとしても、それほどの儲けにはならない。けれど、つましい老後を過ごすのには十分な蓄えになることだろう。いいなぁ。ああいう老後。私も、老後はあんなふうに過ごしたい。
私達は、その後、老後について語り合った。
私は、リタイアしたら人の少ない自然の豊富な土地で過ごしたいと思っている。出来るだけ人の少ないところだ。森の中か、川の側がいい。孫がいたら、孫はそこで一夏過ごしてもちっとも退屈しないだろう。普段の生活には、わずかな畑と家畜がいればいい。家畜からはミルクを。ミルクからはバターやクリームがとれる。自給自足の畑には、ミミズコンポーストからとれた栄養たっぷりの土を肥料としてあてがえばいい。生ゴミが、ミミズやバクテリアに土に分解されるのだ。そうやって、自然も宇宙も命も、ぐるぐる回っているのだ。そんな世の中の連鎖の一部を自分の生活に取り入れたい。
ビクターの描いている老後も、私と似たり寄ったりの素朴な生活だった。けれど、彼は、"命"もぐるぐる回っている、ということに対しては首を横に振った。いわゆる、輪廻転生の考え方には疑問があるという。
「だってさ、今借りたお金を来世で返します、なんてこと、通用しないだろう?」
なるほど、輪廻転生とは、そのようなものだと思っていたのか。それは私の考え方とは大きく違うな。
そんなふうに、自分の人生を全体の単位として捉えていたのでは、輪廻を理解することは出来ないよ。一つの人生は、全体の一部に過ぎないんだ。次の人生は、大金持ちで生まれているかもしれないし、極貧生活を送る運命かもしれない。いずれにしても、自分の前世の記憶などはなく、誕生から死に至るまで、再びこの世の中である人生を歩んでいくことになるんだ。
何度も繰り返し繰り返し、誕生と死が行われていくんだよ。そういったいくつもの人生をぜーんぶひっくるめて、一つの単位と考えてみたら、ビクターの輪廻転生についての見方もちょっと変わるかな。
本当のところはわからないよ。本当に輪廻転生があるかどうかなんてことはね。でもさ、輪廻転生が本当のことだと仮定してみて、一体、なんで何度も何度も人生を送る必要があるか、考えてみて。なんでだと思う?
ビクターはわからないと言った。
人は皆、"完璧"を目指しているのではないかなぁって思うことがあるんだ。人として、完璧であることって考えたことはある?今の世の中の基盤やルールに囚われないところでの"完璧さ"ってどんなだと思う?
それって、自分が未熟であるが故に出てくる感情が、全部なくなるってことなんじゃないかなと思うんだ。人ってさ、簡単に不愉快な気持ちになるよね。妬んだり、反発したり、イライラしたり。それって、自分の未熟さから来る感情なんじゃないかなぁって思うの。成熟した精神は、そのような感情に囚われることはないんじゃないかなぁって。もちろん、それだけじゃないよ。深い愛に満たされた、しなやかで強靭な精神であることも大事だと思う。
人生という短い時間で、人はいろんな経験をして、いろんな感情を学ぶよ。そういったことで、心に深みが出てくるよ。けれども、人というのは何度も同じ過ちを繰り返すでしょう?精神が成熟するには、たった100年じゃ足りないんだ。どんな老人でも、人の痛みのわからない人がいるよ。そういう人は、来世で人の痛みがわかるような人生が待ち受けているんだ。これは、罰なんかじゃないよ。必要な学習プログラムなんだ。暴飲暴食に明け暮れた人生を送った人は、来世ではとっても弱い内臓を持って生まれてくるかもしれない。そうして、自分の体を大事にすることを覚えるんだ。自分を憐れんで他人を無視し続けて生きてきた人の来世は、孤独な旅をし続ける人生になるかもしれない。そうして、他人の存在のありがたさや人を慈しむことを覚えるんだ。
でも、この考え方には欠陥があるんだ。だって、そんなことは別に来世じゃなくても、今生きている人生でもその人が気づきさえすれば学習できるんだもの。今の人生でも成長し切れるんだったら、来世なんて必要なくなっちゃうでしょう?本当のところはどうなんだろうね。
話し終わると、ビクターは無口になった。私の言っていることを、自分の中で噛み砕いている様子だった。
私は自分の考えが完璧であるとはまったく思っていなかった。私はまだまだ未熟者だし、これからもどんどん成長していくと思う。その時、今の考え方がすっかり間違っていることに気がつくこともあるだろう。でも、そのときは、なんのためらいもなく新しい考え方に切り替えたい。自分が間違っていることを認めたくないあまりに、新しい考え方を遠ざけるようなことはしたくない。
認めること、それも一つの勇気。
変わること、これも一つの勇気。しかし、こう考えると、人間の成長の可能性というのは、八方の方向に広がっているのだなぁ。どちらの方向に成長していくかは、すべて自分次第、ということか。
「実に興味深い考え方だ。うん、面白い。」
ビクターは、一点を見つめてそう呟いた。そして、ふと時計を見た。
「でも、僕達、ちょっと話しこみ過ぎちゃったな。もう、カボチャを彫刻する時間じゃないよ。」
時計は夜更けを指していた。あらら、もうこんな時間だったの?私は話し出すと長い。
あーあ、またうんちく女になっちゃった。やな女ー!
26日 しくじり
ビクターは、会社に休職願いを出して、大学に通っている。専攻は、海洋生物学。もともとは、美術畑の大学を出た人だけに、理論と法則と計算で構成される畑違いの学問に四苦八苦している。 朝起きると、ビクターは学校へ行ってしまっていた。前回、私が来たときは夏休み中だった。でも、今はなんとテスト期間中だ。ビクターは夜まで帰ってこない。テストが終わったら、図書館で勉強をしてくるからだ。それまで何をして遊ぼうかな...。
とりあえず、手早くシャワーを浴びてすっきりする。身支度を整えて、母屋にいるおばあさんのところへ挨拶をしにいった。おばあさんは、「母屋のゲストルームで寝泊りしてもいいのよ。」と言ってくれたが、丁重にお断りした。ゴージャスなゲストルームと専用のバスルームには憧れるけど、早寝早起きのおばあさんの一日のリズムを、私のせいで壊しては申し訳ない。
挨拶を終えると、私はポカンと高い秋の空を見上げた。あー、サンフランシスコには、秋はまだ来たばかりなんだなぁ。秋晴れに気分がいい。さて、お茶でも飲もうかな。
出発する前から、外食が続いて体は脂まみれになるだろうと予想していた。だから、私はプーアール茶を持ち歩いていた。だけど、自炊できるアコモデーションに恵まれなかった今回の旅では、お茶を飲む機会があまりなかった。ここでの滞在中は、常にこのお茶を飲むことにしよう。中国四千年の歴史が、体の脂を分解してくれるだろう。(←ほんとは食事中の脂を分解してくれる)
ボール状の茶漉しに茶葉を詰めて、でっかいガラス瓶に落とす。そこへぐつぐつ煮えたぎった熱湯を注ぐ。しばらくしたら、薫り高いプーアール茶の出来あがりだ。ティーカップに注いでゆっくりと飲む。
ビクターのブレックファーストテーブルの横には大きな窓があり、ひっそりとした中庭が覗けるようになっている。中庭には、蔦のような葉がまるで池のように茂っていた。大きな木が空を隠すように背を伸ばし、枯葉を落とす。朝の日がほんの少し当たるその庭は、緑色の光りで反射していた。小鳥が鳴く。時折、リスがひょっこりと顔を出し、茂みに姿を隠す。完璧な自然をそのまま切り取って、敷地内にポンと置いたような、そんな不思議な空間だった。
私は、ビクターのCDレパートリーの中から、クラシックギター演奏をセレクトした。静かで抑揚のある調べが、中庭の景色にぴったりだった。お茶をすする。うーん、完璧なひととき...うっとり。
私は、今後のプランをもう一度見直した。ビクターのテストが終わるまでに、私は自分の持ち歩いていた食材を平らげてしまいたかった。テストが終了してからは、どこかへキャンプをしに行こう!と計画していた。その後はハロウーィンだ。かねてから、私は本場のハロウーィンを体験したかった。ハロウーィンはアメリカで盛んなお祭りだ。英国系のニュージーランドでは行われない。日本では、理由も知らずにお祭り騒ぎになるが、ここは本場だ。これは一発、本物を見ておかねばなるまい。それから、サンフランシスコでは果たさなくちゃならない約束があった。それは、テリーと再会することだった。鮨萬という寿司屋で出会った、あのカメラマンだ。
私が夢を叶えるよりもずっと昔に、テリーは自身の夢を叶えていた。夢は必ず手に入るという、自信を与えてくれた人。再会の約束は、絶対に果たしたい。
とはいうものの、まずは私の腐りかけてる食材をお腹の中に片付けてしまわなければ。
私は、車から食材のダンボールを運んだ。もー、どの食材もハッカク臭くなっている。ラーメンの麺や干しえび、細切り木耳、わずかながらの米、その他諸々の食品がうんざりするほど残っていた。うーん、ラーメンの麺から片付けていくか。
近所のスーパーマーケットでチキンの照り焼きのようなものを買ってきた。これで、チキンラーメンでも作ってみよう。
チキンをナイフで解体して、ラーメンを茹でた湯の中へ放りこんだ。これで、鶏のダシが出るだろう。その中へ、干しえびや細切り木耳などを入れ、最後は中華醤油で味付けして出来あがり。器に移して...ふーっふーっ...ウー、ウマイ!これはKFCの残り骨でも出来るダシの摂り方なので、貧乏な方はぜひ試してみていただきたい。一度で二度美味しい、調理済鶏肉は侮れません。
ひーふーみーよー...まだラーメンは残ってるなぁ。一度に2個ずつ食べるとして...あと2食分かー。まぁ、なんとかなりそうだな。もうお米は少ないから、お粥にして食べることにしよう。木耳や干しえびも、惜しみなくジャンジャン使えば、なんとか完食出来そうだな。そうだ、夜はビーフミンチで韓国風のお粥を作ろう。不思議なことに、肉の種類を変えるだけでお粥の国籍が変わる。ビーフは韓国、チキンは中国、ポークは...知らない。とにかく、ミンチは安い上に利用しやすい食材なのだ。しかしそれだと、毎日肉ばかりを食べることになってしまう。栄養の偏りは良くないよ。そうだ、野菜スープなんかも作ったらどうかな。
ベーコン、ブロッコリー、玉ねぎ、ズッキーニ、イタリアントマト...あとは何か腹にぐっとくる食材を入れて...よし!豆だ!豆を入れよう!ベーコンでダシが取れるし、塩味も付くし、これは完璧なレシピだ!!私は料理の天才に違いない。これほどまでのレシピを誰が思いつくだろうか。いや、誰でも思いつく。
その後、しばらく書き物をしていたら、すぐに夕方になってしまった。
うずうずうずうず...夕食たぁーーーいむっ!!私はさっそく夕飯の支度に取りかかった。今日はビーフ粥だ。うきき。ビーフ粥。考えただけでも美味しいに決まってるって感じだね。
米と玉ねぎのスライスとビーフミンチをタイミングよく順番に入れる。時折、灰汁を取りながら、様子を窺う。よーしよし、いい感じだぞぅ。既に、部屋中に韓国風の匂いが充満していた。ふふふ。もうすぐ出来あがるな。では、プーアール茶でも用意するか。肉の脂を、玉ねぎとプーアール茶でダブル分解!これで脂肪よ、さよおなら!
いそいそと流し台へ向かって、お茶の用意をする。ボール状の網の中へ茶葉を詰め込み、それをガラス瓶に...。
ところで、ビクターの部屋の床は、毛の長い、じゅうたん敷きになっている。
バラバラバラバラバラァーーー!
オーマイガーーーッ!まんまる茶漉しの留め金が外れて、中に詰めていた茶葉が床へ散らばってしまった。こ、これはーーー!大失敗!!私は急いでしゃがみこみ、茶葉を拾おうと試みる。しかし、掻き集めようとすると、茶葉はじゅうたんの上で飛び跳ね、更に散ってしまう。被害は広域だ。ど、どうしたものか...。
ビカビカビッ!ひらめいた!
私は掃除機と思われる機械をずるずると引っ張り出してきた。アメリカさんの掃除機は私の常識から外れて、奇妙な縦型をしていた。ホースもタンクも吸い取り口も、まるでミイラのようにきっちりとしまわれている。これは外すことが可能なのだろうか?わからない...。私は、かろうじて電気のコードをコンセントに差し込むことに成功した。しかし、電源がわからない。
おー、これか?
カチッ。ブウィィィィィィィィーン。ブォォォォォボボボボボォォォォォォォウィィィィーン!!カチッ。ドキドキドキドキ...。な、なんでこんなでかい音がするんだ?隣近所にまで響き渡る音だよ、これは。も、もう一度試してみよう。...カチッ。ブウィィィィィィィィーン。ブォォォォォボボボボボォォォォォォォウィィィィーン!!カチッ。
だ、だめだ...。とても私にはこの音を出しながら掃除をすることなど出来ない。し、しかも、吸い取るはずの茶葉が。ぜんぜん吸い取られていないじゃないか!も、もう一度やってみるか?よ、よし、もう一度だけ...。カチッ。ブウィィィィィィィィーン。ブォォォォォボボボボボォォォォォォォウィィィィーン!!カチッ。ううう、ダメだっ。とても続けられない。
私は掃除機を片付けた。掃除機を移動させるとき、吸い込み口から吸い取ったはずの茶葉がすべてこぼれ落ちてきた。おいおいおいおい、ぜんぜん使えねーじゃんか!
私はどこからか、セロテープを取りだし、茶葉をくっつけて取る作戦に踊り出た。しかし、セロテープには私のケラチンとじゅうたんの毛糸しかくっつかない。だめだ...。ビクターが帰ってくるまでに、なんとかしなくては。出来ればこんな失敗はなかったことにしてしまいたい。部屋の持ち主に悪すぎる。しかしどうしたらいいのだ。とにかく、ビクターが帰ってくるまでにきれいにしなくては。果たしてどうすればいいのか。うーんうーん。よし、手で拾おう。隅から隅まで、地道に拾っていけばやがてはきれいになるはずだ。時間がかかるだろうが仕方がない。そう、時間が...はっ!しまったっっっ!!
私はお粥の鍋の元へ走った。
そこには、糊と化したお粥が、焦げ臭い匂いを放っていた。
クゥ...!私は悔しさに体を震わせた。己の馬鹿さかげんに、自分で自分をポカポカ殴る。バカバカ!私のバカ!いや、こんなことをしている場合ではない。ビクターが帰ってくるまでに、証拠を隠滅するのだ。
私はとっさに床に這いつくばり、作業に取り掛かった。
私は、まるで単純作業に没頭するパートの主婦のように、無心になって茶葉を拾い集めた。どれくらいの時間がかかっただろうか。
拾い集めた茶葉を、私はトイレに流した。ふと、トイレのじゅうたんを見る。ややや!ここまで茶葉の被害がおよんでいるではないか!こんなところまで茶葉がぁぁぁーーー...。ビクターのお家は、流しのすぐ横がトイレになっているのだ。こ、こんなところに這いつくばって茶葉を拾うことなど、私のプライドが許さなかった。ビクターは男だ。男は立ってトイレをする。ということは、この辺り一帯に、尿が飛び散っている恐れがあるのだ。危険だ。危険すぎる。私は、トイレのマットを茶葉の上に敷いた。これで、しばらくはバレまい。
立ちあがって、被害地全体を見渡す。うん、ちょっと散らかっているけど、気にしなければ気にならない。よし。すっとぼけよう、すっとぼけよう。
私は自分を納得させると、さっそく食事にしようとキッチンに向かった。その時である。
「ただいまぁ〜♪」
あああー!!ビクター!!ごめんなさいごめんなさい!私、じゅうたんに茶葉をこぼしちゃったの。一生懸命拾って片付けたんだけど、完璧にはきれいにならなくて。汚しちゃってごめんなさいごめんなさい。トイレのほうは、マットを敷いてごまかしちゃったの。ごめんなさいごめんなさい。
...私は、知らんぷりが出来ない性格である。
ビクターは、不信な顔をして辺りを見回したが、「きれいになってるじゃない」と言ってくれた。ほーぅ...思わず正直に話してしまったけど、怒られなくてよかったぁ...。
「それにしても、なんで掃除機を使わなかったの?あれだったら簡単に掃除できたのに。」
あれ、壊れてるよ。ブゥーンってすごい音がしたもの。
「おかしいなぁ。去年買ったばかりなのに。どれ...(カチッ)」
ブォォォォォォオーーーン!!
私:(ビクッ)
「壊れてないじゃない。ちゃんと動くよ。」
いやいや、それはもういいから、しまってしまって。ほら、もうきれいだからいいじゃない。とにかくしまって。スイッチから手を離して。ほらほら、しまってしまって。しまいなさいったら。
ビクターは不思議そうな顔をして、掃除機をしまってくれた。
大人になると、子供の時のような失敗はそうそうしない。コップを倒して中身をこぼしたりしないし、くしゃみをしてうっかり両鼻から鼻水を垂らすこともないし、調子に乗って暴れて部屋の置物を壊すこともない。
思わず、今は遠くにいるはずである、母親の鬼のような顔を思い出してしまった。
25日 San Francisco 序文
まだ、辺りは朝の空気が立ち込めていた。私は荷物をトランクに積めると、車に乗り込んだ。 さわやかな薄曇の空だった。もう少し日が高くなったら、空も晴れ渡るだろう。朝というのは、なんでこうも初々しいのだろう。ひんやりとしていて夜から目覚めたばかりの空気、そしてその匂い。どれもこれもが薄靄の中でキラキラと輝いている。それが、"朝"だ。どこの国でも訪れる、朝。
海沿いのUS-101をひたすら南下し、今日はサンフランシスコ近郊のパロ・アルト(Palo Alto)まで行く予定だ。サンフランシスコは遠い。パロ・アルトはサンフランシスコよりも若干南に位置するので、全工程でおよそ350マイル(560km)ちょっと走ることになる。まぁ、ちょっと長い距離だけど、なんとかなるさ。今夜、ビクターと彼の下宿先で落ち合うことになっている。到着は夕方か夜といったところか。
車はまもなく、レッドウッド国立公園(Redwood NP)に突入した。背の高い木々が鬱蒼とする森の中を一本の道路が曲がりくねっている。薄暗い森の中に、ささやかな木漏れ日が差していた。ハニー三世のボンネットの上を、森の陰が滑っていく。ああ、ドライブって感じだなぁ。私は窓を開けた。森の空気が、室内に入り込んでくる。いい匂い。湿った土と木の匂いだ。
BGMはチチチチッと鳴く小鳥の声。木漏れ日が前を走る車を滑って、私の車のボンネットも滑り抜けていく。まるで、木漏れ日のダンスだ。
国立公園を抜けると、道路は再び海沿いへ出た。
海はキラキラ輝いていた。ザバーン、ザバーン、と何度も波が打ち寄せていた。US-101はInterstate(例:I-5など)の道路と違って、制限速度が遅かったり、車線が狭かったりする。ぐいぐい前に進めるかと思ったが、思ったより時間がかかる。私がサンフランシスコ市内に入った時には、既に夕方の渋滞時刻になっていた。街中の入り乱れた車の列の中をスイスイと運転していく。もともと都内ばかりを運転していた私なので、こういった混雑には慣れっこだ。
坂の多いサンフランシスコ。ああ、前はこの道を脇にそれたところで、ご飯を食べたっけ。渋滞しているおかげで、じっくり見物が出来るよ。ああ、そうそう。こっちの脇に行くと、中華街があったんじゃなかったっけ。こうして見ると、サンフランシスコって車も人も店も多い街だなぁって、改めて思うよ。
道路が高速道路乗り口に近づいてきた。車の数が一層増す。乗り口車線に入れなかった車が、じゃんじゃか割り込みしてくる。大丈夫。一台譲ってあげたら、後は後ろに任せるだけさ。このへんのモラルは東京で鍛えられている。地方に行くと、何が何でも譲らないっていう土地柄ってあるもんねぇ。譲った方が早いのにさ。あ、あと、合流にもいろいろあるね。合流車線早々に合流しようとする車がいたり、合流車線の最後まで行ってから合流するときとね。私は後者が当たり前だと思っている。早々に合流すると、その後ろの車も合流しなくてはならなくなる。どんどん合流地点が早まっていって、そこから渋滞が起こる。だから、合流は合流地点まで行ってから合流した方がいい。
うまく高速道路に乗れた。後はずーっとずーっとまっすぐだ。問題はパロ・アルトに着いてから。ビクターからは、あらかじめ道順をメールしてもらっていた。私も自分なりに道順をおさらいした。手元に地図はない。だから、迷ったら最後だ。道順通り、間違わずに行かなくちゃ。
幸い、ビクターのナビゲーションメールは完璧だった。何一つ、不充分な点はなかった。
長い長いドライブの末、ようやくパロ・アルトに到着したときには、すっかり夜は更けていた。ふひー、お腹空いたー。
ビクターの下宿先は、超高級住宅街の中にある。この住宅街に入るためには、ゴージャスなゲートをくぐらなければならない。ゲートをくぐると、そこは別世界。大きなお屋敷が軒を連ねているのだ。
ビクターは、あるお屋敷の離れに下宿している。プール付きの大きなお屋敷には、おばあさんが一人で暮している。ビクターは、下宿しながら、彼女の身の回りのお手伝いをしているのだ。おばあさんが社交界のパーティに出るときは運転手になり、彼女の自宅でパーティが催されるときにはキッチンの片付けを...ってな感じである。もともとは、ビクターの両親がおばあさんの亡くなったご主人と古くからの仲良しだったという縁で、彼女のお手伝いをしているらしいけれど。
車から降りて、とりあえずビクターにあいさつをしようと重い木の扉を開けて、敷地内に入っていった。ビクターの住む離れには電気がついていた。よかった、ビクターはちゃんとお家にいた。ちょっとドキドキしながら、お家のドアをノックしてみた。網戸越しに丸坊主に眼鏡姿のビクターがこっちを振り向くのが見えた。
「ハイハイハイ!non!やっと着いたねー。迷わず来れたかい?」
ビクターはニコニコしながら、私を迎え入れてくれた。母屋にいるおばあさんに挨拶をしようかと思ったけど、もう彼女は寝てしまっているんだって。挨拶は明日にしよう。
車から荷物を運び入れると、改めて私達は再会を喜んだ。
さー!ご飯を食べに行こう!帰って来たら、これからの計画を一緒に練ろう!
サンフランシスコでは、課せられた宿題がたくさんあるのだ。そうだ。私の旅はまだまだ終わっていない!それをやるまでは。
24日 何段の階段を昇れたかな
縦長の砂浜が、カリフォルニアの方角にずっと続いていた。何度も打ち寄せる白い波が、砂浜を灰色に湿らせてた。はるか水平線の向こうには、私の住んでいたアジアがある。白くたなびく雲は、明るくなり始めていた。もうすぐ晴れるな。 私は今、海沿いのレストエリアに立っていた。ここに立っている人間は、私と老人の二人だけだ。私達は黙って海を見つめていた。高台から見下ろす海景色は壮大だった。約12,000km旅をして再び見る西海岸は、感慨深いものがある。あと少しでカリフォルニア州に入る。今日中にサンフランシスコに到着することもあるまい。どこか途中で、一泊していこう。
再び私は車に乗り込んだ。
車は海沿いを走りつづけた。やがて、雲の切れ間から青空が覗き始めた。とたんに、灰色だった海が、鈍いエメラルドグリーンに変化していった。波が輝いている。海から薄靄(うすもや)が立ち込めて、ずっと先の道路を覆い隠そうとしていた。そのうち、すっかりと空は晴れ渡った。ああ、気持ちがいいな。
真っ赤なバスカフェが、駐車場で店を開いていた。私は目の前に駐車をすると、アメリカーノを注文した。強面のおじいさんが、カップに入れた熱いアメリカーノを差し出してくれる。アメリカーノは私のお気に入りのコーヒーのひとつだ。エスプレッソに熱湯を注いだだけの、ちょっと苦めのコーヒーがアメリカーノ。スターバックスのメニューのひとつにもある。ちなみにニュージーランドでは、アメリカーノのことをロングブラックと言う。
そういえば、以前、ロサンジェルスの空港で、ロングブラックを注文したことがあった。その頃の私は、アメリカーノという名称を知らなかった。すると、黒人の店員はこう言った。
「なんだって?ブラック?ブラックコーヒーが欲しいのかい?」
違う。ロング・ブラックがいいの。
「ほー、ねえちゃんは"黒いの"が好きなのかい?それも短いんじゃなくて、ながーいのが欲しいのかい?」
.........もういい。普通の"コーヒー"をちょうだい。
まったく、ロスには空港ですらろくなのがいない。看護婦の格好している募金集めのおばさん(いつも同じ人)や、首に十字架を下げた募金集めや、呼びこみまがいの募金集めや...。まぁ、いい。ここはまだオレゴンなんだから。
私の車はどんどん南へ向かっていた。
今日は、オレゴンとカリフォルニアの州境を越えたところで宿を取ろう。私は、Crescent Cityという小さな海辺の町を選んだ。カモメとオットセイの鳴き声が響く、まったりとした町だ。
宿を決めて、荷物を部屋に移す。ドアを閉めても、部屋の中までオットセイの声が聞こえてくる。このオットセイの声が、いかにもカリフォルニアという感じだ。今日はいいお天気だ。ちょっと外へ出て、散歩でもしてみようかなぁ。
はっ。そうだ。お洗濯をしてしまおう。こんなにいいお天気で、空気が乾いていても、アメリカでは洗濯物を外に干すことは出来ない。外で干したらさぞかしいい匂いに干しあがるだろうに。しかし、乾燥機もバカにできない。ただガラガラと回しているだけで乾いてしまうのだから、お洗濯が楽しくなってしまう。洗濯に関して私はひとつ、関心していることがあった。それは、どんなにガチャガチャ洗っても、どんなに乾燥機でぶんぶん回していても、けっして色落ちしたり型崩れしないシャツがあるのだ。子供服で、確か2〜3千円の代物だったと思う。これだけ洗っても、ぜんぜんおっけーのこのシャツ...。かなりお買い得だったな。こんなに丈夫なのだから、もしかしたら孫の代まで着られるかもしれない。いや、実にお買い得なシャツだ。
洗濯物をしている間に、私は海の方へ散歩しにいった。防波堤を歩いていると、湿った潮風が髪を吹き上げる。相変わらずオットセイの声が響き、カモメも騒がしく鳴いていた。あー、海だなー!広いなー!
ここから、そう遠くないところに日本がある。飛行機で、たったの12時間程度のところだ。そこで私は、働いたり、いろんな人と飲みに行ったり、泣いたり笑ったり、遊んだりしていたんだ。ふと、渋谷の雑踏を思い出す。あれほど、人のたくさんいるところが嫌いだったのに、ふと思い出す日本の一場面が渋谷の雑踏や、居酒屋の匂いだったりするとは皮肉なものである。
本当は、ニュージーランドの美味しい牛乳やハムも懐かしかった。アメリカの、偽物臭い健康食品なんて、人間の愚かな味がして美味しくなかった。自然の味をそのままに残すニュージーランドの食品や、牧草の茂る丘が懐かしい。
今、ここにないものすべてが懐かしい。
波の音が、カモメの声が、私を郷愁の思いにふけらせた。明日は、ようやくサンフランシスコに入り、出発前にお世話になったビクターと再会する約束になっている。人々が同じ場所に張り付いる間に、私は何千マイルも動き回り、日々違うものを見てきた。また同じ場所に帰ろうというのに、出発前と同じ自分であるような気がしない。自分の足元が、以前よりもずっと高い位置にあるような気がするのだ。振り返ると、今までは障害物が多くて見えなかった景色が、急に視界が広がって遠くまで見渡せるようになった...そんな気持ちだった。
この気持ちを大切にしたい。私はいずれ、ビルの谷間に戻ることになるだろうけれど、それでも自分の足元しか見ないような、そんな自分にはけっして戻らない。だって、私には遠く見渡した景色が頭の中にあるのだもの。もう、知ってしまったのだもの。この世界は広いって。
23日 オレゴンから「は、はいぃ〜?」
モーテル自体は非常に快適だった。昨夜はゆっくりと眠れた。安いモーテルだというのに、真新しい部屋と清潔なベッドに、私は満足だった。どれ、今朝は無料サービスのコーヒーでも飲みに行くかな。 コーヒーはロビーにある。コーヒーの他に、オレンジジュースや紅茶もあり、朝食として甘そうなベーグルやシナモンパンが置いてあった。私は、コーヒーを2杯分カップに注いだ。
ロビーは賑わっていた。今日はこの辺りで何かの講演会かなんかがあるのかもしれない。着物を着た日本人女性とおぼしき人が、ソファに腰掛けている。ん?でも、カタコトの日本語だなぁ。あれ、隣の洋服を着た日本人風の女性が、着物を着た女性に日本語の挨拶の仕方を教えてるよ。日系アメリカ人なのかなぁ。あれれ、私の横でコーヒーを注いでいるおじさんも日本人に見えるよ。話し掛けてみようかな。どうしようかな。
「...えくすきゅーずみー。」
おじさんが私の前にあるミルクと砂糖を取っていった。このカタコト英語。やっぱり、日本人かなぁ。
おじさんは、ちらりと私のほうを見ると、サッと目を逸らし、日本人風の女性達のところへ足早に去って行った。うーん、絶対に日本人だ。どうして外国で日本人に会うと、ここまでよそよそしくなるのかなぁ。目が合っても絶対に話しかけないんだよなー...。
以前、ショーンと一緒にマディソン(Madison)という学生街でラーメン屋に行ったことがある。後から、3人の日本人の男子学生が入ってきた。一目で日本人とわかるこ洒落た装いだった。しかし、目が合おうとも、近くに座ろうとも、私達は絶対に話しかけようとはしなかった。男子学生は、明らかに私が日本人かどうかを値踏みしている様子だった。
店を出るとき、私は日本人の店員さんに、「ごちそうさまでした」と挨拶をした。すると、背後で男子学生達のコソコソ声が聞こえてきた。
「日本人だ。」(ヒソヒソ)
「おい、日本人だよ。」(ヒソヒソ)
「あ、やっぱ日本人だったの?」(ヒソヒソ)だって。あれには笑えたなー。一方、フィリピンのボラカイ島っていう僻地に行ったときは、あまりの日本人の少なさに、やたらみんなが寄り添っていたんだよなー。一緒に食事とかしちゃってさー。いきなり一致団結だったよー。日本人が少なくて、不安だったのかもしれないなー。でも、私だけは話しかけられなかったんだよ...。フィリピン人には話しかけられたけど。
私は両手にコーヒーを持ったまま、自室へ戻った。このモーテルはカード式ロックのドアだった。床にコーヒーを置いて、カードをドアに差し込んだ。ドアを引く。ガン!あれ、開かない。もう一回。ガチャッ。ガン!あれ、開かない。ガチャ。ガン!あれれー。
私は顔を真っ赤にしてカードロックと戦った。すると、背後から声をかけられた。
「どうしたの?開かないの?よし、私が開けてあげよう。」
どうやらこのフロアの客らしい。白髪まじりの中年男性が私のキーを手にして、ロック解除に挑戦し始めた。何度もカードを差し込むが、いっこうにドアは開いてくれない。ここは本当に私の部屋なんだろうか...いや、間違いはない。ここは私の部屋だ。私が部屋を確認したのを察したのか、
「わかるよ。どうもこのモーテルのカードロックにはコツがあるようなんだ。さっき、僕のところも開かなかったからね。」
と、おじさんが慰めてくれる。二人で格闘していると、別のおじさんがやってきた。
「なんだよ、開かないのかい?よし、どれ、俺がやってやろう。」
おじさんは自分の荷物を床に置いて、カードロックと格闘し始めた。
「あれっ、開かないな。ふん!あれ、ダメだな。」
「コツがいるんだよ。私のところも開かなかったからね。私に貸してみて。.....ふん、あれ、ダメだなぁ。」
「ちょっとドアを引いてみたらどうだ?」
「開かないよ。」
「どれ、もう一度俺がやってみる。」
「いや、これにはコツがいるんだよ。」
しばらく格闘した結果、ついにドアが開いた。わー!開いたー!!わー!わー!わー!3人で喜び、私は厚くお礼を言って、部屋に入った。あー、おじさんたちのおかげで部屋に入れたーーー!!ありがとーーー!!!
ベッドに腰をおろし、コーヒーを飲もうと口をつけたとき、外からおじさんの声が聞こえた。
「今度はこっちが開かないよ!あ、開いた開いた!わははは。」
なんか、やっぱり、これはオレゴンだからなんだろうか。みんな気さくって感じがするんだよなー。
コーヒーを飲んだ後、チェックアウトを済ませ、再び私は車を南に走らせた。途中の給油チャンスで高速を降り、ガソリンスタンドへ入った。ああ、やっぱりここもセルフサービスじゃない。ハンサムなお兄さんの顔が頭を過ぎる。不精髭の店員に車を任せて、私は店内へ向かった。ドアに手を伸ばすと、すかさず大きな体の男性がドアを開けてくれた。
「どうぞ。(ニッコリ)」
客でも店員でも赤の他人でも、とにかく女性にはドアを開けるという習慣がある地域なのかー。
給油代をレジで支払おうとすると、今度は並んでいたおばあさんが私を振り返り、
「お先にどうぞ。」
だって。いいえ、おばあさんからお先にどうぞって言っってるのに、おばあさんはニコニコ笑ってるだけなの。
なんだか、ぼんやりと、私の中でオレゴンという土地柄のイメージが固まりつつあった。みんなのんびりしていて、気さくで、人がいい。大きな空を眺めて生活しているからって理由だけじゃないような気がする。小さな優しさが次の優しさに繋がっているみたいに感じるんだ。それはまるでチェーンのように、ずっと繋がってるの。優しさも感謝も幸せも、全部繋がっているんだなぁ。
胸がいっぱいな気持ちで車に乗り込んだ。ああ、いいところなんだなー、オレゴンって。
どんよりとした空の下、再び高速道路に乗り込み、ひたすら南へ向かう。雨が降ってきた。しとしとしとしと、灰色の空が重苦しい。今夜は、フローレンス(Florence)という海沿いの小さな町に宿を取ることにした。名前からして、なんだか幸せそうなところだもの。
冷たい雨が降る中を、安くて安全なモーテルを探してみた。何軒も値段を聞き歩いた。かなり値段にばらつきがあるなー。町から離れれば、もっと安いかもしれない。
私は、町からもう少し離れたあるモーテルのロビーを訪ねた。家族経営の平屋のモーテルだ。いくらなのかなー。
「34.78ドル+税金です。」
はぁ、そうですか。ちょっと考えさせてください。
私は車に戻って考えた。今までのどこよりも安いモーテルだった。部屋もきれいそうだ。でも、受付のおばさん、私が笑っても笑い返してくれなかったんだよなー。でもまー、安いにこしたことはないから、ここにしておこう。
私は再びロビーへ向かった。先ほどのおばさんに部屋を取りたい旨を伝える。
「では、税金込みで51.88ドルです。いいですか、これは税金が含まれていますから。」
はぁ...。税金を入れたら、なんだか高くついちゃったなぁ。まぁいいや。
私は何も考えずにサインをした。部屋で休んだ後、町を探索してみた。雨の外は一面グレー一色だ。途中、サイキックリーディングという見るからに怪しげな看板を下げた一軒家があった。面白そうだから、車を停めて、ドアをノックしてみた。...誰も出ない。雨が私に降りかかる。ドンドン!もう一度ノックをする。...シーン。おかしい。看板には『オープン』と書いてあるのに。
サイキックリーディングというからには、予知能力があるのかもしれない。ということは、私が訪ねるってことを予知していたのかも。そして、私の訪問に応えないということは...。今ごろ部屋の隅でぶるぶる震えながら息をひそめて、私が立ち去るのを待っているのかもしれない。私はドアの前にしばし立ちつくし、家の主に念力を送った。
いくじなしー!
さ、帰ろう。私は部屋に戻った。
翌日、チェックアウトのときも、おばさんは無表情だった。しかも、明細票をくれなかった。町を出て、高速道路に乗り始めてから、そこで支払ったモーテル代の税率を割り出してみた。なんと、50%近い税金じゃないかー。いくらアメリカ広しと言えども、そんな税率あり得ないね。っつうことは、今度こそ本当に騙されたってことか。おばさん、ずるい人だったんだ。ウソついたんだ。私がまぬけ顔だったから。そうだ、私はそうとうバカだったんだ!とっさに算数が出来ないばかりに、私はおばさんの間違いを指摘することが出来なかったんだ!!バカ過ぎじゃん、私!!
く、くっそぉぉぉぉぉぉおおおおおっ!!!
むくむくと怒りの感情がこみ上げてくる。今更ながら、頭の中でおばさんに「ほほぅ、金額の50%近くも税金がかかるのですか?」などとすまして言う自分をイメージしてみたりする。もう、遅い!
く、くやしい!!
私はハンドルを握り締めながら、悔しさに悶えた。
くっそー、もう二度とこんな目に合わないように、算数の練習だ!あーあ、オレゴンっていいところだなぁって思ったのにな。やっぱり、悪い人もいるんだなー...。残念だけど、そういうチェーンもあるのかもしれない。騙されたから騙し返す、とかね。ふん!そんなチェーン、私の番でぶち切ってやるっ!!!
曇り空の天気模様。私の心も曇り空。だけど、私の心の雲空では、びかびかと雷が鳴っていた。
22日 オレゴンから「はい?」
私は、部屋に持ち込んでいた荷物を車のトランクに運んだ。家の中にはもう誰もいない。みんな、学校や会社へ行ってしまった。さよならはもう済ませた。後は、トランクを閉めて、お家の戸締りをするだけだ。 振り返ると、開け放したドアの側に、毛のムクムクした飼い猫がじっとこちらを眺めていた。バイバイ、猫ちゃん。また来たときは、よろしくね。
私はガレージの扉を閉めた。数日外に駐車していたため、車のボディに枯葉が貼りついていた。手の届くところだけ、枯葉を剥がすと私は手荷物を助手席に放り投げ、運転席に乗り込んだ。
さぁ、出発だ。
自分の気持ちを切り替える。アメリカはそれほど遠い外国じゃない。これはほんとのさよならじゃないよ。また会えるもの。私は、見送られるのが好きじゃない。何気なく、いつものようにふらりと旅立つ方が、ずっと私に似合ってる。だけど、立ち去る時にいつも感じるこの静かで孤独な離愁感が、私に何度も出て行くドアを振り返らせるのだ。私がそうであるように、一緒にいた人達もまた、私が旅立ったのを実感して、祭りの後にも似た、うら哀しい気持ちになるのだろうか。
エンジンをかけた。ギアをドライブに入れた。ブレーキから足を離した。
車が前に進んだ。
もう一度、ブレーキを踏んでジャネット達のお家を見た。また来るから。またこのお家の人達に会えるから。そう思って、私は再びブレーキから足を離した。
今や見慣れた道路や町並みを眺めながらレントン(Renton)を後にした。高速道路に乗り、タコマ(Tacoma)を抜けてオリンピア(Olympia)へ。そこからI-5に乗り入れ、後はひたすら南へ向かう。海沿いのUS-101を南下して、太平洋を眺めながらのドライブでもいいのだけど、途中まではI-5で着実に南へ進むことにした。
外の空気が、けだるい午後の装いになり始めた頃、私は高速道路を降りた。今夜は、コーバリス(Corvallis)辺りに宿泊しよう。高速を降りたその町は、小さくて陰気に見えた。気が進まないが、この辺りに宿を求めてうろついてみる。うろうろしついでに、給油をしていくことにした。何軒か並んでいるガソリンスタンドから、一番こざっぱりとした雰囲気の店を選んだ。
車を停めると、すかさず中から店員が走ってくる。
「いらっしゃいませーーー!」
なんか日本みたい...。ひょっとして、セルフサービスじゃないのかな。
アメリカのガソリンスタンドは、自分で給油をし、自分で窓を拭く。支払いはその場で出来るところもあるし、店の中まで払いに行くときもある。しかし、この店は店員がニコニコした顔して車の給油口の脇に立っているではないか。やっぱりこれはセルフサービスではないんだろうな。「あの、もしかして、ここはセルフサービスではないんですか?」
「その通りです!」
じゃ、別のところへ行きます...と車のドアを閉めようとすると、お兄さんがガッシリとドアをつかんだ。
「ノーノーノー!オレゴンにはセルフサービスのガソリンスタンドは一件も存在しないのです。」
なんとー!そんな州があったのかーーー!!
私はアメリカ全土がセルフサービスなのだとばかり思ってたよーーー。「いいえ、違うのです。オレゴンはサービス付きなのです。(ニッコリ)」
そうか。じゃあ、よろしく頼むよ、と私は車を降りた。栗色の髪に甘いマスク、ふさふさの口ひげに歯並びのよい真っ白な歯。このお兄さん、けっこうハンサムじゃーん。
「お会計はあちらでお願いします。」
と店内へ導かれる。すると、私の車のすぐ後ろに高級車が停まった。お兄さんがそちらを振り向く。
「ああ、こちらはいいから、そっちのレディを先に済ませてくれ。」
サングラスをかけた車のオーナーが言う。お兄さんはにっこりと笑って、その人に手を挙げた。馴染みの客なのか?それにしても、あくせくしてないというか、心のゆとりがある人達っていいねぇ。あのおじさんもなんだか素敵に見えてきたよ。もしかしてオレゴンの男達って、ハンサム団?
クレジットカードで支払い、サインをした。お兄さんがまじまじと私のサインを見る。
「漢字って本当にカッコイイと思うよ。漢字って好きだな。カッコイイもんな。」
と言って、控えを返してくれた。私からしてみれば、漢字なんかよりお兄さんのほうがよっぽどカッコイイけどね。
ありがとうといって、私は車に乗り込んだ。背後でお兄さんがさっきの車の給油をし始めた。さーて、これから昼食兼夕食でも食うかーーー。とハンドルを切る。レストランもあるけど、そこかしこにガソリンスタンドもある。んーーー。さっきのお兄さんを疑うわけじゃないけど、本当にこの州にセルフサービスしかないって本当かなぁ。
ガソリンスタンドを通過するたびに、私はパパッと脇見をする。ほんの一瞬だが、肥ったおじいさんが給油しているのが見えた。半そでシャツに短パン...明らかに店員ではあるまい。もう一度、他のガソリンスタンドをチェックする。...やはり、客が車の窓を拭いたりしている。
だ、だ...だーまーさーれーたぁぁぁーーー!!!
チキショー!ハンサムなアメリカ人にたぶらかされたーーーっ!ハンサムだからってハンサムだからってハンサムだからって!!!絶対に許してやらないぞぅ。
ぶりぶり怒りながら、私はレストランの駐車場に入っていった。もう!今度は絶対に騙されないんだから!くそぅ、信じていれば騙されないなんて、やっぱりウソだったんだー。騙されるときは、騙されてしまうものなんだー。
バン!とドアを閉め、私はレストランに入っていった。今回の食事は野菜食べ放題のレストラン、シズラーだ。日本にもシズラーはあるけれど、アメリカのシズラーって日本のと違って、陰気臭いところが多いんだよね。日本のシズラーは、明るくておしゃれなアメリカンスタイルのバイキングって感じだけど、本場アメリカでは、偽物のステーキを出す、サービスの悪い、安っぽいレストランってイメージなんだよなぁ。どうしてこんなに印象が違うんだろ。
シズラーは前料金制だ。サラダのバイキングとステーキ、アイスティをつけて、しめて11.79ドル。それほど安いわけではなけど、昼夜兼用だから、まぁいいか。財布を取り出し、ふとレジの数字を見た。
"117,911.79ドル也"
う・そ。
なんだよー!オレゴンは騙しの国なのかー!ただのサラダとステーキと飲み物で、そんなにお金を取られたら身代潰れちゃうよー!私は、恐る恐る12ドルを差し出した。
レジのお姉さんは、無表情にそれを受け取り、11.79ドルと打ちこんだ。チン!"お釣り:117900.00ドル也"
まーじーかー。
打ち間違えたんだったら、打ちなおせよー。かわいい顔してずぼらだなー。私はレシートを持って席に着いた。さっきのレシートは、記念のためにリュックサックの中に大事にしまった。さー、腹ごしらえをしたら、宿探しだなー。こんな小さな町で、安全で清潔なモーテルが見つかるだろうか。そういえば、さっき近くのモーテルの前にパトカーが停まってたなー...。ああいうモーテルだけには泊まるまい。場所に、ある程度の目星をつけておいたほうがいいかなぁ。
私のテーブルのウェイトレスにモーテルの場所を聞いてみた。ほんの数ブロック向こうに安全なモーテルがあるという。よし、そこらへんで探すことにしよう。お礼を言うと、ウェイトレスが立ち去ろうとした。
はっ!ちょっと待って!!
「あの、オレゴンではセルフサービスのガソリンスタンドがないって本当?」
「ええ。そうですよ。」(あっさり)
なんと!町ぐるみで私を騙す気かーーーっ!!
って、本当にセルフサービスの店がないのかもしれないな。そうか。そうか。そういうことなのか。ふーん。じゃあ、私はハンサムなアメリカ人にたぶらかされたわけじゃないのね。拍子抜けした気分で、一口、ステーキを口の中に放りこんだ。
憧れだったオレゴン。イメージと違うオレゴン。私の見た、リアルなオレゴン。.......こんなもんなのかなー。まぁ、まだオレゴンに入ったばかりだし、これからのオレゴンに期待してみよう。
21日 あの時の空の色
あれは、シアトルを旅立つ前日だったか。とにかく、それは私達へのフェアウェルパーティ(さよならパーティ)だった。近所の大きな公園で、生徒たちとそれぞれの家族が集まり、バーベキューをして一日を過ごしたのだ。たくさんの同級生の前で、小さなリサと赤ちゃんのエイミーと一緒に歩いているのを、ちょっと自慢に思ったもんだ。私の家族って素敵でしょう?こんなにかわいい赤ちゃん達と一緒でうらやましいでしょう?ってね。 リサを見たみんなは、わーっとリサのところへ集まってきて、かわいいかわいいって騒いだんだ。あんまりみんながかわいいって言うもんで、ついにリサが「わかってるってば!」って言って、逃げちゃったんだよ。
海辺の公園だった。大きなバーベキュー焜炉のある、広い公園だった。
私は、今でもあの日の空を忘れていなかった。あの時、私は夕暮れの空を見て、これを絶対に忘れないでおこうって心に誓ったんだもの。その空は、そんなに特別にきれいな空ではなかったけど、覚えておこうって思ったんだ。海の向こうの雲の裂け目から、黄金の陽射しがこぼれている空だったよ。
「ああ、それはジーンクーンパークだよ。なぁ、ジャン?」
「フェアウェルパーティでしょう?そう、確かジーンクーンパークだったわ。」
あの公園は、そんな名前だったのか。どのへんにあるのかな。あそこへ行ってみたいんだけど。
そういうと、ドウェインが街の地図を持ってきてくれた。それほど遠くない。車で15分くらいだ。そういえば、あの時は行動範囲の距離感なんてぜんぜんわからなかったなぁ。だって、家族の運転する車か、旅行会社の用意してくれたバスでの移動だったんだもの。そういえば、以前のシアトル滞在中、アメリカは広いと感じたある事件があったなぁ。
私と他同級生2人で、どうやってだったか、スーパーマーケットに行ったのだった。そして、私達は仲間の一人の子のお家へ帰る予定だった。
「ここから近いから歩いて帰れるよ!」
と友達が言った。私達は、家族の車を呼ばずに歩き始めた。
友達のお家は新興住宅地だった。かなり歩いて、住宅街まで辿り着いた。その一帯は、すべて同じ壁の色をした一軒家が立ち並んでいた。何しろ真夏の炎天下だ。歩き疲れて、木陰で何度か休憩をした。今から考えれば、友達は公衆電話で家族とコミュニケーションを取るのが怖かったのかもしれない。とにかく、私達はその子のお家を目指して、歩き続けた。住宅街は、どこまでも同じような色と形のお家が並んでいた。どのブロックへ行っても、似たような家ばかりだ。友達は泣きそうになった。
「どれが私のお家かわからない...。」
おいおいおいおい。まーじーかーよー。本当に毎日住んでる自分の家の特徴を、ひとつも覚えてないの?
そこへ、住宅街の住人が私達の側を通りかかった。私達はそのおばさんのところへ駆け寄り、お家がわからなくなった、と告げた。おばさんはかなり困っているように見えた。友達が、自分のホストファミリーのファミリーネームを繰り返した。しかし、「知らない」と言われるだけだった。私達は絶望的な気持ちでおばさんの元を去った。そして、あてもなくぐるぐると住宅街をさ迷った。
突然、友達が「ここかもしれない...」と、よろよろとある家の玄関に倒れこんだ。ほんとか?ただ休みたいだけなんじゃないの?しかし彼女は、いや、ここだと思う、と譲らない。じゃあ、早くドアを開けようよ、というと。
「でも、もしも知らない人が出てきたらいやだ。」
絞め殺してやろうか。これが、まだ短い人生の中で、初めて私が殺意を覚えた瞬間だったと思う。
もう一人の友達と私とで、彼女を説得し、ようやく玄関を叩くところまでこぎつけた。不安そうに彼女がドアを叩き、あーどうしよう!どうしよう!と足をもじもじさせていたのを、今でもはっきりと覚えている。ドアが開き、彼女のホストファミリーが出てきた時、自信満々に彼女を説得した私も内心ホッとした。
その後のことはあまり覚えていない。
とにかく、普段は何気なく車で行き来していたから気がつかなかったけど、車でちょっとっていう距離って歩くと遠いんだなぁー、と実感したのだった。ジーンクーンパークは車で15分。あの頃はどこへ行くにも一人じゃ行けなかったけど、今なら身軽なこの身の上。今日辺り、行ってみよう。
気軽な気持ちで出てみたものの、案の定、私は道に迷った。道に迷った途中、同級生と一緒に行ったあのスーパーマーケットを発見した。うわー!懐かしい!!ここから住宅街まで歩いたんだなぁ。不可能じゃないけど、普通なら車で行く距離だよなぁ。ああ、世間知らずだったあの頃。
私はその後も懐かしい思い出の一場面を発見しながら、公園までの道のりを迷いつづけた。
ようやく、私がジーンクーンパークに辿り着いたときには、私は既に105kmほど迷っていた。アメリカさんはすごいねぇ。ちょっと迷うだけでこれだもの。
さっそく駐車場に車を置いて、園内を散歩した。
私がここを歩いたとき、ここは夏で、芝生は青々としていた。この白い小さな散歩道で、私の前を小さなリサが歩いている姿が浮かんで消えた。ああ、私はここにいたんだなぁ。秋に色づいた周囲の景色が、16歳の頃の夏景色に変わる。当時の景色が私に語りかけてくる。まるで再現フィルムを見ているようだ。歩きつづけていると、海の上に設置された小道とピクニックコーナーのある場所へ辿り着いた。木製の小道の下で、ちゃぽちゃぽと波の音がする。小道の要所にテーブルと椅子の設置されたコーナーがあり、そこに腰をかけて海を眺めた。海の向こう岸に見えるなだらかな丘の形は、13年前となんら変わらない。ただ、家の数が前よりずっと増えている。
16歳の夏に、私は確かにこの海の上の小道を歩いた。その時私は何を考えていたかなぁ。今となっては思い出せない。
この海の上の小道を見下ろすところに、バーベキュー焜炉のあるピクニックポートがあった。そこまで上がって見てみると、昔と変わらぬ焜炉と椅子とテーブルが目に飛び込んだ。あの頃よりずっと古びているけれど、私、ここでグリルしたソーセージを食べたんだよなぁ。みんなで散歩したり、食べたり騒いだりしたけど、誰かがバーベキューを片付け始めたときに、ふと思ったのだった。これで最後なんだって。こうやって、シアトルの空の下で遊ぶのは、今日が最後なんだって自覚したんだ。
そして私は、海の上の小道の一番端っこに立って、海の向こうの空を見たのだった。私が忘れないと心に決めた黄金の夕暮れは、今、私が立っているこの場所で見たものだった。撮影者は、決して写真の中に入ることは出来ない。しかし、私の中にある、当時を写した一枚のフォトグラフの中に、今、ようやく私自身が入り込むことが出来た。
ああ、来てよかった。
私は、明日シアトルを去ることに決めた。
20日 素直な気持ちがやまびこすれば
英語が話せるようになってから、気を付けていることがある。それは、むやみにスラングを使わないということ。ちょっと英語が話せるくらいのレベルだと、短くて覚えやすくて、そしてちょっとネイティブに聞こえてしまう、スラングを多用しがちだ。だけど、スラングを多用するということは、すなわち"知性のない人"と自分で公言しているようなものだ。心底下らない人間と思うようなヤツでさえからも、バカにされた態度を取られても仕方がないのである。 子供を持つ親は、ことにこのスラングについて敏感だ。子供がそんな言葉を使えばたしなめるし、自分たちも使わない。だから、私もリサやエイミーの前ではスラングなどを口にしないよう気を使っていた。私なりに、ジャネットやドウェインに協力していたつもりだった。
昨夜、リサは宿題に頭を抱えていた。いや、昨夜だけじゃない。私がここに来てからというもの、リサが宿題をしていない日はなかった。アメリカのティーンエイジャー達は、みんな遊ぶ暇も塾へ行く暇もない。毎日学校から、大量の宿題が課されるからだ。要領のよい子などは、それでもパパパッと済ませてしまうのかもしれない。しかし、リサはジャネットに似て生真面目だった。すべてにおいて完璧を目指す。何事においても、少しも間違いがあってはならないのだ。
そんな彼女を理解しているのだろう。ジャネットは仕事に疲れていても毎晩リサの宿題に付き合っていた。
昨夜、リサはいつもの宿題に+αがついていた。+αとは、彼女が書くことの出来なかった読書感想文だった。すべてに完璧を求めるリサは、中途半端な読書感想文を提出するわけにはいかなかった。かと言って、誰もが感動するような教科書のように優れた感想文を、いとも容易く書き上げることなど出来そうにない。考えているうちに、リサの筆は完全に止まってしまい、ついには提出期限に間に合わなかった。
学校の先生は、リサにもう一度チャンスを与えてくれた。がんばって、なんでもいいから書いてごらん、と。
リサは頭を抱えていた。本当に泣きそうな顔をして、本と原稿用紙をにらめっこしていた。ジャネットが、リサと一緒に本を読み、主人公が何をして、何を思ったかをリサに理解させようと誘導している。時計は既に24時を過ぎていた。宿題でここまでやるかー?
本は思春期向けの小説で、そう難しい内容ではない。
リサは本を一通り読んでいるし、本の内容が理解できないわけではなかった。世の中には、感想文というのもが書けない人がいる。自分の中に確かにある感動や意見を、文章に出来ない人がいるのだ。しかし、リサの場合は違っていた。完璧さを求めるリサには、相手の期待する答えがわからない限り、感想文は書けそうになかった。自分なりの感想や感動が、先生の思いと違っていてはいけないのである。10代の頃、私は読書感想文が得意であった。本編を読まずに、解説文だけを読んで読書感想文を書いたこともある。皮肉なことに、その感想文は学校の最優秀賞を獲ってしまった。あの時は賞を獲った後、慌てて本編を読んだっけなぁ。昔から、こういったことは得意だった。思ったことを文章にするのが好きだった。
私でも何か手伝えるかなと思い、おざなりなアドバイスをしてみたりもした。その本の内容について、何を思ったのか、何に感動したか、もし自分が主人公だったらどんな行動をとるか。感想文は、解説文になりがちだ。感想文は、こんな問い掛けを基本に、自分なりの感想を書くものだ。
しかし、私の言葉にリサは力なく微笑んで見せるだけだった。
朝、目覚めると、既にリサは学校へ行ってしまっていた。私は、とにかく膨大な量の宿題を出す学校に、他人事ながら少し腹を立てていた。キッチンに立つジャネットに、リサは感想文を書き上げたのかを尋ねた。
「結局、今朝の2時までかかって出来あがったわ。」
ジャネットはずっとそれに付き合っていたわけ?
ジャネットは笑って頷いた。すごいなぁ...!ただの感想文なのに、そこまでかかるのはなぁ。要領のいい子なんかは、適当にでっち上げたりするんだろうに。あ、でもちゃんと内容を読んだか読まないかをチェックされたりもするのかな。もしかして、内容を短くまとめたりもしなくちゃいけないわけ?
「そうよ。みんな同じ本を読むんだけど、全員が内容の要約を冒頭に入れるのよ。」
全員が同じ本を読むのに!?...カチーン!思わず怒りの言葉が私の口を突いて出た。
「It's Bullshit !!」(そんなのずるい!) ※ ちなみにBullshitとは、牛の糞という意味。
ジャネットが声をあげて笑った。
「non!あなたは一体どこでで英語を勉強してきたの?」
うーん。しまった。猫をかぶっていたのに、ついに出てしまった。そういえば、ショーンも私がへんな言葉を口にする度に、「どんなガイジンがnonにそんな言葉を教えたんだい?」なんて聞いていたっけ。でもさー、こんな言葉、ハリウッド映画にわんさか出てくるじゃーん。
私は笑ってごまかして、そのままキッチンを後にした。
シャワーを浴びて、キッチンに戻ると、ジャネットの姿が見えなかった。仕事へ行くにはまだ早いよなぁ?あれ、コーヒーも飲みかけのまま置いてある...。などと思っていたら、ジャネットが外から息を切らせて戻ってきた。「まだリサがバス停にいると思って...。ハァハァ...。」
リサは忘れ物か何かしたの?
「違うの。リサの感想文の宿題のこと、nonが"Bullshit!!"って言ってたって、リサに伝えようと思って...。ハァハァ...。」
わざわざ伝えに行ったのーーー?それで、リサはいたの?
「いたわ(笑)ちょうどバスが来たところだったの。リサが、nonに"ありがとう"って伝えておいてって。リサにnonの言葉を伝えたら、回りの生徒もみんな右手を上げて喜んでたわ。」
あははは。そりゃ、私、なんだかずいぶんいいこと言ったのかなぁ?確か、悪い言葉を言ったと思ったけど?
「ほんとよ!nonがどこまで成長したのか、私達、目を見張るくらいよ!」
こんな日々の一こまに、濃縮された13年間がポロリと出る。ジャネット達の知らない私の13年間。悪いことも覚えたし、良いことも覚えたよ。これからも、いろんなことを経験して成長していきたいと思ってるよ。でも、今の私を作った要素の中には、ジャネット達との生活が絶対に含まれているんだよ。だから、私はジャネットにありがとうって言わなくちゃってずっと思ってたよ。
そんな思いを、口には出さずにただ笑っていた。濡れた髪の毛を拭くふりをしながら、言葉を飲みこんだ。
「non、私の代わりに、(私の気持ちを)言ってくれてありがとう。」
顔を上げると、ジャネットがいつものように微笑んでいた。
私、本当にいい家族と出会った。本当にいい人の前では、まるで自分までいい人みたいに思えてくるんだなぁ。照れくさくて、また私は髪を拭き始めた。